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パリピと純文学の間で

 戦後世代初の芥川賞作家であり、二十世紀後半の日本文学を代表する作家中上健次は新人の頃、勤めていた羽田空港のトイレで執筆していたという。これは文学がまだ人生を捧げるのに足るものだと信じられていた幸福な時代の話だが、しかし幸福であろうがなかろうが文学に人生を捧げたいと思っている人間はいくらでもいるのであり、中上の頃とあらゆるものが変わってしまった現代でもそれは同じである。

 ここに下々健三という小説家志望の青年がいた。彼は普段は派遣でデータ入力の仕事をしていて、その合間をぬって小説の執筆をしている。執筆は基本的に仕事が終わってから家でするが、当然小説のインスピレーションは時間通りに規則正しく来るものではない。健三はこのふとした瞬間に出た思いつきを逃すまいと意識を集中させた。だがバカ正社員に仕事を押し付けられているうちにその思いつきは消えてしまいそうになる。そんな時健三はスクッと席から立ち上がり管理者の正社員に向かってこういうのだ。

「ちゃ〜す。ちょっとお手洗い行ってきやす」

 管理者の正社員は健三に相槌を打ち彼が執務室から出てゆくと隣にいる同僚にこう言った。

「またサボりかよ。アイツもう契約の更新はねえな。全くチャラチャラした格好しやがって。ここはクラブじゃねえんだよ。あれで世の中渡っていけると思ってるのかね」

 この正社員の言う通り、下々健三はいつもチャラチャラした格好をしてヘラヘラ笑っている男であった。業務中にヘラヘラ笑いながらあまりにも頻繁にトイレに行くので、時々注意どころか、怒鳴りつけられさえいた。執務室の人間は健三をみな怠け癖のぬけないろくでなしだと思っていた。

 しかしその怠け癖の抜けないろくでなしはトイレに篭ってこれ以上ないほどの真剣な表情でスマホに次々と文字を打ち込んでいた。健三はスマホで文字を入力しながら時々歓喜の声さえあげた。この文章を書き終えねばトイレを出ることはまかりならぬ。今文章を書かねばこのインスピレーションは二度と浮かんでこない。だがその時ドアの向こうから誰かが強くノックしてきたので健三は手を止めざるを得なかった。

「おい、さっきから何やってんだよ!人待ってんだぞ!さっさと出てこいよ!」

 健三は描き終えられない無念さに歯噛みして仕方なくトイレから出た。

「サーセン。失礼しゃす!」

 トイレの外で待っていた中年の派遣社員はトイレから出てゆく健三を見て同僚に向かって舌打ちして言った。

「ったく、今時の若者は何考えてんだよ!人の迷惑の考えないでトイレで延々とスマホいぢくりまわしやがって!そういえばあいつトイレの中でなんか気持ち悪い声出してたな。多分アダルト動画観てたんだろう。後で社員さんに報告しよっと」

「いや、それどころじゃないよ。お前足元見ろよ。お前漏らしちゃってるぞ」

「えっ⁉︎ 」


 健三は世間に自分が純文学作家を目指していることを気取られないように自分を今時のパリピのペラペラの若者に見せていた。それは今までの経験から人は自分の純文学にたいする思いをまともに受け取らない事を身に染みて感じたからである。健三は中学の頃に太宰治の『人間失格』を読んで圧倒的な衝撃を受けた。それは彼を純文学作家への道に進ませるほどのものであったが、いざその衝撃を人に伝えると大爆笑され、こう言われたのだ。

「健三みたいなパリピが純文学ぅ?おかしくて笑えるわ!冗談はマジで顔だけにしてね!」

 このように健三は幼い頃から常に他人に誤解されていた。この天然のにやけヅラのパリピ丸出しの顔のせいで彼の言葉は他人にまともに受け取られなかった。顔に反して傷つきやすい健三は傷つきすぎて北村透谷のように苦悩の果てに死にたくはないと思い、世間の想像する自分に合わせてパリピのように振る舞うようになったのであった。健三は毎日パリピに振る舞う自分ををまるで大庭葉蔵のまんまだと自嘲した。そして鏡に写る自分を見ていつも泣いた。鏡に写る自分は世間の想像通りのパリピそのものだったからである。大学時代の文学部に在籍していた時、健三は教授をはじめとした連中に奇異の目で見られた。さる講義に出た時など講師が彼を笑いものにした。

