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深夜、サービスエリアで男女が交わした会話

深夜のとある寂れたサービスエリアの駐車場に二台の車が続けて入ってきた。前の車が黒で後ろの車が赤だ。車種ははっきりとわからないが二台は同じ形をしている。

 まず黒い車が二台分空きのあるうちの一つの駐車エリアに停まった。続いて赤い車もその隣に車を停めた。

 黒い車に乗っていた男は後から入ってきた赤い車の運転手をふと見て思わずガン見した。そこにいたのが長い髪をしたなかなかいい女だったからである。女は自分を見ている視線に気づき黒い車を見た。彼女はそこに自分を見つめる能天気そうな男を見た。

 二人はほぼ同時に目を逸らした。そうして二人ともしばらく運転席に座っていたが、黒い車の男の方がもよおしたらしくシートベルトを乱暴に外してトイレへと駆け込んだ。

 男が車から去ったのを見て女も車から出る。女は男が車のロックをかけたのか気になった。慌てて出ていったようだしロックの音もしなかった。もし鍵が空いていたら何か盗まれるかもしれない。

 しかし女は自分には関係のない事と思い直してサービスエリア内のレストランへと向かった。レストランの席は半分ぐらい埋まっていた。女は駐車場に車がやたらに止まっていた事を思い出しこんな寂れた場所なのに不思議だと思った。

 女はレストランでうどんを注文した。うどんを受け取ると彼女はまっすぐ薬味コーナーに行き、そこで天かす生姜醤油をたっぷりとかけた。女は席で天かす生姜醤油全部入りうどんを満足そうに啜りながら、油が残って太らないかと心配したが、しかしそれは彼女がいつも天かす生姜醤油全部入りうどんを食べる時に考える事だ。

 彼女はレストランを見渡して男を探した。だが男はいない。ここにいないという事は外の喫煙所でタバコでも吸っているのかもしれない。サービスエリアの館内施設はここしかないからだ。

 店内には女の他に長距離トラックの運転手や工事現場の人間らしき者たちがいた。男がほとんどだが、その中には女も混じって奇妙な歓声をあげていた。労働の合間のちょっとした休息のようだ。このレストランに自分と同じ目的で来ているものなど誰もいない。そういえば、と彼女は再び男の事を考えた。彼は何をしにここまできたのだろう。まさか労働のためではないだろうし。やっぱりただの旅行者なのだろうか。

