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ヘルベルト・キルヒガーの罪

 ヘルベルト・キルヒガーは戦後ドイツ文学の良心ともいうべき存在である。彼の決して読みやすくなく、かといって人目を引くような前衛的なものではない、どちらかといえばドイツ文学の伝統的に沿った晦渋で重苦しい小説は、多くの良心的な読者によって熱心に読まれていた。キルヒガーの代表作である『アウシュヴィッツの料理人』は実際に奇跡的にアウシュヴィッツから生還した料理人をモデルにした小説であるが、その絶望的な状況でも希望を見失わない主人公の料理人の姿は多くの読者の共感を読んだ。もう一つの代表作である『哀愁のアウシュヴィッツ』も同じようにアウシュヴィッツを舞台にした話であり、奇跡的にアウシュヴィッツから生還した主人公がアウシュヴィッツで別れた恋人の遺骸を探しにアウシュヴィッツを再訪するという話である。あと彼には珍しいユーモア小説である『アウシュヴィッツからこんにちは』という小説がある。この作品は蘇ったアウシュヴィッツの犠牲者達が大挙して現代のドイツの地方都市に押しかけるという話である。彼は文学者として誠実に母国の忌まわしい過去の歴史に向き合い、そしてそれを小説として書き残したのである。キルヒガーは己れの作家としてのあり方について次のように語っている。
『人が全てを許し合い、分かち合うためには他人の傷に向き合い自らの恥ずべき過去を全て曝け出すより他にない』
 キルヒガーの名声はドイツだけに収まらずヨーロッパ各国にまで及んでいた。今や彼は新作を出すと同時に各国に翻訳され、その小説について熱い議論が交わされた。そして彼はいつのまにかノーベル文学賞に最も近い男と言われるようにまでなったのだ。そんな時であった。キルヒガーの長年の友人による告発文がとある文学サイトに載ったのは。

 この告発文が載った時大衆はこの友人の存在について半信半疑であったが、友人がテレビ出演しキルヒガーの幼少から壮年に至るまでの写真を見せたので、誰もが男がキルヒガーの友人であること認めざるをえなかった。そして皆あの誠実なキルヒガーがどんな罪を犯していたのかと興味津々でこの告発文を読んだのである。告発文にはこう書かれていた。


ヘルベルト・キルヒガーの罪

我が友人キルヒガーは世界的な名声を持つ作家だ。しかし私は文学なるものに疎い人間なのでその作品についての感想はなにもない。皆が素晴らしいと言っているのだからさぞかし素晴らしいだろうと思うだけだ。しかし彼について誠実だ、高潔だ、これぞ偉大なる文学者、彼こそマハトマ・ガンジーに匹敵する偉大なる人間だという現実の彼とあまりにかけ離れた妄言を聞くたびに私は現実のキルヒガーを思い浮かべて鼻白むのだ。私はキルヒガーと子供の頃から交流を持っているが、現実の彼は全く誠実さとは程遠い人間である。私はそのことに子供の頃から気づいていた。小学生の時私はキルヒガーを喜ばせようと、駐留していたアメリカ軍の兵士からチョコレートをもらった事がある。私はそのもらったチョコレートをキルヒガーに見せたのだが、その時キルヒガーのやつは笑顔で私の手から全部チョコレートを奪い取り、そのまま私の分までチョコレートを食べてしまったのだ。たわいもない子供のいたずらだと人は言うかもしれない。しかしこれは一般人の子供ではなく、あの誠実さで評価されている作家のキルヒガーその人なのだ。彼は自分の過去を全て曝け出すと言っておきながらこの罪については何一つ語っていないようである。もしかして彼はこの略奪行為を罪だと思ってないのかもしれない。だとしたら何というエゴイストなのだろうか。あれほど他人や国家の罪を告発しておきながら、自らの罪は罪でないと開き直るとは。なにが他人の苦痛に向き合えだ。無理やりチョコレートを強奪された私の苦痛には向き合わなかったくせに。このような彼の略奪行為はさ成長してからも続いた。
ギムナジウムに入った頃、私はある女性に恋をした。私はその事を友人であるキルヒガーに伝えたのだが、彼は「よしわかった、俺が彼女に君の想いを伝えてやるから待っててくれ」と言ってくれたので、私は彼の私への友情を信じてその報告を待ったのだ。今から思えば私は何とお人好しだっただろうか。あのチョコレート略奪事件をすっかり忘れて彼の嘘八百を丸ごと信じてしまったのだ。私は偶然に見てしまったのだ。公園で私の想いの人とキルヒガーが体を寄せ合っているのを。私は当然怒り狂い、キルヒガーの方に駆け寄って彼を問い詰めた。その時彼の解答のなんと不誠実だったことか。キルヒガーは口を濁し、申し訳なさそうにヘラヘラ笑って彼女と共に私の前から去っていったのだ。これがあの誠実さで知られる作家ヘルベルト・キルヒガー氏の態度であろうか。彼は今度は略奪行為と共に詐欺行為まで働いた。しかもそれを問い詰めた私から逃亡行為まで働いたのだ。私は度重なるキルヒガーの不誠実さに嫌気がさし彼に向かって絶交を言い渡した。しかし私は心のどこかで信じていたのだ。彼が自らの罪を謝罪し私への友情の証を見せるために彼女を私に返してくれる事を。しかし彼はヘラヘラと中身のない謝罪をした後で私に向かってこんな侮辱的な言葉を投げつけたのだ。
「ゴメンよユーリス。俺本気でお前の気持ちを彼女に伝えようとしたんだ。したら彼女はずっと俺のことが好きだったって言ってきたんだ。それを聞いて俺も実は彼女が好きだったからもう止まらなくなってしまった」

