見出し画像

カンヅメ

 どっかの結構高そうなマンションの一室で男女三人が派手な格好をした男に詰め寄っていた。

「先生、一体いつ原稿上がるんですか?締め切りまであと一週間ですよ。なのにこっちの連絡を無視して。一体進捗はどうなってるんですか!原稿見せてくださいよ!」

 この問い詰められているチャラい男は人気作家であった。作家は自分を物凄い顔で見下ろしている編集者たちにびびって渋々PCを開けて原稿を見せた。

「こんだけ?一か月たってこんだけ?全然進んでないじゃないですか!先生あの時言いましたよね?『このまま書いてけば一週間も掛かんないよ。俺の傑作楽しみに待ってな』あれはなんだったんですか!」

 編集者を代表して作家を問い詰めているのは女性編集者であった。これは編集者たちの作戦であった。自分たちが怒ってもこのバカはヘラヘラ笑って誤魔化して締切を伸ばしてくれと頼んでくるに違いない。だが美人のキツすぎる説教なら奴の胸に刺さる。そう彼らは考えたのだ。その作戦は見事に成功した。作家は女性編集者の説教を聞いているうちに泣きそうな表情になり、とうとう頭を抱えて喚き出したのだ。

「ああ!俺だって早く書きたいよ!だけど書こうとすると突然集中力がなくなるんだ。なんかいろんな事を考えすぎてアイデアがどっかにいっちまう。で、結局じっとしてられなくて外に遊びに行ってしまうんだ。自己管理が出来てないって事は重々承知しているさ。だけどもうどうしようもないんだ」

 この作家の自堕落極まるどうしようもない激白を聞いて編集者たちは作家をどうするか話し合った。そして話が終わると例の女性編集者が作家に言った。

「先生、このままなんの進捗がないと、やっぱりこっちとしても契約の破棄を考えなくてはいけません」

 破棄という言葉を聞いて作家は震え上がった。彼は最近株で大失敗してかなりの借金を抱えていた。このまま契約を破棄されたら自分はもう破産だ。破産した作家に執筆の依頼なんてする出版社なんてない。破産だけはなんとか避けたい。作家は女性編集者に縋りつこうとしてパシリと引っ叩かれて床に倒れた。彼は懲りずに女性編集者に縋りつこうとしたが今度は金的を喰らわされた。作家はのたうちまわり尽くした後で恥も外聞のなくもう泣きながら嘆願した。

「ああ!僕を見捨てないで下さい!一週間、絶対に一週間以内に小説書き上げますから契約は絶対に切らないで下さい!」

 編集者たちは顔を見合わせた。この作家は多分本気で言っているのだろう。だが小説家なんてのは本気でものを言ったとしても、その数時間後にはそんな事全て忘れているような人間なのだ。今目の前にいるこの男のような奴は特にそうだ。編集者たちは互いに頷いた。女性編集者は再び作家に向き直ってこう言った。

「先生、今みんなで決めたんですけど、先生にはこれから小説を書き上げてもらうために最大で一週間ぎっちりホテルに篭ってもらう事にしました。こういうのを業界ではカンヅメって言うんですけど、先生ご存知ですか?」

 作家はカンヅメと聞いて体がゾワッとした。本やらなんかで恐ろしげに監禁だの拷問だと語られていたカンヅメを今自分もやらされようとしている。作家はこれから待ち受けているであろう出来事が恐ろしくもあったが、同時にロマンティックなものを感じてもいた。特にさっきからずっと自分を叱り飛ばしているこの若き女編集者とのこれから起こるであろう出来事を妄想して恍惚となった。いかにも大手出版社の編集者らしくいい大学出てそうなインテリ女。書けない苦しみにのたうち回っている俺に同情して、そして車にも同乗して、ベッド激しい事故を起こすほどエンジン噴かせて……

「あの、先生人の話し聞いてます?めんどくさいからざっくり話しますけど、あなたには私たちが手配したホテルで小説を最後まで書いてもらいます。いいですか?これが業界でいういわゆるカンヅメです。書き上げたらそれで終わり。書き上げることが出来なくても一週間すぎたら終わりです。ただ書けなかった場合今後うちとの仕事はなくなりますけどね。先生お願い出来ますか?」

