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先生と私

 某名門校の高校教師であった伊熊寿夫の葬儀には錚々たる面々が参列していた。政治家、高級官僚、大学教授、大企業の社長、幹部、それに一流俳優や音楽家もいる。みな世に名のしれた人々ばかりであった。彼らは久しぶりに集まるとあっという間に高校3年生だった頃に戻ってしまった。しばし高校時代の思い出ばなしに花を咲かせ、そして互いの近況も話したが、政治家や官僚連中は現在の政治について語り、大学教授は大学の未来について語り、大企業の連中は経済について語り、一流俳優や音楽家はそんな彼らに、みんなほんとに出世したよな、俺たちは怠け者だから昔のままだぜ!とからかった。するとからかわれた連中が、お前らだって大活躍中じゃないか!俺たちはいつもテレビでお前たちの活躍を見てるんだぜ!と言い返した。そうして参列者はにこやかに談笑していたが、誰かが柿崎健治がまだ来ていないと言ったので、それを聞いた参列者はあっと口を開けると口々にそういえばあいつがいないと言い出した。
「あいつは先生を一番尊敬してるはずなんだ。何しろ荒川一のワルだったアイツを伊熊先生が見事に更生させてくれたんだからな!おかげでアイツは今じゃ世界各国から注目される研究者になって、今じゃノーベル賞に一番近い男と言われている。あんなにワルかったあいつがさ、今じゃクラス一番の出世頭だぜ。アイツは卒業してからも恩を忘れずに毎年先生に手紙を送って、そして海外から日本に帰って来た時は必ず先生の下に寄ってたんだ。なのにこんな大事な日に……」
「だけどさ、今アイツは海外じゃないか。昔の担任教師が亡くなったからといって、おいそれと日本に来れると思うかい?それにアイツは世界最先端の研究者として日々研究に忙殺されてるはずなんだ。葬儀に来ようにも時間が取れないんじゃないかな?」
「でもさ、来ないんだったら手紙の一つぐらい……」
 その時葬儀会場の入り口あたりで歓声が起こった。歓声はだんだん大きくなっていき、それと同時に列を開けるようにして誰かが入ってくる。参列者たちは入っきた男の顔を見て喜びのあまり彼に抱きついた。彼こそ先程話題になっていた柿崎健治その人であった。
「みんなゴメン遅れちまって!霧で飛行機の到着が遅れたんだよ!」
「柿崎久しぶりだな!やっぱりオマエは絶対来ると思ってたよ!だってあんなに好きだった先生だもんな!」
 同級生たちは早速柿崎を伊熊寿夫の下に案内した。まるで眠るがごとく布団に横たわっている、かつての担任教師の遺体を見た柿崎は、いくら年を取れどもまったく変わらないその姿に、あふれる涙を抑えることが出来ず、声を上げて泣き出してしまった。そして他の同級生も号泣する柿崎に釣られて泣き出した。それから彼らは伊熊寿夫との思い出話に花を咲かせたが、誰かが現在のネット社会を引き合いに出して、今の時代を先生はどう思っていたかと慨嘆しはじめたのだが、それを耳にした柿崎の隣の友人が柿崎にこう聞いた。
「そういえば柿崎。お前ずっとTwitterで荒らしに嫌がらせされてたよな。お前がなんかTwitterに書くとすぐクソリプがきて炎上して大変だったよな?あれはもう大丈夫なのか?」
 柿崎は友人の問いに笑みを浮かべて答えた。
「あれはもう収まったよ。何故か一ヶ月ぐらい前からクソリプはなくなったんだ。また来るかもしれないけど、そうなったらその時さ」
「そいつ、俺んとこにもクソリプかけてきやがったけど、お前に対するあれは俺の比じゃなかったよ。お前が先生こと書いた時もさ、『お前そういう心にもないこと言うのやめろよ。お前の言ってることってさ、はっきり言って全部タダの自慢話なわけよ。教師のことなんてホントはどうでもいいんだろ?教師がどれほどお前のせいで苦労したかお前ホントにわかってるの?自分の悪行三昧をいい思い出にするんじゃねえよ!ノーベル賞候補様がさ、過去のヤンチャ話自慢して楽しいですかぁ〜!』とかクソリプ送ってさ、それからお前が女子高の前で警察に補導されたことまで書いてたよな!」
 すると柿崎と友人の会話を聞いた別の友人が口を挟んできた。
「それってくまのプーさんとかいうやつのことだろ?そいつ俺んとこのツイートにもクソリプしてきたぜ!人の発言やたらあげつらってよ!『政治家になったからって急に威張り腐りやがって!お前、あの高校時代の純粋なお前はどこいったんだぁ!それとも元からクソだったのか?顔は昔と変わらずクソ塗れだけどな!』とか書いてきやがったんだよ!書いてる内容からすると明らかに高校の関係者だよな。俺たちのクラスには、ましてや今先生の前にいるみんなにはあんな事をする奴はいない筈だ。いるとしたら他のクラスの連中だろうな。それか先輩か。多分人生の成功者の俺たちを僻んで誹謗中傷しているのさ。まぁいずれにせよ、ネットで吠えるしか出来ないなんて悲しい人生だよな」
 三人はうんうんとうなずき、それから先程の友人が再び柿崎に言った。
「でもお前偉いよ。あんなゴミ以下のやつを最後まで相手にしてやってたんだから……」
 友人たちの言葉に柿崎は今はなき伊熊寿夫の顔を思い浮かべると、涙を浮かべながらしみじみと言った。
「俺、この歳なって自分でもナイーブだと思うんだけど、人の善意を信じてるんだよね。どんなに悪辣な人間でも清い心は誰でも持ってるんだと信じてる。それは俺自身がそんな悪辣な人間の一人だったからそう思うんだ。みんなもわかってると思うけど高校時代の俺はホントにもどうしようもないぐらいクズだった。そんなクズだった俺を伊熊先生は最後まで信じてくれたんだ。『お前、何故か物理の成績だけ飛び抜けてるから、論文でも書いてコンテストに応募したらいいんじゃないか』と言ってくれたのも先生だった。俺生まれて人に褒められたの初めてだからさ、嬉しくて頑張って論文書いて応募したんだよ。そしたらいきなり全国大会で大賞取ってさ、それで俺の科学者としての未来が開けたんだ。それは先生が俺を信じてくれたからなんだ。だから俺も先生のように人を信じたい。くまのプーさんみたいなクソリプ野郎にだって清い心はあるんだって!」
 柿崎は話し終わって周りを見ると、いつの間にかみんなが自分を見てることに気づいてびっくりした。事実柿崎が話しはじめたとき、その場にいた人間は全員彼の話に耳を傾けていた。そして話を聞きながら、ときおり彼の話に感銘を受けて何度も深くうなずいた。そして柿崎の話が終わったとき、みんな感嘆の叫びを上げ、一斉に彼を仰ぎ見たのである。
「いや、柿崎だけじゃないぞ、先生に大事なことを教わったのは俺たちみんなそうだ。俺たちが今ここにあるのは先生が俺たちに親身になって人生と何たるかを教えてくれたからなんだ!」
 感極まった同級生の誰かが奥でこう発言していた。柿崎達生徒一同はあらためてかつての担任教師であり人生の師であった故・伊熊寿夫の遺影を見つめたのだった。

