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ヨーゼフvsホームズ 第七話:ノイケルン区××番地アパート666怪死事件  その4

 ホームズは刑事の報告の間中ずっと気取ったポーズで足を組んで捜査会議を聞いていたが、ドイツ帝国警察捜査員の話が彼の形而下学的な頭脳にはあまりにも難解すぎてわからなくて苛立っていたようだ。彼は隣のゴールドマンに耳打ちして、
「もう一度言わせてもらうが、報告をできるだけ簡潔にするようあの刑事に伝えてもらえないでしょうか。あんな訳の分からない事を喚かれては推理の仕様がありません」
 とかのたまったのだ。
 何という言葉のわからぬ男か!世界で最も崇高な精神を持つドイツ人の言葉は哲学であり詩であり音楽である。それがこの形而下学の極みの英国人にはわからぬらしい。実に呆れたものだ!そしてゴールドマンのやつはホームズからそう言わると形而上学的な絶望に涙にくれる捜査員たちをバカにしたように見て、ホームズに向かって呆れたような顔をしながら何を言ってもダメだとばかりに手のひらをブラブラさせた。ああ!この男も改宗したとはいえ所詮我々とは異なる人種、何故か我が偉大なるドイツ帝国警視庁の警視総監を務めるこの男もまた崇高なドイツ精神など理解できぬのだ。

 捜査員たちはひとしきり泣き終えると皆苦痛に顔を歪ませて黙っていた。ああ!これからの報告が彼らにとって辛い部分であった。ヨーゼフ警視などもはや聞きたくもないと言わんばかりに山の哲人の如く耳を塞いでいるではないか!しかし我々は偉大なるドイツ帝国の守護神たらねばならぬ。ヨーゼフ警視を含めたドイツ帝国警察の捜査員は顔を上げ刑事に向かって報告を再開するよう合図した。刑事は皆の視線を読み取り両手で額を叩いて己に喝を入れて報告を再会した。
「そうです!本当ならばこの小間使いは精神的に豚でしかない女の愚かしさを反省し正直にヴュルテンベルク伯爵などという人は知らない。そんなものはあの賤しい金貸のギンズブルクのデタラメだ、と告白してギンズブルクを殺人容疑で逮捕できるはずだったのです。しかし、この女の口から出たのは贖罪ではなく、明確な証拠とともに出された、ヴュルテンベルク伯がたしかにクララ・エールデンのアパートに来ていたという証言だったのです。女はヨーゼフ警視に言いました。『だから伯爵さんはお嬢さんのお得意様だったのよ!お嬢さんだってあの人貴族のくせにウブで可愛いわ!ホントに好きになっちゃいそう!とか言ってベタ惚れだったんだからぁ!』そのあまり下品な口調にヨーゼフ警視はのけぞりましたが、すぐに持ち直しこの下品な小間使いを激しく問い詰めたのです。『愚か者め!よくもそんなデタラメをペラペラと!貴様を『法の哲学』に照らし合わせて善悪論でギンズブルクの共犯にしてもよいのだぞ!さぁ、最後の機会を与える!神に向かって証言せよ!ギンズブルクに金を貰ってウソの証言をしました!犯人は間違いなくギンズブルクです!あの人がクララ・エールデンに毒をもったのですと!正直にそう告白すれば神はそなたの罪を赦したもうし、我がドイツ帝国警察庁も精神的に豚に等しい女の貴様の愚かしさの罪は問わん!』再び神の箴言かと思われるようなヨーゼフ警視のお言葉でした。しかし小間使いはヨーゼフ警視の説教を理解できず、何故か逆ギレをしはじめたのです。『ふざけんな!さっきから人を豚だのなんだの罵りやがって!私にはね!伯爵様がお嬢さんと懇ろだったっていう確固たる証拠があるんだよ!ホラッ!』と、とても知能ある人間とは思えぬ豚そのもののような鳴き声でヨーゼフ警視を罵りながら小間使いは一枚の封筒を投げつけてきました。ああ!それが先程話したあのヴュルテンベルク伯爵家特注の封筒だったのです!ヨーゼフ警視は最初投げつけられた封筒をなんだこんなものと破り捨てようとしましたが……」
 その時突然ヨーゼフ警視が立って叫んだ。
「そうなのだ!私はその封筒を破り捨てようとした。だが私は見てしまったのだ。封筒に縫い付けられたヴュルテンベルク伯爵家の紋章を!さらに封筒には事件当日の日付とあの被害者のクララ・エールデンの名が書かれているのを!私は絶望しその場に泣き伏した。あれほど純粋だった若者がドイツ貴族たる本分を忘れ娼婦なんぞにうつつを抜かすとは!これはありえぬ!恐らくギンズブルクが偽造したに違いない!と私は確信し鑑識に封筒の真贋を調査させたが、その結果はあまりにも残酷なものだった!このような封筒は職人が作るもので見よう見まねで出来るものではない。これは間違いなくヴュルテンベルク伯のものだ。これが神が我らドイツ帝国警察に告げた残酷な真実だった!」

