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思考のハイギアを稼働させよ

先日、ジェンダー勉強会に参加したあとオーバーヒートしてしまったわたしの頭を冷やすため、とりあえずここで言語化してみた。
岡田斗司夫さんが言ってたのだっけ? わたし、思考のハイギアが全然発達していなくて、だいたいにおいてローギア思考である。記憶が怪しい部分もあるが、思考のハイギアというのはいわゆる瞬発力、「こう言われたらこう返す」みたいな回路のこと。対してローギアは、熟考というのか、じっくり精査するような回路を指す。
わたしに足りないのはハイギアなんだな…だから考えたことを文章にするのも時間がかかるし(文章化が遅いのは、語彙力とかそもそもの国語能力の問題かもしれないが)。わたしハイギアを鍛えるべきよね、怒りの沸点到達に時間がかかるのもこれに起因している気がする。(言い返せなくて数日後、くちびるをぐっと噛む)

というわけで、前回の続きみたいなものを書いてみる。懲りずに、三十分一本勝負。

☆☆☆

先日のジェンダー勉強会で講師のひとりとして登壇された方と、後日、個別に話す機会があった。
なんて書いたけど、もともと知り合いで、その勉強会もその方が紹介してくださって参加した。その方も入っているグループラインに勉強会の感想をぶつぶつつぶやいたら、「ちょっと話す?」と個別に連絡をくれたのだ。

「先日は参加してくれてありがとう。オーバーヒートって書いてあったけど、どうした? なんかあった?」
「いえ、特になにも。あの勉強会が発端でいろいろとこれまで考えていたこととか、周辺の情報がごちゃまぜになって、勝手にひとりで活火山みたいになってただけです」
その方は長く、行政や民間を含めさまざまな場所で相談支援の仕事を続けている。必然、引き受けた業務の数は膨大だ。知識も経験も当たり前だが足もとにも及ばない(そもそもわたしは支援業務の仕事などしたことがない)。

一部のひとたちのあいだで、その方はある種のカリスマのようになっている、と気づいたことがあった。
豊富な知識、カウンセリング技術を持ち合わせているということを含めた話しやすさ、もともとの性格に由来しているのかもしれない包容力。それらは弱っているひとたちを魅了する。このひとについて行ったら助けてくれるかもしれない、から始まり、このひとの言うことは聞かないといけない気がする、へ変わり、このひとの言うことには逆らえない、へ向かう。このひとの言うことに違和感を持ったらだめ。持っているわたしは「外のひと」に「なる、という気配。

わたしもそんなものを抱いてみたり、手放そうとしてみたり、でも手放すことに抵抗があったりして距離を置くという方法を取ったりした。幸い、わたしにはその人に関して腹を割って話ができるひとがいたから、盲目的にならずにいまに至っているように感じる。

自分が弱っているときはそのひとに近づかないほうがいい、と決めてから、そのひととの関係は居心地のよいものになった。あまり求めなくなった。
そういうわけで、対等ではぜんぜんないけど、言葉は慎重に選ぶけど、変な上下を意識しすぎずやっと話ができるようになった。

ジェンダーについて感じている微妙な違和を、前回のnoteに書いたことも含めて話した。
「で、わたし思ったんですけど。結局、自分が自分の存在を肯定できたら、他人のことってどうでもよくなってくると思うんですよね。ものすごく基本に立ち返った感じの結論になっちゃいますけど」

話題は、あるトランスジェンダーのひとについてだった。
講師の方が関わったあるひとのことで、身体性は男性、こころは女性という方が「世の中の女性に対して自分を理解してもらいたい」と活動されている、という話だった。外見のこだわりや、その活動の在り方になんだか疑問を感じてしまう、穿った見方をしそうになる、とわたしに打ち明けたのだった。
「なんか、なーんか変な感じがするんだよね」
「その感じ、なんだかわかるような気がします。女性にわかってもらいたい、というところとか。男性は?って思うし、外見のこととか、なんだかねじれているように感じます」
「だよね、同僚の○○さんにも話したんだけど、『?』という反応だったんだよ。べつに何も感じなかった、熱心に活動しているひとだと思った、って」

具体的なエピソードを避けて書くとなんじゃこりゃな感じだけど…それぞれのひとの捉え方があると思うし、それこそ言語化できない感情をひとりひとりが抱えている問題だと思うから、決めつけにならないようにいつも以上の配慮は必要だろうけど。
でも、誤解を恐れず言うなら、「結局、自分が自分の存在を肯定できたら、他人のことってどうでもよくなってくると思うんですよね。ものすごく基本に立ち返った感じの結論になっちゃいますけど」なのだ。

自分が自分の存在を肯定できないから、他人にそれを求めるのだろう。自分というもののなかみを満たさないまま他人にそれを求めたら、それはいわゆる承認欲求なのではないか。あるいは、自分が自分を認める前に誰かに肯定してもらった出来事があって、それがドーパミン放出イベントとして心身に刻まれた結果、「自分より他人に認めてもらうほうが心地いい」という感覚が大きいのか。

ああ、また浅学なままエラソーに書いちゃった。そして三十分すぎちゃった。はいやめ。ピー!(笛)
これはローギア思考も協働すべき議題だわ。もちょっと考える。答え出ないのは知ってる!

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