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夢に手が届く感覚

「夢は叶わないから夢」という人がいる。
「ホンマに?!」と耳を疑ってしまうが、諦念が強い人もいる。

それは決して悪い事でもないし、ある意味では
諦められないものを諦められる大人としての能力かもしれない。
それが人生において多くを手に入れるための犠牲かもしれないし、
その人が周囲の人生の期待値に応えただけかもしれない。

それだけ、夢を叶えないこと、諦めることというのはごく一般的だ。

よく日本の思春期に表現される「中二病を卒業する」というのは、
もしかすると夢を諦めることに近いかもしれない。

夢と現在の自分の位置とのギャップを埋めやすいのも、
この時期特有の特徴とも言える。
要は、自分を高めるか、夢自体を手前に持ってくればいいのだ。

だがしかし、私は残念ながら未だにギャップに悩み続けている。
「中二病すら卒業できていない」
「大人になりきれていない大人」であるとも言えるかもしれない。
少し恥ずかしいとすら思ってしまう。

ビジネス(仕事)においては、一見かなり大人に見えるかもしれない。
文句も言わず、10年程度がむしゃらに企業で働いてきた。

人に誇れるレベルかどうかは置いておいても、
今現在、障がいを持っていても正社員として雇ってもらえるだけの
力量はつけさせて頂いたし、それなりに自分でも努力をしたつもりだ。

結局、社会人になってから10年を超えたが、
企業から得られる事、最大のメリットは、極論するとお金と信用である。
その代わり従順に従って、自分を捨てる事を多かれ少なかれ求められる。

だが、私の場合、従順でありながらも自由度がある会社を選び、
「いつ辞めても大丈夫」な状況を作る事で、精神的な安定をつくってきた。
それが正しいのかどうかは置いておいても、この状況をつくった結果、
何を得られたのかというと、自分の理想や夢と、ちっぽけな現実を
近付ける行動、仕事、プロジェクト、部署を選ぶ事ができたと思っている。

結果的に、それが割と社会的貢献度の高いプロジェクトにも繋がったし、
リスクを取れるので、成果も短期で生み出しやすくなった。

車のハンドルには遊びという要素があります。
それは、少し操作したぐらいではタイヤの角度が変わらないようになっていて、
逆に遊びがなければ、道路の路面状況がダイレクトにハンドルに伝わるように
なっている。つまり、少しばかりの余裕が安全性を生むことに繋がります。

私は意図的にハンドルの遊びを用意する事によって、多少の運転の
誤差は生じますが、険しい道でも乗り越えていけるようにしています。

今、私が思っているのは、10年サラリーマンをやってみると、
様々な基礎的な能力が身についたということです。
「そんな能力いらんし」と言ってしまう人には不要かもしれませんが、
私にとっては貴重な能力だと考えています。本当にがんばってよかった。

私の信条としては、「世の中を1mmでも良くしていく」というものが
ありますが、これは現在進行系で自分の中では進んでいます。

それは他人から見ると、ちっぽけで、雲を掴んでいるように見えて、
何をやっているのかが分からないというのがあるかもしれませんが、
私は今日も元気に信条に従った行動を取るだけと考えています。

これは一言でいうと、「夢に手が届く感覚」というものです。

正直、まだまだ大人になりきれない中二病ですが、
本当に、今感じている必要なのは「覚悟」と「勇気」だけだと考えています。

社会人になって、荒波に揉まれて、色々な縛りができて、
「夢なんて、、、」と思ったり、もしかすると「自分の夢ってなんだろう?」
という状態まで、自分を失っている人もいるかもしれません。

しかしながら、たかだか社会人を10年やった若造かもしれませんが、
「もしかすると夢に手が届くかもしれない」という感覚に近づいているのは、
あるので、今頑張っている事に意味がないことはありえないと考えています。

どんな活動をやっても得られる事はあります。学べる事はあります。
結局、自分がそこから何を吸収して、どれだけ深化、進化させるだけなのかと。

改めて、考えてみましょう。あなたが本当に手に入れたい「夢」はなんですか?

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