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最後の防波堤

 ロックマニアに人気の某レコード屋は午後六時を過ぎたあたりから客がグッと増えてくる。その客たちの大半は人生の残り時間を半分切った人々で、彼らは日々の退屈をロックで埋めるためにこのレコード屋に集まっていた。彼らの大半はパチンコなどやらない。また漫画やアニメなどははなから軽蔑しきっていて、そういうものには一切手を触れない。ロックの他にはアーティストがフェバリットとして挙げる映画やアーティストを撮ったドキュメンタリーぐらいしか観ない。だがアニメに関してだけはまれに興味を示すことがあり、それは主題歌を歌っている歌手やバンドの連中が、インタビューなどで影響を受けたとして彼らが日々聴いているアーティストを挙げた時である。彼らはその事をSNS等で知ると、さてどんなものかと上から目線でそのアニソンをYouTube等で検索して聴くのである。そうして聞き終わった後、彼らは口を揃えてこんな感想を述べる。

「○○に影響を受けたっていうからどんなもんかと試しに聴いてみたら、まるでなっていないじゃないか。これからは気安く○○の事を語って欲しくないね。全くホントに聴いてるかどうかさえ怪しいよ。ロックを舐めるなって感じだ」

 某レコード店に来る人間はそんなロック好きで埋め尽くされている。彼らの好みは年代ごとによってはっきりと分かれている。ビートルズからセックスピストルズまで様々だ。だがその中でも好みは細分化されており、同世代ですらビートルズ好きの中にはストーンズを認めないものがおり、逆にストーンズ好きの中にもビートルズを認めないものがいる。またザ・フーこそ至上と讃え、ビートルズもストーンズも認めないような堅物な連中もいる。世代間でのロックの価値観の相違はそれよりも一層深刻で、場合によってロック好きの世代間抗争にまで発展することもある。ビートルズを始めとした60年代ロック好きはセックスピストルズに代表されるパンクを認めず、逆にパンク好きは60年代ロックを退屈な親父音楽として忌み嫌う。周りから見ればどっちも親父音楽でしかないが、当然オヤジのカテゴリーにも区別があるように、その親父の聴いているロックにも区別があるのだ。彼らのロックへのこだわりはアーティストだけに留まらず、購入しようとするレコードのレーベル番号にも及ぶ。彼らはいかに自分がロックやアーティストに詳しいかを誇示するために揃ってレコードの原盤を手に入れたがる。サブスクなどで容易に手に入れられるハイレゾ音源の方が遥かにオリジナルの音に近いにもかかわらずである。

「僕はヒップホップを担当したくてこのレコード屋さんにはいったんですけど、何故かロックコーナー任させれてしまいまして、ホントロック知らないから毎日お客さんに怒鳴られるんですよ。例えばこの間ビートルズ好きのお役さんにヤーヤーヤーの日本盤あるかって聞かれたんですけど、その時昨日テレビのカラオケ番組でヤーヤーヤーって曲お笑いタレントが懐メロで歌ってたのを思い出してそれだと思って、そのレコードはビートルズじゃなくてそれはハゲアンド飛鳥っていう日本のアーティストのものですよって教えてあげたら、何故かガチギレされちゃいました。まぁ、その後でお客さんの探しているレコードがハゲアスじゃなくてビートルズのハードデイズナイトの日本盤のタイトルだってわかったんですけどね。それで僕はなんか申し訳ないと思ってお客さんの機嫌を直そうと思ってビートルズを褒めたんですよ。ビートルズって僕のひいおじいちゃんも聴いてましたよ。やっぱり演歌みたいないい歌っていつまでも残るんですねえ。っていろいろ褒めたんですけど、したらお客さん人を年寄り扱いするなってまたガチギレしちゃいまして。僕いまだにロック好きの人を理解できませんよ。だいたいなんでビートルズとセックスピストルズのどっちが偉いかで争うんですかね。両方ともいい感じの懐メロじゃないですか」

 レコード屋の店長によるとロック好きは高齢化して若い店員との世代間ギャップが洒落にならないぐらい深刻化しているという。

「うちの店入るんだったらとにかくロックの教養は身に着けておけって言ってるんですが、教養のある奴は正社員にならないでバイト辞めてどっかの一流企業に入っちゃうから、結局スタッフは教養がない奴ばかりになっちゃうんですよ。この間もUKのニルヴァーナとカートコバーンの例のバンドを見事に混同している奴がいてお客さんを大激怒させていました。お客さんがUKのニルヴァーナが欲しいって言ったら、ウチの奴がニルヴァーナはアメリカのバンドですよって訂正し出すんだから。でもそれだったらまだマシで、お客さんからアーティストについて質問されるといきなりスマホ取り出してウィキペディアをお客さんに突き付ける奴さえいるんですよ。もう地獄ですよ。これからはスタッフには若いのを採用するのをあきらめて定年退職したロック好きを採用することを考えています」

 このレコード屋はロック好きの最後の防波堤と呼ばれている。かつて日本人が愛したロックがこの店に煮詰め過ぎた加齢臭のようにギュッと詰まっている。再び店長は語る。

「これからウチが求められるのはお客さんのためのケアサービスですね。これが非常に気を遣うんです。普通の高齢者の方なら全然いいんです。だけどああいういわゆるロック好きの方はいつまでも自分を若いと思って、自分が前期、或いは後期高齢者であることを認識されていないようなんです。だから思わぬ事故が起こるかもしれない。この間ビートルズの重量盤を買いに来たお客さんが目の前でレコードの入った袋を振り回したんですが、握力が足らなかったのか袋が指からすっぽ抜けて遠くに飛んで行ってしまったんです。幸いレコードは無事だったんですが、今後重大な事故が起こらないとも限らない。また何度言ってもレコードをそのまま店に持ち出してしまうお客さんもいます。そんな人お客さんにトラブルを起こすことなく気持ちよく店から退出してもらいには専門的な介護の教育を受けたスタッフが必要になると思います。いつまでも若いと思っているプライドの高いお客さん方に介護されていることを悟られずに気持ちよく買い物をしていただける。将来的には店のシステムをそんな風にしていくつもりです」

 店長は最後にこのロックの最後の防波堤と呼ばれる店の将来について語った。

「僕自身は特にロック好きじゃなくて、たまたまレコード屋の息子として生まれてずっとロックに囲まれて育ってきたんです。だからなんとかこうして店をやっていけるけど、僕が引退することになったらどうなるかわかりません。ロック好きのお客さんを相手にするのは並みの音楽好きの知識じゃやっていけないんです。ビートルズだったら全アルバムを聴いてるレベルじゃ無理です。ビートルズの各国盤のレコードのレーベル番号や、マトリクス番号等の識別とかすべて知ってようやくやっていけるんです。だけど今のサブスクでなんでもかんでも聴いてるような若者にはとてもそれを要求できない。ロックは完全に高齢化してもうクラシックとかの位置になっています。ロックは常に若者のものなんて言っている方もいますが、その人自体がもう後期高齢者なんです。でもこの店は僕が生きている限り続けますよ。なんといってもこの店はロックの最後の防波堤ですからね」

 店長はこう言うと両手でロックサインをした。その顔にはこれからもロックを守り続けるという強い意志があった。

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