なぜ世界は広いのか?

さて,まもなく29歳を迎えたこの地球のいち凡人として,今日も発信をしよう.

今回は,自分のTweetを掘り下げるという,ビジネス系YouTuberっぽい感じでいこう.

「世界は広い」

そんなありふれた言葉を,月に1度は使ってしまう.

何が広いのか?

気がついたことがある.

人間の可動域は有限である以上は世界は広くないではないか?

では,なにが,「世界は広い」を感じさせるのか?

それは,認知の次元だ.
このツイートでは段階という言葉を使ったが,差別的な意味合いと捉える方もいるので,次元にした.

何が言いたいのかと言うと,
その人が経験したことや知っている知識によって,
すべての物事は捉え方が異なるということだ.
その組み合わせは無限大だろう.

これが世界を広くする原因だということに気がついた.

僕は,教壇をとっていたこともあり,
よく,自分の過去の感情と,今の自分の感情の2つを使って,
目の前の事象を考察するクセがある.
これだけでも,世界を2倍体感する.

そして,人間の脳のインプット量に制限はないと言われている.
つまり,認知の次元は無限に形を変える.

最近思ったことを例にすると,

Notionのショートカットキーを1〜2日ですべて使えるようになったことを,
Notionの愛情を示すために話すのだが,誰もが驚きと賞賛をする.

しかし,一つのアプリのショートカットを覚えることは,
普段使っているJavaScriptのメソッドを覚えることと比べたら,
それは,単語帳の最初のページを覚えるのと,単語帳を全部覚えることの違いに相当する.

これほどまでに認知の次元は深いと感じた.

多くの経験をし,知識を蓄えたあの署名人は,どんな次元で物事を考えているのだろうか.

そんなことはわからない.

どんなことをしたって自分の次元からは出られない.

それは客観的になれないのと同じだ.

だから,主観の中に多くの世界を築くのが,もっとも優秀であると思う.

そんなことを考えながら今日も,やりたいことやって生きる.

5分前にやりたいと思っていたことは,すでに別の次元へと変わる...

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