 ヨーゼフ警視の涙混じりの絶叫を聞いて警視総監を除く捜査員たちはまた泣き出した。ああ!神は何故に我らにかくも試練を与えるのか!我らドイツ帝国警察はただひたすらに真実を求めんとしているだけなのに!ヨーゼフ警視たち捜査員一同はあの絶望に泣き暮れた日々を思い出しまた号泣した。そうヨーゼフ警視をはじめ捜査員一同は半年間の苦悩の日々を送った。そして我らがヨーゼフ警視は半年間の逡巡のうちにヴュルテンベルク伯爵を容疑者リストに加える事を決意したのである。刑事は何度めかの絶望から立ち直り渾身の力を込めて立ち上がると再び報告を再開した。
「ああ!先程も話しましたがヨーゼフ警視の偉大なる決断は何度話しても話し足りません!友情よりもドイツ帝国の正義をその形而上学的精神で選んだその勇気!あくまで帝国の守護神たる事を選んだその使命感、全く尊敬に値します!ああ!我らもいずれはヨーゼフ警視のように友情と正義を選ばねばならぬ時がくる!その時に我々はヨーゼフ警視のように潔く決断できるでしょうか!」
 刑事がこう言った途端、警視総監を除く捜査員一同は立ち上がりヨーゼフに向かって一斉に拍手した。ああ!ドイツ帝国にヨーゼフ警視あり!その眼はいつでもドイツ帝国を見守っている!しかしヨーゼフは興奮する彼らに向かって座るように合図し、報告を再開するよう促した。捜査員一同はそのヨーゼフのご尊顔を仰ぎ見る。そして全員が心の中でこうつぶやいた。この生きる伝説と一緒に捜査ができるなんて自分は光栄だと。

「そしてヨーゼフ警視は伯爵を事情聴取することにしました。しかし伯爵は名誉あるドイツ貴族の一員です。犯人であることの可能性が限りなく低いあの御方を取調室等醜い連中の黴菌がうようよと漂っている所に呼ぶわけには生きません。それはヨーゼフ警視が力強く反対しました。『君たちは我が友人の伯爵に辱めを与える気か!さる女優だって阿片吸引で逮捕されたときにこんな辱めを与えて!とのたまっていたではないか!』我々が伯爵の屋敷に伺うに決まっておろう!そしてヨーゼフ警視は伯爵に向けて『若き友人よ。私は御身に起こったこの不幸に深く同情申し上げる。しかし私はドイツ帝国臣民であり、かつドイツ帝国警察の警視である。近日中にそちらに事情聴取に伺わねばならぬ。だが友人よ。私は貴方が無実であることを確信している。今回の事情聴取は御身が無実であることを世間に証明させるために行うものだ。だから友人よ。御身は私達の前で堂々と自らの潔白を証明なさるがよい。私は御身の名誉は絶対に傷つけぬ事を約束する。ドイツ帝国臣民、そして貴方の一友人フリードリッヒ・ヨーゼフ』といかにもドイツ的崇高さにあふれる文章を綴り、その手紙をヴュルテンベルク伯爵に送ったのです。それから三日後でした。ヴュルテンベルク伯爵から返事が返って来たのです」
 

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