 作家は頷くしかなかった。むしろ邪な心でガンガン頷いた。すると女性編集者はにこやかにこう答えた。

「じゃあ今からすぐこの辺の空いてるホテルの部屋取りますので待っていて下さい。取れたらすぐ連絡しますので原稿の入っているPC一式と他に必要なものがあれば持ってきてくださいね」


 それからいくらもしないうちにさっきの女性編集者から電話がかかってきた。部屋が無事に取れたらしい。待っているから早く来いとのことだ。作家は待ってましたとばかりにPCと女性編集者と深い関係になったら必要になりそうなものを持ってまっすぐ部屋を取ってあるホテルへと向かった。

「やぁ」と作家はホテルのロビーで待っていた女性編集者に向かってはにかんだ笑顔で挨拶した。しかし女性編集者は眉ひとつ動かさず、あいさつもそこそこにエレベーターで彼を部屋まで案内した。

「さっ、ここで一週間以内に小説書き上げてください。じゃ私はこれで帰りますので先生後はよろしくお願いします」

「ちょ、ちょっと待て!俺がちゃんと小説書いているか一日中見張るんじゃないのかよ!」

「見張る?なんで私がそんなことしなくちゃいけないんですか。私が担当している作家さんはあなただけじゃないし、私にだってプライベートがあるんですよ。もし何かあったらメールで送ってくれればいいです。私も朝夕晩必ず先生に電話かメールで進捗状況お尋ねしますから」

 ああ!期待しただけ損だった!このガキ何がプライベートだ!お前らを食わせてやっているのは誰だと思ってるんだ!この俺、いや確かに他にも沢山作家は、俺より遥かに売れてる作家は、沢山いるけど、でも俺だってお前らのサラリーの何十分の一ぐらいは稼いでやってるんだぞ!作家は一人部屋で悔しさに悶えまくった。畜生こうなったらあのバカ女を悦ばす最高のラストを書いてやる!読み終わったらバカ女股間濡らして先生今まで冷たくしてごめんなさい。それも先生に最高傑作を書いてもらいたい一心だったんですとか言わせてやるわ!

 と勢いよくPCを開いて原稿に向かった作家であったが、原稿の文字の羅列を見た瞬間途端に決意が萎えてしまった。ああ!めんどくせ。一体なんでこんなめんどくせーことやらなくちゃいけねえんだよ。人間って結局は楽な方に行きたがるんだよ。やめたやめた。今日は初日だしゆっくり休んで明日から本気出そう。いや、むしろ今日は明日のために英気を養おう。とりあえずキャバでもいくか。

 そう決意すると作家はPCを開けたままホテルの部屋を出てそのままキャバレーに行った。それからガールズバーにも行き、最後は本格風俗で発射オーライし、もう最低の極みを尽くしてホテルに戻ってきたのであった。

 さてその翌日の早朝である。いろんな意味で気持ちよく寝た作家は朝起きてなんとなくスマホを手にしたら、そこにあの女性編集者からの着信の履歴があることに気づいて目を留めた。留守電も残っていたので再生して聞こうとしたが、途中まで聴いてぞっとしてスマホを退けた。電話は昨日言っていた通り原稿の進捗状況の確認であったが、編集者はなんと進捗を見たいから原稿を送って来いとも言ってきたのであった。作家はもしやと思ってメールを覗いたが、やっぱりそこにも原稿の催促のメールが届いていた。ああ!書かずに遊んでいたなんて言えるわけがない!

 そこにまた編集者からの電話がきた。作家は出ようか迷ったが結局出ざるをえなかった。

「先生、先程履歴とメールに書きましたけど原稿の進捗どうなってます?校正も同時進行でやりたいので今すぐ原稿送って下さい」

 ああ!一文字も進んでいないなんて言ったら彼女は大激怒するだろう。でもこれは彼女が悪いのだ。一晩中触れるほどそばで監視すべき作家をこんは繁華街のホテルに一人で放ったらかしにするからこんな事になるんだ。自分は田舎者だから都会の誘惑にすぐ負ける。女性編集者ならその体を使ってでもそんな弱い作家を繋ぎ止めておくべきなんだ。作家はこう最低なやり方で自分を憐れみ涙声で編集者に訴えた。

