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荻窪随想録20・荻窪団地にできた大きな水たまり

東京の桜が満開になったというので、シャレール荻窪脇の、大谷戸さくら緑地に出かけてみた。

曇り空の下で、淡いピンク色の花が確かに木々の梢に咲きそろっていた。
この緑地でなら、下のほうに伸びた枝の先についた花を、近寄っていって間近に見ることができる。
花が咲く前のつぼみは、少し濃いピンク色をしていて、そのようなつぼみをつぶさに眺めたあげくに、写真に収めることもできるのだ。

足元の緑の中には、よくわからない草に交じって、昔ながらのオオバコのようなものや、ペンペン草も一部に生えていた。タンポポもすでに黄色い丸い花を咲かせている。そしてあちこちに、クローバーの葉や花があるのが見えた。

シャレール荻窪になる前の荻窪団地も、けっこう緑にあふれたところだった。特に、南に向いたベランダ側には、建ってしばらくの間は一面にクローバーが植えられていたという。
しかし、戦後アメリカから持ち込まれたとされる、アメリカシロヒトリという蛾が大量発生して、その幼虫がクローバーを食いつくしてしまった。
当時は、毛虫がアパートの外壁に張りついているほどだったということで、その後はクローバーを植えるのはもうやめて、芝を植えることにしたのだそうだ。

これはかつて父や母から聞いた話で、私がこの目でじかに見て覚えていることではない。
でも、アメリカシロヒトリの名とその恐ろしげな幼虫の姿は、以前はところどころに貼られていたポスターなどで害虫として頭に刷り込まれている。

団地にいた自分がまだ小さな頃にあったことで覚えていることの一つに、
その芝地に水が張って、大きな水たまりのようになってしまったということがある。

ある時、大雨が降って、止んだ後もすぐには水が引かなかったので、住んでいた10号館の前の芝地全体が広くて大きな水たまりのようになった。
それで、同じ10号館に住んでいた男の子とおもしろがって、長靴をはいて、水たまりの中をきゃっきゃっと泥水をはね散らしながら手をつないで走っていったら、ものの見事に転んで、二人いっしょに正面から水たまりの中に突っ込んでしまった。

その男の子の言うところによると、私が転んだから、手をつないでいた自分も転んでしまったということだったが、
二人ともずぶ濡れになってうわーっと泣き出したら、ちょうど下校中だったと思われる近所のお姉さんたち――自分たちより年上だったから「お姉さんたち」なのであって、これがどのくらいお姉さんだったかは定かではない。制服は着ていなかったように思うから小学生だったのだろうか――に助け起こされて、アパートの2階のその男の子のうちに連れていってもらった。

そして、その子のお母さんにお風呂場で服を脱がされて、二人いっしょに水風呂に入れられた。
風呂桶の中にしゃがみ込んで冷たい水に浸かり、改めて顔を向かい合わせるとなんだか気恥ずかしかったので、お互いのおへそを指差しながら「おへそがある」などと言って笑い合った。

我がことながら、こうして書いてみるとほほえましい光景だと思うが、
今ならこんなことでも、幼児に対する性的虐待だなどと言われてとっちめられかねない。でも、当時のお母さんだったら、誰でも迷わずそうしたことだろう。

その男の子はノブ君――私の兄はノンちゃんと呼んでいたと言うが――といった。たぶん、幼稚園に上がるか、上がらないかの頃のことだったろう、ノブ君といっしょに遊んでいたということは。この子は一つ年下だったような気もするけれど、同じ幼稚園にも、同じ小学校にも行かなかった。いつまで同じ団地に住んでいて、いつ、どこに行ったのだろうか。

私は時々、母の出かける都合でだかで、その子のうちに短い時間、預かってもらっていたことがあったような気がする。その子の家の中にいた自分に、母の姿がそばにあった記憶があまりない。その子のうちには、童謡の『月の砂漠』のシングルレコードがあったので、私はそれが好きでよく聞かせてもらっていた。

近年、中村登という昭和に活躍した映画監督の、うたごえ喫茶が舞台の青春映画を見た時、『月の砂漠』が大好きなおじいさんが出てきて、あの曲はやはり大人になっても好きな人がいてもおかしくない曲なのか、と思った。それだけ心に残る、伸びやかなのに哀調を帯びたメロディと、物悲しい歌詞だ。

ところで、シャレール荻窪の横にある善福寺川沿いの道は、今度は大谷戸橋から西田端橋の間が河川工事で通行止めになっていた。それを知らずに桜を愛でに来た人たちがちょっと面くらっていたが、それでも桜の木の周りは開放されていたので、そこに敷物を広げてお弁当を食べたり飲んだりしながらみんな楽しんでいた。


【追記】2024/04/08
これを書いた後、同じ頃に、同じ10号館に住んでいた私より少し年長の方(知人、というのか、幼なじみ、というのか)から、
クローバーにアメリカシロヒトリがついていたのを見た記憶がない、
桜の木にはついていたけれど、クローバーの群生はただ勢いを失っていっただけだったように思う、というメールをいただきました。

言われてみると、確かにアメリカシロヒトリは樹木に巣を作るというし、
もしかしたら彼らが大量発生した時期と、クローバーが衰えていった時期とがたまたま重なっていて、私の親がそう思い込んでいただけなのかもしれません。

ということで、アメリカシロヒトリがクローバーを食いつくした、という件については、親の勘違いの可能性もある、ということをいちおうお断りしておきます。

いずれにしても、荻窪団地の敷地がクローバーで埋めつくされていたことがあったのはほんとうらしい。初夏に白玉のような花が咲くと、そこに群がっていたのはアメリカシロヒトリならぬミツバチだったとか。

【さらなる追記】2024/04/17
ここに出てくるノブ君という男の子は、姉の話によると私より一つ年下ではなく、逆さまに一つ年上だったそうで、
しかも私が自分のことを「ボク」と言っていたので、ノブ君は反対に自分のことを「わたし」と言っていたそうな。

そう言えば、確かに私は自分のことを「ボク」と呼んでいた時期があった。
心配性で泣き虫で、しょっちゅう近所のいじめっ子に泣かされてばかりいたのに、
それとは違う、潜在的な自分の別の一面を見たような気がした。

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