「君学部はどこだね?ここは文学部だから君のパリピ学部とは違うよ」

 講師がこう言うと教室にどっと笑いが起こった。健三はこの嘲笑に深く傷付いたが、だが傷付いたと正直に泣き喚いても尚更笑われるだけだ。だから彼はパリピに振る舞うことにした。彼は机の上に立ち上がり両手をあげて奇声を放つとその場から逃げた。健三はパリピそのままに学内中で奇声をあげまくったが、誰もそれが彼の嘆きの叫びだと気づくはずもなかった。


 健三はパリピのバカだと見られていたので、同じパリピの連中がよく寄ってきた。彼はパリピを深く軽蔑していたが、世間から見れば自分もまた、いや自分こそがパリピ中のパリピだったので彼らに付き合うしかなかった。彼らは健三の目の前で週末のいい女のいそうなクラブのことを話していたが、不幸にも健三は彼らよりはるかにそのクラブについて知っていた。なんと健三はVIP席に招待された事があるほどだった。健三はクラブやそこで流れているバカのパリピやそのパリピが聞いているバカ音楽など激しく軽蔑していたが、パリピのように振る舞おうとしているうちに誰よりもそれに詳しくなっしまったのだ。健三は自分が文学から遠ざかっているように思えて悲しかった。文学をこれほど愛する自分が何故パリピの沼にハマっていくのか。クラブじゃ誰よりも大絶叫していた。クラブじゃ誰よりも女の子をやりまくっていた。一度などクラブのトイレでいたしてしまい、店員にばれてブラックリストに乗りかけた事がある。彼はその翌日の朝女の吐き気がするほどむせる香水の匂いがベタついたベッドで号泣した。ああ!自分はまた純粋なものをドブに捨ててしまった。太宰治も俺ほど空虚な嘘をついていたわけじゃないだろう。俺はいつまでこの世間が想像通りのキャラクターを演じなきゃいけないんだ。ああ!本当の自分に戻りたい!

 しかしそれでも健三は偽りのパリピを演じなければならなかった。そうしなければ自分が到底持たなかった。本当の自分を出したら世間は人を自殺に貶めるほど自分を嘲笑うだろう。ああ!北村透谷、藤村操、そして太宰治!パリピに生まれてすみません。でもこれは自分では変えられぬ運命なのです。本当の僕は純文学好きのか弱い青年なのです。だけど僕は文学青年の顔に生まれなかった。ドストエフスキーは苦悩するには苦悩に相応しい顔が必要だと言った。だけど僕の顔はその苦悩に全く相応しくないんです。

 ああ!悩める文学青年よ!自殺を考えるほど自分の顔について悩んでいたなんて!だけど不幸にも彼はその悩みに全く相応しくない顔をしている。このパリピ男が自殺したいと喚いても死ね死ねのコールが返ってくるだけだ。と、そんなわけで今日も健三はスマホ片手にトイレに篭って小説を書いていた。今は昼休みであった。だから時間はたっぷり使えた。だから思いのままに指でスマホを叩いて小説を書いていた。「やばい」「いける」。と健三は筆が進むと無意識に呟いた。そして終わりが見えてくると「やれるぞ」と声をあげて指を素早く走らせた。

 執筆が一段落してトイレから出るといきなり周りの冷たい視線にぶつかった。トイレ待ちの連中だった。健三は連中にサァーセンと謝って流しに向かおうとしたが、その彼の後ろ姿に向かって誰かがこう言った。

「おい、お前!何がヤレるだよ!トイレでマッチングアプリなんかやってんじゃねえよ!」

 健三はこの罵倒に深く傷付いた。それでその自己を防衛するためにパリピとなった。

「バレてましたか。へへ今夜もオールでヤリますよ!」

「おいお前。この間は篭ってアダルトサイト見てたんだってな。お前マジでクビになるぞ」


 下々健三は純文学作家になろうと文学賞に片っ端から応募していたが、それだけにとどまらず出版社に原稿の持ち込みまでしていた。しかしどの編集者もこのパリピ丸出しの男の原稿を読んでこういうのだった。

