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ヨーゼフvsホームズ 第十話:ノイケルン区××番地アパート666怪死事件  その9

「私はこの精神的に動物である女の小間使いに犬に対するようにナデナデしながら聞いたものだ。『いい子だから早くホントの事を言うのだよ。そうやって犯人をかばったところで餌なんかもらえないんだからね』と私が優しく言ったのに、この小間使いと来たら私の手を掴んでふざけんなとか言って殴りかかってきたのだ。私はこの野獣にも等しい女の手を押さえつけて無理矢理椅子に座らせると、女に最後の尋問をはじめた。『最後に聞こう。何故お前はヴュルテンベルク伯爵がクララ・エールデンに渡した手紙を持っていたのだ。答えられないのか?ならば私がお前の代わりに答えてやろう。お前は常々クララ・エールデンに妬みを持っていた。卑しい娼婦のくせに貴族や金持ちから金をたんまりもらっていたクララをお前はお前は殺したいほど憎んでいたのだ。自分もクララの真似をしようとしてギンズブルクから金をせびったが、ギンズブルクはお前に端金しか渡さなかった。お前は自分の置かれた立場に我慢がならずクララの財産をせしめようと彼女の殺害を決意したのだ。お前はどっかの薬屋から毒薬を手に入れるとそれをワインに混ぜて淫売仕事に疲れ果てたクララに飲ませたのだ。そしてクララが動かなくなったのを見て、お前は罪をヴュルテンベルク伯爵になすりつけるために伯爵がクララに渡した手紙の封筒を見つけて持ち出したのだ。恐らく手紙の中身は既にクララが伯爵の言いつけ通りに燃やしていたから見つからなかったのだろう。しかし封筒には伯爵の自筆でクララの名前と事件の起こった日付が記されており、これを証拠として出せば警察はまずヴュルテンベルク伯爵を真っ先に疑うだろうとお前は女の浅知恵で考えたのだ。だが、運が悪かったな。普通の三流国家の警察ならばお前の計画は上手くいっていただろう。しかしお前が相手にしているのは偉大なるドイツ帝国警察。そしてドイツ帝国警察一の知性の持ち主であるこのフリードリッヒ・ヨーゼフ警視であったのだからな!』皆は勿論わかっていると思うがこの尋問は小間使いから真実を引き出すための罠だ。普段は形而上学的論理で相手を論破する私だが、相手が女という知的生物に値する存在ではないので人を騙すという禁じ手を使わざるを得なかった。私は小間使いに対して嘘を述べながら良心の呵責に苦しんだものだ」
 そこまでヨーゼフが言った瞬間、捜査員たちは感嘆のため息を漏らした。ドイツ帝国警察最大の知性であるこのフリードリッヒ・ヨーゼフ警視は相手によって自らの認識論さえ裏切ることも厭わないのだ。いや、それもまた一つの認識論なのだろうか。彼自身が知覚している事実の認識論をAとするなら、この女という動物への尋問のために作り上げた偽りの認識論はBとなる。ヨーゼフ警視はあえて女に向かってBの形而上学を述べることで、女から彼の持つAの認識論のかけらを引き出そうとしているのだ。ああ!偉大なるヨーゼフ!ドイツ帝国警察にその人ありといわれた哲人よ!今こそ我らに真実を教え給え!ヨーゼフは胸に手を当てて報告を続けた。