「ああ!昨日は一文字も書いていないさ!一人でこんな繁華街のホテルに閉じ込められてはい書きなさいなんて言われて書けるわけがないだろ!僕は元々田舎者で都会の誘惑には弱いんだよ。こんな風に放ったかされたら明かりに群がる蛾のようにフラフラ街に飛んでしまうんだ!小説だってそうだ。誰かが見守っていないとすぐに頭から離れてしまう!お願いだ!僕には現実から切り離された沈黙の空間と、君の見守りが必要なんだ!」

 ありったけの思いをぶちまけた作家は息を飲み込んで編集者の反応を待った。そうして無音の状態がしばらく続いた後、編集者が口を開いた。

「要するにホテルじゃなくてもっと密閉されていて、それプラス私が常時サポートしてあげられる環境がいいって事ですよね。わかりました。あの、先生今からホテルチェックアウトしてうちの出版社まで来て下さい。私も今から行きますから」

「そ、そうだよ!誰の目も気にせずに執筆に集中できる場所そんな所でなら書けそうな気がするんだ」

「ふふ、どこまでも手のかかる先生。私より十歳年上なのに子供なんだから。安心して下さいよ。あそこなら私しか入らないし」

「行くよ!今すぐ行くよ!そして君のためにガンガン書くよ!これからの六日間死ぬ気で書くよ!」


 作家は血走った目で出版社めがけてホテルから爆走した。駆け足で行くにはちょっとキツい距離だったが、彼にはそんな事はどうでもよかった。やっとあの編集者と二人きりになれる。ああ!このツンデレ野郎!散々俺を叱ったのは愛情の裏返しだったのか!最後に喋った時のまるで愛する先生のダメっぷりを叱る女子高校生のような口調。ああ!たまんないぜ。出版社にある秘密の一室で、多分そこは名だたる作家たちが彼女のような編集者の力を借りて小説だけじゃなくて下半身も搾り尽くされた場所だろう。そこで俺とあのビッチは……オオゥ!なんか股の間が痛くなってきたぜ。でも擦れてなんか気持ちよくなってきた!

 出版社のビルの前で急停止した作家は獲物を求めるチンパンジーのように荒々しい息と涎を垂れ流して編集者を探した。しかし編集者はいない。ああ!早すぎたのかと思ったが、ビルの入り口の脇の通用口のドアからその編集者が彼を手招きしているではないか。作家はすぐさま編集者の元に駆けつけた。しかし編集者はこの逮捕系youtuberならそく警察に連行されそうか男を全く歓迎せずシワが残りそうなほどの表情で彼を睨みつけた。

「先生、早くして下さい。もう時期警備員さんとか他の人間が来ちゃうんで」

 編集者に連れられて暗い廊下を歩いていた作家はこのあまりに秘密めいた雰囲気にすっかり興奮してしまった。

「そ、その執筆の場所ってのはどんなとこかなぁ〜。僕楽しみだなぁ〜」

「ああ、良いところですよ。ちょっと狭いんですけど、とっても静かで周りの雑音なんか全然聞こえないんですよ。しかもWi-Fiのつながりがすごく良いんです。さっ、すぐそこですよ」

 編集者はにこやかに作家に答えた。そして部屋の前で立ち止まるとしばらく作家を見つめてからこう言った。

「私、先生が小説を書き上げるためだったらなんでもするつもりです。だから先生、私のために小説書いて……」

「書くさ。君のために」

「じゃあ行きましょ」と編集者は部屋のドアを開けて作家を迎え入れた。するとまたチンパンジーとかした作家は荒い息をして編集者に飛びかかったが、彼女は巴投げで作家をぶん投げてしまった。投げられた作家は床にぶつかると目を瞑ったが、しかし真下にはそのぶつかる床もなかった。

