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デオドール・ゲッセンの肖像

 デオドール・ゲッセンは十九世紀のドイツで活躍した偉大なる哲学者である。その彼が亡くなって数年が経った頃、信奉者たちがゲッセンの業績を後世に残そうと、彼の著作集の出版を計画した。信奉者たちは最初に出版社に声をかけたが、出版社もこの偉大なる哲学者の著作を出版することは名誉であると考えていたので断る理由などなくすぐさま著作集の編集作業に取り掛かったのであった。

 ゲッセンの著作集は驚くほど早く仕上がっていった。ゲッセンの導きのおかげか、編集者たちのゲッセンへの愛か。とにかく本は完成寸前までいったのである。だがここで一つ問題が起こった。偉大なる哲学者デオドール・ゲッセンには当時まだ発明されたばかりの写真は勿論、肖像画の類さえなかったのである。写真ならともかく肖像画さえないというのは奇妙だが、これはゲッセンが自分の姿をどんな形であれ型取られることを嫌ったせいである。ゲッセンはその著作で次のようなことを書いている。

『いかなる絵も、たとえあの人の魂を抜き取るようなカメラオブスキュアでさえ自らの自我を表すことは出来ない。絵は自我の形態の模写でしかなく、カメラオブスキュアの如き人を正確に形どるものさえ同じである。人は鏡に映る己を自己だと認識するがそれは鏡に映る人物に己の内面を投影しているからにすぎない。自我は物として自立することはできない。自我を表す事が出来るのは言語のみである。人類の歴史で積み上げられてきた言語を書き連ねる事でようやく人は自らの自我を語る事が出来るのだ。他者はよく私があなたを一番よく理解しているという。だがそれは彼ら自身の感じたこと、見たことを表面的に、しかもほとんどの場合誤って理解している場合が殆どである。なぜ誤るのかというと、それは彼らの自我が意識的に、あるいは無意識的に、対象を自分の都合のいいように作り変えるからである。他者もまた己の自我を持っている。社会とは複数の自我の集合体から成り立っている。しかし集合体といえど自我は決して重なることはない。自らの自我の中に他人の自我が入り込むことなど決してないのだ。それはどんな画家であろうが他人の自我を描くことなど不可能である事と同じである』

 本の完成寸前にこの事実に気づいた編集者は如何すべきか頭を悩ませた。いくら肖像画や写真が嫌いだと公言して憚らなかったゲッセンとはいえ肖像画一つない本は淋しい病気になるぐらい淋しすぎる。偉大なるゲッセンはどのような人物であったのかを知るには経歴でしか確認できないとは。編集者たちは悩んだ末、せめて彼の人となりをより深く知るために関係者に片っ端からあたった。するとその中にゲッセンの生前の恋人だという人物に突き当たった。その恋人だという女はクリスチーナ・エーベルトといった。彼女はド派手な格好をしたよく喋る女で来訪してきた編集者たちに向かってゲッセンのことをいらんことまで洗いざらいぶちまけた。クリスチーナの話によると彼女はゲッセンが四十をすぎた頃から付き合い始めたらしい。ゲッセンはずっと哲学ばかりしていたのでそれまで女性関係はなかったそうだ。彼女によるとゲッセンは日頃から自分のルックスに過剰にコンプレックスを抱いていてそれが彼の肖像画嫌いの原因じゃないかという事だった。話の終わりにクリスチーナは歓喜に満ちた表現でこう言った。

「ああ!あの高潔な人を理解していたのは私だけなのよ!私はあの人の体の隅々も、そして心も全て知り尽くしているのよ!」

 編集者たちはこの熱烈な告白にゲッセンの意外すぎる一面を見て驚いたが、しかし確かに興味深い話であるものの、とても著作集には載せられないとため息をついた。クリスチーナは編集者が自分の前で浮かない顔をしているのに不機嫌になり、「あなたたち一体なんのためにここに来たのよ!」と文句を言った。それを聞いた編集者は悩んだ末にクリスチーナにゲッセンの肖像画や写真は手元にないかと聞いた。するとクリスチーナはないと大袈裟に頭を振って答えた。それから彼女はゲッセンが写真どころか自分の絵を描くことさえ禁じていたと打ち明けた。

「ああ!あなたどうして私にあなたの絵を描かせてくれなかったの?あなたいつも私の絵を上手いって言ってだじゃない。ゴヤなんて目じゃないよとか言ってたのに!」

 ここでクリスチーナはあっと声をあげて話を止めた。

「そうだ。あなたたち肖像画がなくて困っているんでしょ?よかったら私が肖像画描いてあげるわ!いいでしょ?あの人を理解しているのは私なんだから!あの人のクソ妹のせいで鐚一文遺産もらえなかった私だけど、あの人を一番愛し、理解したのは私なんだから!ねぇ、お願い私にあの人の肖像画描かせて!私は生きていた頃のあの人の姿をありのままに描くから!」

 異様な熱意に満ちた言葉であった。編集者はその熱意に押されて思わず承諾した。それから一週間後であった。編集部の元にドアほどもある荷物が届けられた。編集者たちはクリスチーナが描いたゲッセンの肖像画だと察してあまりの絵のデカさに呆れながらも彼女のゲッセンへの想いの深さに感動した。編集者たちは総出でなんとか荷物を室内に入れて壁に立てかけるといささか緊張を覚えながら、まずは布を縛っている紐を解いていった。彼らは解かれていく紐を見ながらゲッセンが実際にどのような顔をしているのか想像して緊張した。ゲッセンを一番よく知っている人物が描いた肖像画だ。どんなに想像と違くても肖像画の方が正しいのだ。目の前ではとうとう布が剥がされていった。最初に仰々しいほど豪華な額縁が見えた。そしてとうとうゲッセンの御身姿が現れた。

 編集者たちは絵を見た瞬間頭が真っ白になった。その子供が描いたのかと思われるほどのど下手くそな絵には全裸のゲッセンが赤ら顔でよだれを垂らしてニヤニヤ笑っているものだったのである。絵の下にはクリスチーナの筆でこう書かれていた。

「ゲセちゃん大好き💕」

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