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「i」私は私を抱きしめる。

西加奈子さんの「i」を読んだ。小説読みながら久しぶりに号泣した。
自分と重なるとこが多すぎて小説と自分の言葉が重なって、過去が走馬灯のように頭の中を巡っているから、ここに残しておきたいと思う。

高校生の時、死にたいと思った。
それまで、何度も死にたいと思ったことはある。人間関係が辛くて、自分が嫌いで。でも高校生の時の死にたいは、申し訳なくて、自分が幸せに生きていることが申し訳なくて死にたかった。世界で毎日のように起こる悲惨なニュース、そこで死んでいく人たち、人間の尊厳が守られず苦しむ人たちを想像して、胸が痛くて死にたかった。胸が痛いくせに自分の日常は否応なしに過ぎていくことが耐えられなかった。

過去の自分の痛みを想起して、自分の痛みに浸りたかった。
もっと私も今痛い思いをしたい。
何でもっと苦しい経験が私にはできないのか、と思った。
だって、どれだけ私は彼らを想像して苦しいと感じても、私にはそれを語る資格はない。何もできない。何もしていない。と何かに押しつぶされそうだった。

私が人生で1番痛い思いをしたのは
戦争体験者の痛みを想像した時だ。苦しくて苦しくて喉に引っかかる痛みと胸の痛みだけが自分の痛みとして感じた。た、ではない。それは今も感じている。
4年半前の沖縄で、座間味島でおばあの話を聞き、あの美しい座間味島で起きた悲惨な集団事件を体験した人たちの痛みを想像して、港で号泣したことは一生忘れられない。後にも先にもあんなに辛くて心が痛くて泣くことはないと思う。

そんな私を抱きしめて
「答えがないのは当たり前。おばあの話を理解しようとして努力した。それが答えでいいんだよ。」
とおばあの息子さんが言ってくれた。

あの瞬間私の心に刺さっていた無数の針が、何年も何年もかけて自分の心に刺し続けていた針が抜けていった。
「理解しようと努力する、相手の痛みを想像し続ける。」
<それが、答えでいい。>

私はそれから
世界で起こる悲惨な事件や、苦しんでいる人、心痛めている人の気持ちを想像して心を痛めている自分を許せるようになった。

あの時の旅で初めて心から自分を抱きしめてあげたいと思った。
ほかの誰かに抱きしめられたい、ではなくて、自分を自分で抱きしめてあげる。「生きていて良かったね。生まれてきて良かったね」って。

それから、一年後
私は「被害者」になった。「被害者」と言われる存在になった。
でも心は痛くなかった。
きっと私の周りの人に同じことが起きたら苦しくて苦しくて苦しくて胸が張り裂けていたと思う。
でもいざ自分に起きたら、何の痛みも生まれなかった。
ただ私に残ったのは「被害者」になったという事実と生きていて良かったという思いだけだった。
思っていたのと違った。
「被害者」になれば痛いと思いっきり叫べれると思った。でも心の痛みより先に私に押し寄せてきた感情は「生きていて良かった」だった。死ななくて、良かった。生きているだけで良かった。

あんなに自分が体験した自分の痛みが欲しかったけど
結局私は
私の痛みを想像して泣く両親の痛みを想像して、痛かった。

それが痛くて、今も涙が出る。

それで分かったのだ。
私はどんな環境に置かれても
私だということを。
山本和なのだ。
これからも山あり谷ありの
人生だろう。
色んな人に出会って愛されたり、傷つけられたりするだろう。

それでも、私は私で、生まれた時からから今まで変わることがない私なのだ。どんな経験をしてきた私も、しなかった私もきっと変わらない私だ。

それって凄く尊くて、大切で、強いことだ。

だってこれからどんなことが起きても私はこう思える。

生まれてきて良かったね、
生きていて良かったね、
山本和で良かったね、
そして
そうやって自分で自分を抱きしめ続けてあげられる。
それと同時に他人の痛みを想像し続ける心がわたしにはあり続ける。

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