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《長編小説》小幡さんの初恋 第十四回:とんでもない発言

 それから万寿子は再び自分たちと小幡さんの父について喋り始めた。途中でお日本酒が飲みたいと言い出して社長と専務にダメ出されたが、しかしあなた達は母の言うことが聞けないのと叱って自分で勝手に注文してしまった。酒が入ったせいで万寿子の喋りは乗りに乗り、落語のようによどみなく語っていた。社長や小幡さんは万寿子の話に相槌を入れながら自分たちの思い出も話した。三人とも上機嫌でそうよねと言って笑い合い、専務もまた話に参加はしなかったものの、笑顔で母の話に何度も相槌を打っていていた。

 万寿子は太郎の校内暴力事件以降小幡さんの父が夫と仲良くなり谷崎家に出入りするようになってからの事を語った。彼女の話によると夫と小幡さんの父は共に野球が好きであり、いつも昨日のプロ野球の試合について語り合っていたらしい。しかし二人の野球好きはそこに留まらなくなりとうとう二人で草野球チームを作ってしまったそうだ。それは今も社長が引きついて今も運営しているチームであるが、元々はこの二人で作ったチームだということだった。

 小幡さんの父が野球好きだったと聞いて同じく野球好きだった鈴木は興味を示し、小幡さんに向かって、お父さんは学生時代に野球部にいたのかと聞いた。すると小幡さんは「いいえ、全く趣味程度なんですよ。でも大学時代には野球サークル入ってたみたいですけど……」と笑って答えだのだった。この小幡さんの答えに自分も同じく大学で野球サークルに入っていたので鈴木は驚いて、もしかしたら交流ぐらいはあったかもしれんと、失礼になるかもしれんと思ったが、つい勢いで小幡さんに父親が通っていた大学名を聞いてしまった。小幡さんは鈴木の突然の質問に戸惑って苦笑を浮かべたが、そこに万寿子が割り込んできて「鈴木さん、あなた万寿子の話を無視してなぜ良子ちゃんにそんな事を聞くの?」と鈴木に尋ねてきたのであった。鈴木は正直に自分も野球サークルに入っていたのでもしかしたら大学時代に小幡さんの父親に会った事があるんでないかと思って質問したと答えたのだが、万寿子はそれを聞いてホホホと高笑いして言った。

「ああ、あなたはそういってお気持ちをごまかしなさるのね。万寿子はてっきり鈴木さんが良子ちゃんとの結婚を考えていて、それで親の学歴を聞こうとしていたのだと思ってましたわ。だってあなたはいい家のおぼっちゃまですもの。結婚相手の家柄には相当のこだわりがあるでしょう?だけどご安心なさい。良子ちゃんのお父さんの一良さんはね、私やあなたと同じ東京の出身で、しかもあなたの大学のライバル校のご出身ですのよ。ほらあなたの大学との野球とかの対抗戦で有名でしょ?あなたなら言わずともお分かりですよね?学歴もあなたと比較して申し分なしですわ。鈴木さん迷わずに良子ちゃんと結婚なさいな」

「万寿子さん、人をからかうのはいい加減にしてください。大体私をいくつだと思っているのですか。結婚なんて出来る年じゃないですよ。私と小幡さんはただの会社の同僚で交際すらしていないのですよ。大体万寿子さんの物言いは私より小幡さんに失礼じゃないですか!」

 撫然とした鈴木は思わず万寿子にこう言い返してしまった。このいつも冷静な鈴木が珍しく声を荒げているのを見て、社長も専務も小幡さんもビックリした。しかし万寿子は全く動ぜずに笑ってこう言い返した。

「あら?そうでしたわね。さっきからあなたが万寿子の話を無視してさっきからずっと良子ちゃんの事を見ているから変な邪推をしてしまったのですわ。ごめんあそばせ!でも最近は六十すぎでも若いおなごと結婚する方が増えているじゃないですか。鈴木さんあなたもまだまだ現役ですわよ。ホホホ!」

 彼女はそういうと思いっきり笑い、社長と専務は鈴木が本気で怒り出さないか心配そうに見た。小幡さんは本当に申し訳なさそうな顔で鈴木に謝ってきた。鈴木はその小幡さんの顔を見て本当にこちらこそ本当に申し訳ないと謝ったが、その時続けて彼は先程万寿子から聞かされた話を思い浮かべてこんな事を呟いた。