 その時、戸が開いて、そこから四十代の男女が入ってきて挨拶をしてきた。この二人は伊熊寿夫の甥っ子夫婦で、生涯独身であった伊熊寿夫にとって数少ない親族であった。彼らが入って来るなり、伊熊寿夫のかつての生徒たちは一斉に頭を下げ、大人数で押しかけて申し訳ありませんと謝った。すると甥っ子夫婦も恐縮して、こちらこそわざわざご足労くださりありがとうございます、と頭を下げてこれに応えた。そして「それで……」と口を開くと、「これは故人のものなのですが……」と言って古いノートパソコンを目の前に置いた。見てみるとPCはWindowsだが、OSはおそらくまだ7だろう。しかしなんでこんなものを……。とかつての生徒たちは思っていると、甥っ子夫婦はもう一度頭を下げ、「これをお譲りしたのです」と言ってきたのである。しかし、故人の大事なものである。みだりに頂くわけにはいかない、やはり親族の方が貰ったほうがよいのでは、と生徒を代表して柿崎が言うと、甥っ子夫婦は、
「いえ、私達親族とはいっても、叔父とは大して交流なくて、叔父の晩年にたまたま近所に住んでいたので身の回りの世話をしていただけなんです。皆さんのほうが叔父をよくご存知でしょうし、そういう方々にもらわれたほうが叔父も幸せであるように思います。それと、病院の看護師さんから聞いた話では、叔父は一ヶ月前に全身が動かなくなるまで、病室でずっとこのパソコンに向かってがむしゃらになにか文章みたいなものを書いていたそうです。私達はおそらく皆さんへの遺書を書いていたのではないかと思ってるんですよ。叔父の遺品を見ると皆様からのお手紙ばかりでした。叔父はずっと独身で、寄り添う人はいませんでしたが、この代わりにこんな素敵な方々に親切にしていただいて、ホントに叔父は幸せ者です。ですからこのパソコンを叔父の形見として皆さんに差し上げたいのです」
 柿崎は甥っ子夫婦の言葉に涙した。そしてかつての担任教師であり、人生の生涯の師である、伊熊寿夫のパソコンを涙して受け取った。甥っ子夫婦は再び部屋から出ていき、部屋の中はかつての生徒だけとなった。柿崎はPCの電源のボタンを押してみた。電源がつくようだったら、みんなで先生が自分達へ書き遺した遺書を見たかったのである。ボタンを押すとすぐファンがくるくる周りはじめPCが起動し始めた。今や懐かしくなったWindows7のロゴが表示される。そして画面はパスワード画面を挿まず、そのままデスクトップ画面になった。それを見たかつての生徒たちは感激のあまり涙を流した。先生が衰えゆく体で書き遺した自分たちへのメッセージがここにある。柿崎は下のタスクバーに、エクセルのアイコンが光っているのを見つけた。彼はここに先生から自分たちへの最期のメッセージがあると思ってそれを開いたのだが、開いた瞬間、思わぬ事実を発見し愕然としたのだった。
 エクセルに載せられていたのはサイトのIDとパスワードの一覧だった。彼はそこにあのくまのプーさんを見つけてしまったのである。Twitterと表示されている列の所に、IDとパスワードと、そしてハンドルネームが表示されていたが、そこにくまのプーさんと太字で入力されていたのである。それを見て震え出した柿崎に、同級生はどうしたんだ!と肩を揺すぶり言葉をかけた。柿崎は同級生の問いに答えず、「いや、まさか、いや、ただ同じ名前なだけだ!」とかぶりを振ってエクスプローラを開き、Twitterを出すと、ログイン画面でIDとパスワードを貼り付けてログインした。

