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【ショート集】コタンの雌ぎつね

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ショート小説集第二篇
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#創作大賞2023

【ショート小説】Thank you, my twilight

【ショート小説】Thank you, my twilight

バチんと水分を僅かに含んだ炸裂音が響いた。レースのカーテンを揺らす風が真夏の湿度を外から止めどなく室内へ運んでいる。僕はコップの底に染み込んだ黄色い液体をわざわざ持ってきたストローで吸い出しながら母を見た。浅黒く日焼けした肌は、やけに赤みを孕んで腫れ上がって見える。母は整った顔を醜く歪ませながら、一心不乱に自らの腕をバチバチと叩いていた。どうしたのとゆっくりと聞くと、蚊がね、いるのよ。と渇いた返事

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【ショート小説】パスコードみたい

【ショート小説】パスコードみたい

「明日の東京は雪になるわ。」
静かな微笑みを床に落として、娘はベージュの鞄を引き寄せた。細く白い腕には幼い頃の危うい脆さが今でも見る事ができて、思わずふっと息を零した。
「そうか。」
病室の窓から外を見ると燦々と降り注ぐ太陽の光が、僅かばかり夏の香りを残して遥か彼方まで真っ赤に染め上げているのが見える。私は窓辺に置かれた水を一口含んで、娘を見返す。娘は目を挙げる事無く、そのまま無言で病室を後にした

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【ショート小説】宿命さえ運命さえも、どうぞ輝かせて

【ショート小説】宿命さえ運命さえも、どうぞ輝かせて

僅かに冷え込んできた空気を喉に入れ、微かな張りを感じると、意識は鮮明に色を付けていく。顔を上げて、いつもの景色を見ると顔面に張り付いた風が優しく髪をかきあげて、冷気を残したまま何処かへ消えていった。5年は乗っているアレックスモールトンの小振りなペダルに力を入れて、出来る限りの最速を保ったまま、僕は幼い頃から通い慣れた道を走っていた。田んぼの間を縫って広がる道路から、細い砂利道に入っていくと、再び突

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【ショート小説】わたし少女A

【ショート小説】わたし少女A

目には見えないほどの巨大な団扇を振り下ろすように、身体を吹き飛ばそうとする風が背中から足早に通り過ぎて行った。僕は不意にそれを掴みに全速力で走り出した。9月も半ばに差し掛かった午後の2時頃である。車も見ずに道路を横断すると、立ち塞がるフェンスを鷲掴みにしてグイグイと上へ登り、いとも容易くそれを乗り越えて、日常の向こう側へ降り立つ。誰もいない場所には希望に満ちたような鋼が遥か遠くまで伸びている。その

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