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貴方の芝生は橙色

青色の補色は橙色という事でこんな題名にしてみました。
なんとなく秋感を感じてしまいますね。笑

隣の芝生は青いというのは、
「自分のものより、他人のもののほうが良く見えるということ」
を意味しますが、人生を生きているとよくある事です。

隣の芝生は青いというのは、
個人的に考える必要のない考え方だと思っていて、
多様性も幸福の価値も多彩にある人生では、
比較する事自体がナンセンスな気さえしてしまいます。

では、そもそも論の前提を考えてみましょう。

・隣の人の園芸の努力が物凄い
 相手の努力が見えなければ、単に羨ましく思っても意味ないですね。
・芝生を比べたら向こうが青いかも知れないが、
 庭に生えている木を見れば自分の方が実がなっている可能性がある。
・もしかしたら、人工芝でものすごい鮮やかな色を塗っている
 人工芝と天然芝の手入れの難しさや、芝の種類もありますよね。
・比較する以前に芝の手入れをする努力を怠っている
 比較する以前の問題ですね。
・仮に北海道で、隣の家まで1km以上あり、土壌の質が異なる
 元から良い土壌の場合、羨んでもしょうがないですよね。
・そもそも青いって良いのかどうかが疑問
 「青が良い」という前提条件の否定から入るのはいかがでしょうか。
・もしかすると銀色の芝生が希少価値の可能性
 オンリーワンの存在を生んでいるかも知れません。
・一時的に綺麗でも、気候の変動に弱いかもしれない
 自分の芝生の方が気候変動に強く長期に景色を楽しめる可能性。
・芝生の手入れに物凄いお金が掛かっているかもしれない
 燃費のよさ、コスパで考えると自分の芝のがいいかも知れません。

正直な所、隣の芝生を見ている暇があれば、
自分が良くする為の行動をさっさと取った方がいいという話です。

また、上記に挙げた中で、特に重要視すべきは基準です。

「美しさ」なのか「鮮やかさ」なのか
「手入れのしやすさ」なのか「費用感」なのか
「揃え方」なのか「色の度合い」なのか
「使用しても劣化しない」のか「気候に強い」のか
「希少性」なのか「土壌成分」なのか

何を重要視するかによって、
自分にとっての芝に対する価値観は異なってきて、
そもそも比較する必要があるのかという事が浮き彫りになります。

目指す基準に対して、自分の芝生が満たしていないのであれば、
満たせるように努力すれば良いだけの話で、隣の芝生を見ている暇が
あるなら、ブロック塀で見えなくすればいいだけの話です。

逆に基準を持っていて、自分の理想が目の前にあるのであれば、
「あなたのその素晴らしい芝生の秘訣はなんですか??」と
質問をして、実直に行動するだけの話になります。簡単ですね。

結論、「貴方の芝生は橙色」でも良いのではないでしょうか。

それは、自分自身にとっての芝生の色が個性であり、
自分にとって鮮やかであり、綺麗と考える感性があれば、
もしかするとオンリーワンの存在になるかもしれません。

大事なのは、基準であり、自分を保つ軸なのではないでしょうか。

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