「もしかしたら、僕はどっかであなたのお父さんと会っているかもしれないな」

「えっ?」

 万寿子の話はまだまだ続いた。彼女は小幡さんの父が生まれたばかりの小幡さんを連れてきた話をしたが、その時に小幡さんの父が子供に自分の名前の一文字を入れたと言っていた事を話した。「良子ちゃん。一良さんはね、あなたが自分のように健康的で良い子になるようにって願って入れたって話してましたわ。そのお父さんの願いが叶って、本当に、あんな小ちゃかった子が、今ではこんなに大きくなって!」と話の最後にいつものように小幡さんの身長をいじったので、小幡さんもいつものように怒って注意した。小幡さんと当時小学生だった専務を結婚させようと考えた事。専務はそれを聞いて全くバカな事を考えたもんだと愚痴った。

 鈴木は小幡さんや社長一家の自分の知らなかった過去の話を興味深く聞いたが、しかし聞いていて不思議に感じることもあった。万寿子も社長もそして小幡さんもだが、小幡さんの母親の事に全く触れないのである。母親が離婚して家を出たとか、死に別れたとかそういう話はなかった。だとしたら小幡さんの両親は一緒に暮らしていて母親も万寿子や社長たちとも顔見知りだったはずだ。しかし彼らの話からは母親の存在すら出なかった。鈴木は先週の金曜の夜に小幡さんに母親について尋ねた時に見せたあの異様に暗い表情や、水曜日に小幡さんが話を突然切り上げた時に見せた苦しそうな表情を思い出し、小幡さんの過去に何があったのか考えた。いつも余計なことまでペラペラと喋る万寿子でさえ触れようとしない小幡さんの母親。一体小幡さんと母親の間に何があったのだろうか。しかしその時突然小幡さんこちらを向いてきたので鈴木ははっとして考えるのをやめた。小幡さんは鈴木に近づいてくると小声で鈴木に聞いた。

「あの……鈴木さんも野球好きだったんですね」

「あ、ああ、そうだけど?」

 小幡さんがいきなり発した言葉に鈴木は驚いた。その鈴木に向かって小幡さんが聞いてきた。

「さっき鈴木さん私に言いましたよね」

「何を?」

「私の父と会ったことがあるかもしれないって」

「いや、あれはもしかしたらの話だよ。誤解を招いてしまったのなら謝る」

「いえ、謝らなくても大丈夫です。私誤解とかしてませんから。大体そんな奇跡みたいな事ってあり得ないし。私はただ、もし鈴木さんが昔のお父さんを知っていて、それで一緒にお父さんの事お話し出来たらすっごく嬉しいな、なんて思ったりした……」

「ちょっとそこの二人!私の話は終わってませんわよ!全くちょっと目を離すとすぐにイチャイチャし始めるんだから!」

 鈴木と小幡さんに万寿子の雷が落ちた。二人は苦笑を浮かべて話をやめて万寿子のほうを向いた。

 万寿子は話を再開する前に再びお酒を注文した。そしてお酒が来ると無言で鈴木に突き出してグラスに注ぐように合図した。今度はブランデーである。そして一口飲むと上機嫌に笑って話を始めた。

「楽しい時は長く続かないって言うけどほんとよね。主人があっという間にぽっくり逝ってしまった時は本当に天国からいきなり地獄に突き落とされたきがしたもの。あの日の朝庭で倒れている主人見て、寒いんだからそんなとこで寝てないでちゃんと起きなさい!て叱っても全く動かないから脳卒中かもって医者呼んだら既に既に事切れているって聞かされてその場に倒れましたよ私は。だけどそんな私を救ってくれたのが、太郎とそして良子ちゃん、あなたのお父さんの一良さんよ。さっきもお話ししたように私は中継ぎとして社長にさせられたんですけど、問題は跡目を継ぐ太郎だったんですよ。太郎はもう大学の進学も決まっていたんですけど、このまま大学に進学してしまうとその分社長になるのが遅れてしまうんです。そうしたら東の家の連中が動いて取締役を掌握しかねないし、だからどうしようかってずっと悩んでたら、この子が私の元にやってきて言うじゃないですか。『お母さん、俺大学進学はやめるよ。今の状況じゃ大学なんて行けない。高校卒業したら即入社して家を支えないとな』なんてつい二年前まで酷い悪タレだったのに!母を泣かせるような事を言って!」

「ああ!兄ちゃんは家のために自分を犠牲にしたんだ!僕が変わってあげられたらどんなによかっただろうに!だけど僕はあの時は小学生だったんだ。小学生に社長なんか出来るわけないじゃないか。子供店長じゃあるまいし!兄ちゃんは僕を羨んでるだろ?アイツは俺のおかげで大学まで出ていけるんだからなって!」

