nire

自分を変えたい。こんな自分はもう嫌だ 何年も前からそう思っているのに 変わらない。 …

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自分を変えたい。こんな自分はもう嫌だ 何年も前からそう思っているのに 変わらない。 noteを始めて日々変化している自分に気づく せっかくだから記録続けようと思う 共感してくれる人いるといいな

最近の記事

手放すといいこと#3

手放すといいことはまだまだたくさんある。 よくない思考に支配されないことは とても生きやすいように思う。 例えば起こってもいないことを心配することとか…。 全て不安と恐怖が軸だ。 余計な人との付き合い この一文を文字にする時、一抹の罪悪感がでる。私と関わり合いのあった人達の顔がよぎる 皆愛すべき人達だ。 ただ今ではないということ。 他人の感情も自分の思考を支配することは可能だから。 思い切って排除する…今は。 なんだか頭の中にスペースができる これがたまらなく

    • 手放すといいこと#2

      昨日の続き。 今考えてみても不思議なことが起きたと 思う。 仕事は辞めると心の中で固く決意した。 がしかし特に何一つ行動は起こさなかった。辞めると決意しただけだ。 どうやって辞めようか? 考え始めたただけでエゴや自我が色々言ってくる。 頭の中が大騒ぎする 家族になんていうの?収入途絶えるよ? 今は会社は人手不足じゃない辞めたらみんなに迷惑よ?退職なら最低でもひと月前に言わないと、またわがままでたな、 などなど…。 「面倒だ。知らない。でも辞めるから。決めたから。」

      • 手放すといいこと

        頭の中の思考がぐちゃぐちゃで、それはもうガムのように頭の中にくっついて私を私ががんじがらめにしていた人生… ようやくそれに気づいた時には50歳になっていた。 ちょうど去年何回目かの [人生嫌になった期]に 意を決してnoteに投稿してみた。 あれから何が変わったのだろう? まず仕事は辞めた。介護士という職業。 体が動かなくなるまでやろう。特に定年もないし、リーダー職も与えられ、それなりのやりがいもあった。職場の仲間もみんな好きだった。 しかしあっさりと体が壊れてしま

        • 私の罪悪感

          夜さあ寝ましょうかとリビングの電気を消そうとしたら娘がひゃあとリビングに飛び込んできた。 何?と思っていたら、ゴキブリいますと。 娘も私も虫は苦手だ。 どうやら階段の壁にいるという。娘によるとかなり大きいらしい。 うちは山の高台に住んでいて、猫もいるせいかゴキブリはうちには住んでいない。 たまに庭とかで見ることはあっても 家の中では何年かぶりだ。 なので安心しきっていた。でるわけないと。 しかし久々に見ると山のゴキブリはでかい。ゴキブリの域を超えている。 娘はもう無理で

        手放すといいこと#3

          どんな自分でも認められる生き方にチェンジ

          自分を変えたいという欲求がわたしを突き動かし今に至る…訳だが 最近自分を振り返るということを自然と行なっている。 過去の自分はどうだったんだろうか? 今までは辛くて向き合えなかった過去だ。 恐る恐る思い出す。 私はなんで他人のあの一言であんなに傷ついてしまったのだろう?とか。 なるほど、あの時の私の思考や選択で 一気に不幸な出来事が加速しちゃったんだ…とか。 あの時のあの自分の考え方では結果はまあそうなるよね…とか。 反省とも少し違う。経験…経験だ。 これからはこ

          どんな自分でも認められる生き方にチェンジ

          秋降る雨

          仕事を辞めてしまった。それもわりと突然に…。 少し空虚な感じ。体力的にもきつく大病を経験した私には、どこかで限界を感じていたから、辞めるということは致し方ないことであった。 もう体にも嘘はつけない。ふくらはぎが張る。つることもしばしば。痛みも感じる…定期的に病院に行ってる為なにかの病気ではないことはわかる。 であるなら…?おそらく行きたくないのであろう。足が嫌がっている。 私は単純な人間だ。 足が痛い=歩きたくない=仕事行きたくない そうかそうか、そうだよね。仕事行き

          秋降る雨

          失敗をかえりみる

          人生100年とすると見事に半分は過ぎてしまった。振り返ってみると失敗の連続だった。 大変大きな失敗により命を落としかける…みたいなこともわたしの場合でいうと一度や二度ではない、今まで生きてこれたのは、やはりなんらかの運、または守って頂いている存在のおかげであると思っている。 私は目に見える世界より目に見えない世界を信じている。 元々信じていなかったけど、あまりにも不思議な出来事によって生かされた…という事実により信じるというか受け入れるということになってしまった。 年

          失敗をかえりみる

          なんだかさわやか

          「自分に正直に生きる」 この言葉を脳にインプットして以来、かれこれ1年前になるかな。 私の中でいや私の外にも、私が変化していった。それは、その症状はそこかしこに現れる。 例えばどういったことか? とにかく嘘がつけなくなった。 会いたくないなあという人には会わない 誘いもきっぱり断る。 しつこい場合なんなら無視する。 以前の気を使う私なら絶対にしないことだ。 いいたくないお世辞おべんちゃら言えない。以前の私は人の自慢話はきちんと聞いて、相槌打ってすごいーとかいいなーとかを

