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【史跡・神社仏閣巡り】寺部城祉周辺を歩く(前編)ー愛知県豊田市ー


はじめに

以前より「先ずは寺部(愛知県豊田市寺部町)に訪れなければ……」と思っていた。
※家康公初陣「寺部城の戦」は資料が少ないため、私ども一族と寺部鈴木氏と関連があるか否かは断言は出来かねる

しかし、特に岡崎市外に赴き、現地の博物館の学芸員の方々と立ち話をした機会が数回あり、その際に「寺部(鈴木氏)か?」と聞かれることがしばしばあった。

家系図が正しければ、室町時代に寺部城主だった先祖もいる。加えて、竹村城主だった方もいる。猿投神社の神職になった方もいる。
「絶対に寺部鈴木氏ではない」と明言できる証拠もない。

歴史と先祖に興味をもち、調べ始めて早1年半。
遅すぎるとは思うが、先日、豊田市寺部町を訪れてきた。
その記録を前編・後編に分けて記述していく。

ちなみに、詳しいブログを記載されている方がいらっしゃる。
私は心が思うままに訪れてきたため、詳細は関谷様が書かれている記事を参照していただければ幸いだ。

愛知県豊田市

某大手自動車会社の本社が在る都市だ。

赤線内が豊田市
合併もあり、非常に広い市だ
画像出典元:Googleマップ

豊田市にクローズアップする。

愛知環状鉄道、名鉄・三河線が乗り入れる
赤で示した場所が寺部町だ
画像出典元:Googleマップ

今回の旅路

前編で触れる史跡、神社仏閣を以下のとおりにお示しする。

画像出典元:Googleマップ

旅を始める

矢作川

矢作川が大きく蛇行する寺部町。
戦国時代には自然の要塞が大きく機能したのではないだろうか。

鎧で川は渡り難かったのではないかーー
@川田公園周辺
上流にちかいためか、握りこぶし大の石が転がる
川の水は澄んでいる

堤防より北に向かっての1枚。

正面に見える山は猿投山かーー(真偽不明)

法珍のすみれ草句碑

川田公園近く、上記の堤防横に碑があった。

「戴いて 踏め法珍の すみれ草」
江戸時代にこの周辺の堤防が洪水で決壊。復旧工事が幕府の事業として行われ、その感謝の気持ちを村人に伝えようとし渡邊家譜代奉行が詠んだ句、とのこと。
参照元:平成6(1994)年3月 渡邊守綱顕彰会 看板

守綱神社

上記の句碑の正面に守綱神社があった。

全てがご神木かーーと思うほど立派な木々に囲まれていた
御祭神は渡邊守綱公とのこと
私は入って良いか……と少々悩んだ
本陣
木々に囲まれ、古き良き神社という外観

寺部城祉

どこが入口か少々悩んだが、上記の守綱神社の北側に在る。

今回の目的はこの地。
先祖がこの城址と関係があった場合、何かあるかもしれない……と思い、神棚にお供えしたおさがりの塩をポケットに忍ばせて訪れた。

確かに、木々に囲まれた城址だ
井戸が複数
今は礎が残るのみ
この石も室町時代からこの場にあったのだろうか
言葉が出てこない
土蔵跡1
土蔵跡2
土蔵1を望む
画像左側中央部の石には「書院」
他にも「母屋」「仏間」とあった
気の利いた感想は一切沸いてこず、無心で場所を確認し写真を撮るのみ

今もこの地を守ってくださる地元の方々に感謝し、この場を去る。

遊佐家長屋門 附土塀

守綱寺の西側に在り。

土塀は江戸時代末期建造。
守綱公の普請奉行を務めた御家柄の門、とのこと
参考:豊田市教育委員会 看板

真宗大谷派 守綱寺

先祖(重辰と松平新右衛門)と相対した可能性もある渡邊守綱公。
少しばかり悩みはしたが、その後、寺部城をしっかりと守っていらっしゃったことには変わりない。
恐らく今は渡邊守綱公をはじめ、渡邊・寺部領主代々の方々が地域の方に良く思われていることだろう。
その感謝を伝えればよい。そういう思いを心に参拝してきた。

あじさいがとても美しい仏閣

静かに参道を歩く。

豊田市教育委員会様によるご由緒の説明板
山門越しの本堂
鐘楼(?)と紫陽花
手水鉢を主にした鐘楼と紫陽花
手入れの行き届いた緑が非常に美しく、心が洗われる
本堂
静かに手を合わせる

ちょうど坊守様(と思われる)が境内の掃除をなさっていて、
「本堂の裏に渡邊家代々のお墓もあるので是非」
とお声がけいただいた。

私の根性がなく申し訳ないが、この日は曇(帽子は不要)と思ったら意外や意外。雲がきれ容赦のない陽射しで肌が痛いし、何より暑い。
また折を見て寺部には訪れるため、その際に……ということで今回は失礼した。(……もったいない)

前編のまとめ

大東亜戦争の戦火から逃れたのか、趣深い神社仏閣や史跡が多く残っている地域。個人的にそう感じた。
大変に貴重で今尚現存することが有難く、また、その歴史を守っていらっしゃる方々に頭が下がる思いがした。
豊田スタジアムからもほど近いエリア。
古と現代が巧く融和されている場所だーーと強く感じた。
豊田市は様々な事情で県外から多くの人材が来る都市だ。大事にする歴史、取り入れなければならない新しい考えが他の地域と比較し、なされているのではないかーー。
そう少しばかり羨ましく思った、6月のある日の昼下がりだった。


最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

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【参考文献/サイト】
ツーリズムとよた https://www.tourismtoyota.jp/
豊田市HP 
https://www.city.toyota.aichi.jp/index.html
https://www.city.toyota.aichi.jp/shisei/profile/1041786.html
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