 専務が突然叫んだので会場にいるものたちは一斉に話を止めて彼を見た。専務は赤ら顔で頭をフラフラさせて泣きながら酒を飲んでいる。完全に酔っ払っていた。社長はその専務に声をかけた。

「お前は酔っ払う度におんなじ事いいやがって!いいから水飲め!」

「兄ちゃんは僕の気持ちをまるでわかってないんだ!僕がどれだけ後ろめたい思いをしてきたか。僕がどれほど兄ちゃんが好きかアンタは全くわかっていないんだ!」

「次郎おやめなさい!あなたは全く悪くないのよ。悪いのは私たちを捨てて能天気にぽっくり逝ったお父さんなんだから!とにかくあの人が突然死んだおかげで私たち大変な目に遭いましたわ。一良さんにまで迷惑かけて。一良さんは主人が亡くなったと連絡したら真っ先に飛んで来てくれて、主人の横で泣いてくれましたわ。それからもう担任でもないのに私たちと一緒に太郎の進路について考えてくれましたの。あの方は今年は無理だけど二部もある。二部だったら働きながらでも学べると言ってくれました。だけど太郎はそれは出来ないって言ったんですね。俺には二足の草鞋を履くなんて器用な真似は出来ない、会社員になってみんなを支えるとか言って。泣ける話じゃないですか。一良さんもお前成長したな、あんな悪ガキだったのが嘘みたいだって泣いてくれたんですよ。太郎は社長の修行のために最初平社員で入ってそれで四年後に無事社長になることが出来ましたわ。次郎も大学卒業してからうちの会社に入ることになって。まあ、次郎の場合は他の会社の面接に全部落ちたからなんですけど。とにかく、一良さんとはその後も良子ちゃんを連れて遊びに来たり、後草野球チームを引き継いでくれたり変わらずお付き合いはありましたの。だけどその一良さんも亡くなって、良子ちゃんもどっかに行ってしまって、私やっぱり悪いことは二度も三度も起こるって絶望しましたわ!」

 万寿子が父の死に触れた時、小幡さんは少し悲しい表情を見せた。きっと当時の事を思い出してしまったのだろう。

「だけど、その良子ちゃんがひょっこり帰ってきたではありませんか。私、太郎が良子ちゃんを連れてきたとき最初良子ちゃんだとわからなかったのですよ。だって良子ちゃん、こんなに大きくなっているじゃありませんか」

「もう、おばあちゃんたら!いい話をしているのになんで最後にいつも余計なことを言うのよ!」

 小幡さんが笑いながらこう言うと万寿子と社長は思いっきり笑った。鈴木はその三人の笑う姿を見て、やはりそれなりの時間を生きていると人はいろいろと抱えるものだなと改めて思った。能天気に見える社長も実は苦労人であったし、普段不愛想な専務も意外に兄思いであったり、万寿子もその華美な立ち振る舞いのなかに大変な時期を乗り越えてきた人間の持つ表情を覗かせていた。そして小幡さんも……。しかしその時万寿子が突然とんでもないことを言い出したので鈴木は頭が真っ白になってしまった。

「それから良子ちゃんは一良さんの代わりにって鈴木さんを連れてきてくれたわ!」

「ちょっとおばあちゃん、いきなり何言いだすのよ!鈴木さんはお父さんと似ても似つかない赤の他人じゃない!おばあちゃん、酔っぱらってるからって許されないこともあるのよ!」

「だまらっしゃい!万寿子はずっとあなたの事なら何でも知っているのよ!さっきからあなたの鈴木さんを見ている目はまんま一良さんを見ている時とそっくりじゃない!ポワ~ンとしてまるで昔の少女漫画そのまんま!ああ!万寿子あなたを見て女ってやっぱり父親に似た人間に恋するんだって思ったわ!」

「やめて!おばあちゃんもういい加減にして!」

 小幡さんは真っ赤な顔をして慌てて万寿子の口を塞ごうとする。しかしすっかり酔いが回っている万寿子はもう止まらなくなってしまった。散々小幡さんをからかった後、鈴木のグラスにお酒を注ぎながらこう言った。

「ねえ、鈴木さんもそう思うでしょ?良子ちゃんの視線を感じるでしょ?そしてあなたも良子ちゃんに好意以上のものを感じてるんでしょ?万寿子だけには正直におっしゃいな。誰にも口外はしませんから」

 鈴木は何かを振り切るようにはっきりと一語一語力を込めて万寿子に言った。

「大奥様、私は決して小幡さんに対してそのような感情を抱いたことは断じてありません!」




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