「君って小説と顔があってないよね。あのさ、小説家目指すならもっと真面目な格好してこいよ。なんだよそのニヤケ面。お前ふざけてんのか?ここはクラブじゃねえんだぜ」

 この編集者の言葉を聞いて健三はその場で泣きたくなった。だが、彼はパリピになることでそれを耐えた。

「サーセン。俺場所を間違えてました!今からクラブでオールしてきます!」


 パリピの健三は当然パリピの女が寄ってくる。一緒に仕事をしている派遣のパリピ女も彼に誘いをかけてきた。彼はこのいかにも文学のわからぬ女の誘いに乗る気はなかった。だがその気はないと素で言う気になれなかった。確かにこの頭パリピなどごめん被りたいが、ストレートに言ったらこのパリピ女はパリピの僕じゃなくてこの文学青年の僕を傷つける。だからパリピの言葉で彼女の誘いを拒絶すればいいのだ。健三はヘラヘラ笑いながら女に言った。

「いや、女の子は間に合ってるから。ゴメンね」


 下々健三は精神と肉体の相剋に悩むトニオ・クレーゲルのように、文学青年とパリピの相剋に悩んでいた。彼の中の文学青年は文学への道へと真っ直ぐに歩もうとしているのに、それをパリピが邪魔をするのだ。健三は文学青年たる自分の中にパリピ成分などなんパーセントのないと思っていた。だが彼は自らの中にもしかしたらパリピが潜んでいるのかと思うようになった。彼はそう考えるたびに頭を振って否定しようとしたが、否定してもパリピの存在は彼の中で大きくなった。

 ああ!世間では自分はパリピ中のパリピ!クラブじゃ何故かVIP席!無数のパリピ女が自分の股を弄る!だけど僕は違うんだ。僕が愛するのはパリピ女じゃなくて文学少女なんだ。そういえば学生時代ある文学少女に告白をした事がある。僕はあの時こう告白したんだ。

「今からラブホ行かない?もうたまんないよ」

 ああ!何故あんな大事なところでパリピになってしまったんだ!素の文学青年の僕で告白すればよかったじゃないか!彼女だったらパリピの奥の文学青年の僕を見つけてくれたはずなのに!

 文学少女は彼をダニでも見るような目で見て無言で立ち去った。そして翌日停学処分という形で全力の拒否をしてきたのであった。


 今までのあまりに不毛なパリピ人生。いくら世間から自分を守るためとはいえ、演じているうちにいつの間にかパリピに染まってしまった。まる麻薬中毒の患者のように僕はパリピにハマりまくってしまった。もうパリピなんかやめて素の僕で生きよう。いくらパリピのくせにとバカにされてもいい。僕はパリピでも孔明でもなくただの文学青年なんだ。これからパリピを捨てて文学青年として生きるんだ。

 健三はそのケジメとして一応付き合っていたパリピ女に別れを告げる事にした。このパリピ女とは三ヶ月前から付き合っていたが、彼としては長い付き合いだった。多分セックスの相性が良かったからだろう。だがそれは苦しみであった。彼女との関係には肉の関係しかなかった。健三は彼女をただ性欲を解消する肉蒲団として使っていたに過ぎなかった。僕は彼女を性欲のために使用していたに過ぎない。なんて酷い男なのだ貴様は。偽りのパリピで彼女を騙し弄んでいたのだ。彼女はパリピだったが田舎育ちの純朴な子だ。その彼女にあんなことやこんなことをさせてしまいにはあんな酷いことまでして!彼は自分の彼女との愚かしい情交の日々ゆ思い出してぞっとした。彼女もこの不浄の僕とは別れた方がいいのだ。別れる時に彼女に言ってやろう。僕の君への想いは全て偽りだった。君には愛はなく肉の快楽しか求めていなかった。僕の愚かしい戯れについては心から謝罪する。君は本当にいい子だからパリピなんかやめて素の自分に戻るんだと。健三はスマホをとって彼女に電話をかけた。

 クラブでガンガンやかましい音楽が鳴る中健三はパリピ女に別れ話をしていた。彼はふんぞり返って女にこう言った。

「俺、今まで嘘ついてだんだよ。今までスキとか、もう離さないとか言ってたのはただヤリたかっただけ。今まで騙していたのは申し訳ないけど、お前田舎臭くてパリピ合わないからさっさと田舎帰って農業始めた方がいいよ」


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