「私はあえて小間使を犯人と決めつけ、無実の罪に着せられた彼女が慌てて釈明するのを期待したのだ。彼女から「ギンズブルクから魔術をかけられた。その魔術のせいで主人のクララを殺してしまったのだ」という証言を引き出せれば、いや、彼女がギンズブルクの名前さえ言ってくれれば、我々はギンズブルクの元に駆けつけ、奴を拘束してギロチン送りにしてやるつもりだった。しかし私はこの小間使い知性を高く見積もりすぎたのだ。この女という動物は私の想像を遥かに超えてバカであった。小間使いはただこう言えば良かったのだ。「私はギンズブルクに騙されてクララに毒を飲ませました」と。しかしこの動物はいきなり逆ギレをかまして私に対して怒鳴り散らしたのだ。女は獣じみた叫び声で私に向かってこう喚いていた。『ふざけんなこのバカ!なんで私が犯人扱いされなきゃいけないんだ!ああ!お前らはみんなそうだ。みんなして金持ちや貴族をかばって私のような貧しい人間を罪に陥れるんだ!チキショウ!ギンズブルクもヴュルテンベルクもみんな鬼畜だ!ドイツもオランダもコスタリカもミャンマーも私に金や甘い言葉で私を黙らせてクララと散々イイことをしていたくせにいざとなったらテメエで犯した罪を私におっかぶせて逃げやがるんだ!』私はこのキチガイじみた戯言に呆れ小間使を叱りつけてやった。『バカモノめ!そんな戯言を喚くならさっさと真実を話さんか!さあ話せ!』しかし小間使いは私の説教など聞かずさらに喚き続けた。『ああ!チクショウ!こうなったらアイツラがしでかしたことを全部バラしてやるわ!ギンズブルクが私に金をくれたことはあんた達も知っているよね!実はヴュルテンベルクも私に散々甘い言葉を言って私を黙らせてたんだ!何が僕とクララと結婚したらあなたは伯爵夫人のメイドになるんだよだ!だからその時が来るまで僕らの関係は公言するんじゃないよだ!あの事件の夜。まずギンズブルクのやつが最初に来て、後にヴュルテンベルクがやってきた。それから誰もいなくなった夜中のことだった。私が寝付けずにベッドで横になっていたら廊下の方から音がするじゃないか。まさかクララがと思ったけど、明らかに別の足音だ。私は物取りじゃないかと怖くなってね。でも勇気を出してそろりとドアを開けて廊下を覗いた。するとそこに男が立っているじゃないか。そいつは全身黒づくめの服で丸い敷物みたいな帽子なんか被ってさ。おまけに仮面まで被ってる。まるで異教徒みたいな変装してるんだ。だから私は一瞬物取りかと思って声を上げて誰かを呼ぼうとしたら、男が自分の口に指を当ててシーッ!とか言ってきた。そして私に金を差し出したんだ。私はすぐに感づいたね。コイツの中身はギンズブルクかヴュルテンベルクのどちらかだって。だから私は当然この金をもらったよ。今のことは誰にも言わないよって目配せしながらね。そして黒づくめの男が立ち去るときだった。アイツは手紙の封を落としたんだ。だけどアイツは気づかずにアパートから去ってしまった。それがアンタに渡したあの封筒だよ。私はその後はどうせギンズブルクかヴュルテンベルクがまた密会に来たんだろうって安心してその後寝ちまった。ああ!そして翌日さ!朝開けたらお嬢様が動かなくなってるじゃないか!絶対にあの黒づくめの男が殺したに違いないんだよ!アイツがお嬢様を殺して証拠隠滅のためにあの手紙を持ち出したんだよ!ギンズブルクかヴュルテンベルクのどっちかが!なのになんで私が犯人扱いされなきゃいけないんだい!犯人はあのヴュルテンベルクの手紙を持ち出した男に決まってるじゃないか!』黙れ!と私はこの野獣に向かって叫んだ。仮にも伯爵であるお方を謗るとは何事だ!身分を弁えよ!と。だが彼女の証言で我々のこれまでの努力はすべて水の泡となった。せっかくギンズブルクを逮捕するために論理をまとめるはずだったのに、論理の土台から崩れてしまったのだ!私はこの事件で初めて論理の崩壊を体験した。我々が常に探求してきた西洋文明の論理が異教徒共に寄って崩壊させられている。ヨーロッパよ!御身はどこへと向かおうとしているのか。ヨーロッパよ!この西洋が積み上げてきた論理の崩壊の後に一体何が残るのか。ヨーロッパよ!ヨーロッパよ!」