『お前そういう心にもないこと言うのやめろよ。お前の言ってることってさ、はっきり言って全部タダの自慢話なわけよ。教師のことなんてホントはどうでもいいんだろ?(承前)教師がどれほどお前のせいで苦労したかお前ホントにわかってるの?自分の悪行三昧をいい思い出にするんじゃねえよ!ノーベル賞候補様がさ、過去のヤンチャ話自慢して楽しいですかぁ〜!』

 ホームページのピン留めでトップに貼られたこのコメントは柿崎にとって見覚えのありすぎるコメントだった。あの荒らしのくまのプーさんに間違いはなかった。先生だったのか!俺のコメントにゴミみたいなリプを二年以上に渡って送りつづけていたのは!
 彼は恐る恐るさらに下へスクロールしていったが、そこには自分へのさらに口汚い罵倒と、他の同級生への悪罵が連ねられていた。

『このクソ!なにがノーベル賞候補だ!インチキ研究で成り上がったくせに!高校時代からこいつはこうだった!高校時代の論文が全国大会で一位になったのだって、親のコネ使ったに決まってるんだ!(承前)でなけりゃ女子高の校門前で女子高生を無理やりホテルに連れて行こうとする奴が全国大会一位に選ばれるわけねえだろ!ああ!クソだ!クソの塊みたいなクラスの中でもコイツは最低のクソだ!』

『俺の生徒はみんなゴミクソ以下だったけど、全員コネの力で成り上がりやがった!一方、コネの全くねえ貧乏育ちの俺は大学教授にもなれず、こんなゴミどもの飼育係で一生を費やしちまった!(承前)ああ!切ないよ!どんなに親を恨んでも出自は変えられない!なにが清き心だ!そんなものがあるなんて自分でもこれっぽっちも思ってなかったじゃねえか!』

 明らかに柿崎の態度がおかしいので、同級生達が柿崎の肩を揺すぶり、どうしたんだ!と問い詰めた。すると柿崎は「あれっ?このパソコン調子がおかしいな」と言うなりパソコンをめったやたらに叩き、遂に窓を開けて外に向かって投げてしまった。そして唖然とする同級生に向かって彼は笑顔で言った。
「ハハハ、なんか、パソコン壊れたみたいだな。……多分先生と一緒にあの世に旅立っちゃったのかな?」


  

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