価値観の変化#4
気づいていても気づかないふりしていたなあと
思うものがたくさんある。
私はかなり人と違う価値観を持っている。
それはもちろん物心ついた頃からだ。かぞえあげたらキリがない。
例えば、地球は自分を中心に回っていると思っていた。主役は私。私以外はない。まわりはみんな脇役。私をひきたてるために周りがいる。全力で周りがサポートしてくれてる…人生なんて思い通りだ。
そうじゃないとわかってしまった時のあの衝撃…小2の夏だった。私が主役ではない?まさか…心の中の積み木が崩れる音がした。
そして電気屋さんで働く人を気の毒に思っていた。
「私のお父さんあの大型の電器店で働いているんだよ。」誇らしげに言う友達が気の毒で仕方なかった。
なぜなら私は電化製品は一回買ってしまえば一生使えると思っていたからだ。今に一生使えるものがでてくるはず。だからそのうち誰も買わなくなるよ。友達のお父さんは仕事がなくなるね…かわいそうにと心から思っていて胸を痛めていた。
しかし一生使えるものなんてない…電化製品は壊れゆくもの…。電気屋さんはなくならなかった…。
買い換えるものなのか…へえー驚きだ。
しかし本当のところ未だに疑問だ。一生使えるものでよくない?何年かしたら寿命だわと壊れるんだけど、壊れないもの作ったらよくない?とは誰も言わないね。それはテクノロジーではないのかな…
言い出したらキリがないんだけど、そんな自分を無理やり封印して押し込めていたなあと。
今考えてみてもヘンテコな思い込みばかり。でも最近そんなことを思い出すことが楽しくなってきている。
世の中が自分達の予測を超えて変わっていくのを目の当たりにして、なんか今までの常識が常識でなくなってる…と。
であるなら、今までありえないそんな常識聞いたことない、みたいなこともありえるのかもと。
テレワークや給付金、オリンピック延期…誰が想像しただろう?コロナ禍もそうだ。
世の中の価値観も一瞬で変わることもあるんだ…。いろんな価値観があっていいんだ。
今までの常識も疑ってもいいんだね。そんなことを思う時、少し気持ちが楽になっている。
私はこういう変化はああ大変な世の中だと嘆き悲しむよりも、できれば楽しみたいと思っている。
未来は良くなるに違いない。電気屋さんを憂いていた時とおなじくらい確信があるんだけど…。
今回は見当違いじゃないといいな。
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