キルヒガーは私に対して主に3つの罪を犯した。まず略奪行為、そして詐欺行為、最期に侮辱行為だ。何故彼は自分も彼女を好きだったと言わず、私の代わりに気持ちを伝えてやるなんて嘘までついたのか。私は彼の友情に有頂天になり想いの人と添い遂げる夢まで見ていたのに!しかもキルヒガーはそのことを嬉々とした表情で語るではないか!どこが誠実なのだ!どこが己の罪に向き合うだ!誠実であるならば、彼女に私と付き合えと言うべきではなかったか。それが詐欺と略奪行為を働いた挙げ句、顔を真赤にして己の不誠実さを語るとは!重ねていうが、これがあの誠実さで有名な作家ヘルベルト・キルヒガー氏の真の姿なのだ。彼の正体は友人のチョコレートを奪い、友人の想いの人を奪い、さらに失意の友人を侮辱する人間なのだ。何が他人の傷に向き合えだ。何が己の罪を曝け出せだ。その言葉を自分に向かって問うたことはあるのか。結局その後私の想いの人はキルヒガーに騙されて彼と結婚してしまったが、私は毎夜キルヒガーに合法的に強姦される想いの人が心配になり、彼を監視するために、彼との表向きの友情を取り戻した。キルヒガーと私の想いの人の偽物夫婦との表向きの交流は長く続いたが、ある夜この偽物夫婦に夕食に誘われたとき、キルヒガーは私の前でこともあろうに想いの人の手料理を褒め上げて私を再度侮辱し、さらに彼はこんなことまで言ったのだ。
「お前も結婚しろよ」
私はあの時自分がピストルを持っていなかった事を神に感謝したい。懐にピストルがあったら即この男を撃ち殺していただろう。何という無神経なのか。この男は、世界的大作家のヘルベルト・キルヒガー氏は自分がどれほど重大な罪を犯したのか全く気づいてさえいないのだ。偉そうに他人の傷に向き合えと言っておきながら肝心の友人の傷にすら気づかないとは呆れるにも程がある。友人に裏切られて以降女性に恵まれず風俗で性欲を解消せざるを得なかった哀れな人間の気持ちなどこの男にはわからないのだ。しかもこの男はときたま私に見せつけるかのように想いの人の唇に接吻なんぞしていた。

略奪行為、詐欺行為、侮辱行為、さらには合法的な強姦行為。この男の罪をとりあげたらきりがない。どうして世はこんなにも不条理なのだ。私のような真の誠実な人間が市井に埋もれ、ヘルベルト・キルヒガーのような犯罪人がやれ大作家だ、人格者だともてはやされる。名声とは誠実の死屍累々の上に咲く花のようなものなのか。私は願う。せめてこの告発文を読んで皆が彼自らが作り上げた誠実な人格者という虚像から目覚め、この罪にまみれたヘルベルト・キルヒガーの真の姿に気づいてくれることを。






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