「ぎゃあああ〜!という作家の断末魔らしき声が地下から響いた。編集者は冷静に地下に向かって大丈夫ですかぁ〜と呼びかけた。

「なんだこれは!お前俺をドラム缶なんかに閉じ込めてどうしようってんだ!」

「先生、何言ってるんですか?ここはあなたの望んでいた現実から切り離された場所ですよ。このドラム缶がちょうど入るサイズの穴は明治の頃は拷問に使われていたそうなんですが、うちの出版社がこの土地を買い取ってからは遅筆の作家さんに早く原稿を書いてもらうカンヅメの場として使われていたそうなんですよ。まぁ、今ではこの秘密知ってるの私だけなんですけどね。というわけで先生。今からそのPCのwordの原稿共有にしてもらえますか?私たちが進行チェックと校正するんで。PCちゃんと動きますよね?だってドラム缶には何重にもマット敷いてあるから衝撃なんか完全に吸収しちゃうし」

「人でなし!人殺し!お前今から警察通報してやろうか?」

「あの〜、警察に通報するのは勝手ですが、先生のいる場所って公共の電波全く届かないんですよ。ネットもダメで、通信できるのは私たちが使って社内ネットワークだけ。というわけで先生がこっから出るには早く原稿を書き上げてもらうしかありませんね。先生、ドラム缶の内部には一応トイレも電気もあるのでご自由に使って下さい。朝昼晩は私がパンでも買って先生に投げてあげますんで。では今から蓋をそっちに落としますので頭には気をつけてくださいよ!」

「ぎゃあああ〜!殺されるぅ〜!」


 その翌々日女性編集者は自分のPCを編集長をはじめとした編集部のみんなに見せて作家が異常なペースで書いている共有のwordを見せた。それを見た編集者たちは一斉に歓声を上げた。今までの怠けっぷりはなんだったのかってぐらい書いている。しかも妙な深みすら感じさせるものになっている。閉じ込められた世界からの解放を必死に願うようなそんな感じだ。編集者たちは女性編集者に向かって口々に一体奴に何をしたんだ。あんな薄っぺらな男がここまで真実めいた事を書くとは一大成長だよ。まさか君は女性編集者の武器を使って……

「セクハラですよそれ。大体私がそんな事するわけないでしょ。私はこの間先生に原稿書かせるためにですけど、凄い大げさに言ったんですよ。一週間以内に小説書き上げないと契約破棄するって。したら先生僕を捨てないでくれとか泣き出しちゃって。だから私言ったんですよ。ホテルでカンヅメしましょうかって、したら先生同意してくれて。まあでも先生やっぱりすごいなあって思いました。あの極限状況でこれだけのものを書くんだから」

「いや、凄いのは君だろう。あのバカをここまで覚醒させたんだから。なあホントの事言ってみろよ。どうやって奴にこれだけのものを書かせることが出来たんだよ」

「いやだなぁ。ますますセクハラめいてきた。私ハッキリ言って他の編集者のAさんBさんみたいに先生に奉仕なんかしてませんからね。私はただ先生が静かな所で書きたいっていうからその場所を提供しただけですよ。あの、人間ってやっぱりみんな何かから解放されたいって望んでいるんですよ。あらゆる文学や芸術はその解放されたいっていう願いから作られていると私は思うんです。だから私は先生にそれに気づかせようと苦労しましたよ。ホントに。どんな苦労をさせたのかは企業秘密ですけど」

「おい、そこ言わないと俺たち疑っちゃうぜ?……だけど先生今どこにいるんだ?一度もこっちに電話かけて来ないじゃないか」

「さぁ、どこにいるんでしょ」


 だがその翌日であった。朝女性編集者はビルに入ると早速作家を尋ねに例の部屋に入ったがそこに編集部のみんなが穴を囲んで大騒ぎしているではないか。これを見た女性編集者は顔が青くなりまっすぐ穴に駆け寄った。すると編集長が慌てて彼女を止めた。

「うかつにコイツに近づいちゃいかん!これは朝警備員が発見したものなんだ。この下にはデカいドラム缶があってそこから信号みたいな光が漏れてカタカタ音が鳴っているそうなんだ。きっとこれは我が社を狙った言論テロだ。今警察に電話するから!」

 女性編集者は慌てて編集長の電話を無理矢理奪って叩き割りそして発狂して叫んだ。

「これは爆弾じゃねえ!」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?