          なんだかさわやか

          すっかり私の世界が変わってしまった

          自分が変わるタイミング かれこれ一年前に今の自分に嫌気がさして noteに記しつつ自分が変わるタイミングというのを模索しはじめた。 まずはダイエット 今となってみると 自分を変える、思考のトリックに気づくという トリガー、引き金にすぎない出来事だった。 ちなみに今の体重はマイナス5キロ減で止まっている。 少しの増減はあるものの前のように体重が増加し続ける、又は食欲が沼のように 止まらない地獄…みたいなことはなくなった。 今はこの体重が気に入っている。 5キロ減ではある

          すっかり私の世界が変わってしまった

          夏のはじまり

          夏は短い。夏の楽しみはたくさんある… 海に山に… がしかし子供の頃に比べると格段に暑さには弱くなっている。 暑い暑い…口癖のように言っているし 私と同年代の周りも暑い暑いしか言わないかも。 どちらかと言えば夏の捉え方がネガティブになっている。子供の頃のようには 、はしゃげない自分がいる。 海に行く?行くまでが暑いから嫌。 山に行く?そんな体力もない… 家でクーラーのなかでひんやりしている自分しか想像できない… もう夏だから暑くてもいい そう割切れたら楽かも。 すぐ

          夏のはじまり

          夏至

          私は夏至、冬至、春分の日、秋分の日 必ず体調がおかしくなる。 具合が悪くなるのとは違う。 目眩がするような、頭の中が沸騰するような…地に足がつかないような… いつかのテレビの番組で夏至がテーマで古代からの建物は世界中夏至を起点につくられている…というようなもので、マチュピチュや宮島の鳥居 モアイ像などもそうだった… 太陽の位置を計算して作ってある そんなような内容だったと思う。 私は人間の体にもなんらかの影響があるんだ、その時なんとなくそう思ったが、あらためて気にしてみる

          春を告げる

          気づけばもう3月だ。 前にも書いた気がするが、新しい季節に変わる少し前が好きだ。 時折吹く風が少し暖かかったり、どこからともなくやってくる花の香りだったり ああ冬は終わるんだなあ、新しい季節がやってくるとふと感じる瞬間。 次こそは何かいいことあるんじゃないか? もうリセットして新しく出直そう。 今度こそうまくいく…。 そんな風にずっと何十年と春をつかっていた。 最近はそういうのは幻想だったんだなあとわかってきたので、そんな風には思わない。 無になる無になる瞬間が増え

          春を告げる

          意識の変化

          最近本当に無だ。まだ無が続く。私はとうとう頭がおかしくなってしまった?いろいろ考えすぎて、一回りした感覚。そうしたら、もはや何もなくなってしまった。 「無」とはなんだろう?今まで私はこうでないといけない。 理想はこうだ。 ああなりたい。 などなどそうやって私を追い込む意識みたいなものがあった。 変わりたいと決め、日々自分の内側を見つめるという作業をすると共に、私を支配しようとするこの観念、思考?、意識?自我?呼び名はなんでもいいかな。頭の中を支配しているこれらは 一

          意識の変化

          変化の兆し

          変わりたい。こんな自分は嫌だ。自分にうんざりして、でも何をどうしたらいいのか?なす術も見つからず、まるで荒波の海のど真ん中で岸も見えずに呆然としているような心境。 こんな心境になったのは秋の始まり 9月ぐらいのことだった。 それから早5ヶ月が過ぎようとしている。 最近の心境、もはや思考とかでもない。 心の感じとでもいうのか?変わっていることにふと気がつく。 大きな変化ではない。あれ?なんか違う?みたいな気づくか気づかないかわからないぐらいの 微妙な変化だ。 最近に

          変化の兆し

          価値観の変化#4

          気づいていても気づかないふりしていたなあと 思うものがたくさんある。 私はかなり人と違う価値観を持っている。 それはもちろん物心ついた頃からだ。かぞえあげたらキリがない。 例えば、地球は自分を中心に回っていると思っていた。主役は私。私以外はない。まわりはみんな脇役。私をひきたてるために周りがいる。全力で周りがサポートしてくれてる…人生なんて思い通りだ。 そうじゃないとわかってしまった時のあの衝撃…小2の夏だった。私が主役ではない?まさか…心の中の積み木が崩れる音がした。

          価値観の変化#4

          価値観の変化#3

          今の自分が嫌になって変わる決心をした。 果たして今の自分の何が嫌だったのかと ふと考えた。 嫌だったのは起こった現実とかではない。 自分に嫌気がさしたのはあるが全否定というわけでもない。 私を突き動かしてしまうくらい嫌だったのは 苦しいような重いような感情 胸がくるしくなってしまうような重い石が胸に乗ってしまうような感情 これが嫌だった。もちろん今も嫌だ。そんなの誰だって嫌に決まっている。 4ヶ月前私は体重が増え続けていると思い込んでいた。体重が増えると言うことは容姿が

          価値観の変化#3