 ヨーゼフ警視は悲劇的な身振りで絶叫して報告を終えた。これがノイケルン区××番地アパート666怪死事件の全貌である。ヨーゼフ警視たち捜査員は論に論理を重ね、事件を探求していたが、その探求はすべて無駄に終わってしまったのだ。ヨーゼフは認識の崩壊に泣き崩れ、それを見た捜査員たちも一斉に泣き崩れた。その有様はまさにヨーロッパの崩壊そのものを思わせるものだった。
 ヨーゼフたちの嗚咽が響く会議室でゴールドマンとホームズだけは冷静だった。なにゆえこのヨーロッパの論理の崩壊を目の当たりにして冷静であられるのか。きっとそれは彼らがヨーロッパ人ではないからだろう。一人は二世代前は異教徒だった男。もうひとりは憎き英国人。共にヨーロッパの精神を知らず、無知であるがゆえにこの大惨事にたいして冷静でいられるのだ。彼らは恥知らずにも嗚咽しているヨーゼフ警視を無視して会話していた。
「警視総監。失礼ですが彼らは一体この長時間何を話していたのです?」
「いや、ミスター・ホームズ。私も彼らの話の内容はわかりません。ただ結局のところハッキリとした証拠を探さなければ犯人は逮捕できないということです」
「証拠?容疑者のギンズブルクとヴュルテンベルク伯のどちらかの証拠ですか?」
「そうです。事件の経過からいって犯人は二人のどちらかに絞られます」
 ホームズは一服パイプを吸うとまだ泣きわめいているヨーゼフたちを眺めながら呆れたような顔をして答えた。
「私は彼らの哲学的で論理的で認識論的で形而上学的な無駄話をサロンミュージックとして聞きながら、先程ヨーゼフ警視から借りたこの手紙の封をずっと観察していたんですよ」
「それで何か見つかりましたか?」
 ゴールドマンの質問にホームズは例の不敵な笑みを浮かべて答えた。
「いろいろとね。警視総監、この封筒もう少しお借りいただけないでしょうか?」
「いいでしょう。あなたならきっとその封筒から事件を解決に導くことが出来るはずだ」
 ホームズが警視総監の承諾を取り封筒をスーツの内ポケットに入れようとしたときである。いつの間にか泣き止んでいたヨーゼフがいきなり近寄ってきて「ダメだ!」という怒号とともホームズの手から封筒をひったくろうとしたのである。ホームズがこれは警視総監から承諾を得ていると断ったが、ヨーゼフは貴様の行動は形而上学的に許しがたい早くその封筒を伯爵に返すのだ言って無理矢理奪おうとした。ホームズとヨーゼフで封筒の両端を掴みもはや封筒が破けそうになった時、ドアが開き誰かが入ってきてヨーゼフとホームズに向かっていった。
「その封筒を捜査のために役立ててください。そしてクララを殺した犯人を絶対に捕まえてください!」
 その人は若きドイツ貴族ヴュルテンベルク伯爵その人であった。彼は事件の捜査に協力するためにわざわざベルリンまで来たのである。ホームズは素早く立ち上がり一礼した。ヨーゼフは泣かんばかりの表情で伯爵の前に跪き祈り始めた。
 場が収まったところで警視総監のゴールドマンは皆に向かって言った。
「もう真っ暗闇になってしまった。今日はもう現場に行くことは不可能だ。現場へは明日にしよう。皆は今日は休んで明日の現場検証に備え給え」
 捜査員一同はうなずいた。すると脇にいたヴュルテンベルク伯爵が皆に向かって話しかけてきた。
「今回の現場検証は私も協力します。クララが一周忌を迎える前には絶対に犯人を捕まえたいんです!ホームズさん、ヨーゼフさん!私はクララ殺しの犯人を捕まえるためだったら何でもします!」
 名探偵ホームズは伯爵に向かって笑みを浮かべながら答えた。
「ご安心ください伯爵。私が確実な証拠ともに犯人をあなたの前に引きずり出して上げましょう」
 名捜査官にしてドイツ帝国警察最大の知性であるヨーゼフ警視もまた伯爵に答える。
「この偉大なる形而上学国家ドイツ帝国臣民を代表して御身に誓おう!哀れなるドイツ女を殺めたあやかしの魔術師を御身の前にひきづり出すことを!」
 
 

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