「あの、ここ相席いいですか?」

 食べている最中に突然声をかけられたので女はビクッとして声のした方を向いた。さきほどの黒い車の男だった。

「なんか一人で食べづらくて……。雰囲気違うでしょここ」

 そう言って男は笑う。たしかにこのレストランでは自分と男だけが浮いているような気がする。女は自己防衛とこのお気楽そうに見える男への興味から相席を許した。

「いやよかった。これでガラの悪い連中に絡まれなくてすみそうだ。こう見えて俺って意外に小心者なんですよ」

 想像通り調子のいい男だった。女は男の持っていたトレーに見て驚いた。そこには女と同じ天かす生姜醤油全部入りうどんが乗っていたのである。

「あなたもうどんそうやって食べるの?」

「そうですよ。いやぁ、こんなとこで天かす生姜醤油全部入りうどんを食べる人を見るとは思わなかった。これって運命の出会いってやつかなぁ?」

「やっぱりあなた遠くに行ってくんない?」

「あっ、ごめん。軽い冗談のつもりだったけど怒った?」

「怒った」

「ひっ、きっついねぇ〜。まぁとにかくうどん食べましょうよ。早く食べねえと天かすが完全にふやけちゃうぜ」

「そうだね。天かす生姜醤油全部入りうどんは天かすが半分ぐらいとろけた時が一番美味しいっていうし」

「いやぁ、あなたますます俺と気が合うなぁ。そんなに天かす生姜醤油全部入りうどんについて話せる人にやっと会えたよ。やっぱり僕ら運命で結ばれてるんですよ」

 女は呆れたような目線を男に向けるといつの間にか来ていた暴走族の連中を指差して冷たく言い放った。

「あのさ、あなた私じゃなくてあの人たちと一緒に食べたら?」

「いや、勘弁勘弁!さっ、早くうどん食べましょ!」


「であなた何しにここまで来たの?」と女はうどんを食べ終わってから男に話しかけた。男は妙に意地の悪い笑みを浮かべて女の問いに答えた。

「自殺するため」

 女は衝撃のあまり思わず声が出そうになった。

「あ、あの……冗談だよね」

 しばらく間を置いて男が答える。

「勿論冗談だよ。ビックリした?心臓が飛び出そうになった?正直に答えてよ」

「ああ、呆れた!一瞬本気にしちゃったじゃない!あなたよくそんなタチの悪い冗談つけるね」

 男は女の反応にケタケタ笑い逆に尋ねてくる。

「で、アンタは何しにここまで来たのよ。十秒以内に答えてよ」

 女は男の質問に答えず笑みを浮かべたまま黙っている。

「おい、もう十秒経ったぞ!早く答えろよ」

「逃亡」

「逃亡?何から逃げてるわけ?」

「警察から。今日の昼間に人殺したのよ、私」

 今度は男の方が驚いた。彼は動揺をなんとか取り繕って笑いながら言った。

「ねえ、冗談だよね?そんな真顔で冗談言うの良くないよ」

「この顔が冗談言ってるように見える?」

 男は言葉を発する事が出来なかった。まさかそんな事が……。しかし女は突然パッと表情を輝かせて男を指さして言った。

「バカじゃないのあなた!嘘に決まってるでしょ!」

 そして女は腹を抱えて笑い出した。

「なんだよバカヤロ!そんなマジ顔でいうから本気にしちゃったじゃねえかよ!」

 そう言うと男も笑い出した。そうして二人でバカ笑いしていたら女の方が急に真顔に戻って男に言った。

「あのそろそろここでない?」

 女はそう言って目線で周りに注意を向けた。見てみると店内の連中が二人をウザそうに睨みつけているではないか。男は連中と目を合わせないように顔を埋めた。女はその男に向かって言う。

「それとあなたさっきちゃんと車のロックかけた?もしかしたら今頃車上荒らしにかかってるかもしれないよ」

 男は女の指摘にハッとして顔を上げた。

「そうだ!俺ロックかけてないや。早く車に戻らなくちゃ!」

※※

 二人は返却口にトレーを乗せると早速駐車場へと戻った。どうやら男の車は無事なようだ。赤と黒の車は先程と変わらずに二台並んでいたが、他の車ははすでに移動したらしくこの一角には男と女の車しか止まっていなかった。

「いや、よかった、よかった別になんも盗まれていないや」

 車から出てきた男は安心した顔で女に言った。「ではさっそく」男は女の車のドアに手をかけて言う。

「ちょっとあなた何やってんの?あなたの車はそっちでしょ!」

「あれ?てっきり俺を誘ってるのかと思ったけど」

「誘うわけないでしょ!さっさと自分の車に乗りなさいよ!」

 男は冗談だよとヘラヘラと笑って自分の車に戻った。そして助手席に座って赤い車の運転席に座っている女に向かって言う。

「せっかくスキンシップしようとしたのに。つれないなあ~。でも俺の事はイヤになったわけじゃないんだろ?だって運転席に座っているし」

「はあっ?バカじゃないの。あのね、運転席に座ったのは防御のためよ。寝ている間にあんたにどっか連れてかれないようにね」

「だけど、そんなに窓開けてたら乗り込まれて一瞬で終わりだよ?」

「だったら今から閉めるわよ!じゃあおやすみなさい!」

 そう言うとおんないきなり窓を閉めて男に背を向けてしまった。男は余計な事を言って女を怒らせた事を後悔した。朝まで時間をどうやって潰せばよいか。寝ようにも目が覚めてしまって眠るに寝れない。とりあえずどう暇を潰すか考えていたら妙に寒気がしてますます目が冴えてしまった。

「あの、まだ起きてる?」

 隣から女の声が聞こえた。女の方を見るとさっきのように窓を開けて男を見ている。

「起きてる」

「起きててよかった。寝ようとしたんだけどやっぱり寝れなくてさ」

「俺もそうだよ」

「ねえ、少し話でもしない?」

「いいよ。今度はからかったりしないよ」

「別にからかってもいいよ。さっきのであなたに対して免疫出来たから」

「免疫って?」

「あなたがそういう人間だってわかったからよ」

「そういう人間ってどういう人間?」

「うるさい、いちいち聞きかえすな。自分で考えろ!」

 女はそういった後で笑った。男もまた笑う。そしてしばらくして女が真顔に戻って男に話しかけた。

「ねえ、とりあえず互いに自己紹介しない?」

 女の言葉に男は怪訝な顔をして答えた。

「自己紹介なんかしてどうすんの?もしかしてあんたアフリエイトの勧誘でもするつもりなの?」

「なんで私がアフリエイトなんかしなくちゃいけないのよ!あなた意外に用心深いのね。私が自己紹介したほうがいいって言ってるのはその方が会話が盛り上がるからだよ」

「あっ、もしかして俺の冗談真に受けた?」

「あなた人にそんな態度とってるとホントろくなことにならないよ」

「わかってますよそんな事。で、自己紹介すればいいんだな?」

「そう、簡単に自分の仕事とか趣味とかさ、そういうやつ。名前とか住んでるとことかなしでいいよ。私は絶対に喋らないし」

「なんだよそれ。自己紹介の意味ねえじゃん。まあわかったよ。とりあえず自己アピールみたいな事やればいいんだろ?」

「それでお願いします」

 女がそう言うと男は正面を向いてわざとらしく呼吸しはじめ「いやぁ~あがるなぁ~」と独り言を言った。それを見て女は呆れて男に向かって早く!と急かした。それでようやく男も喋る気になったようで再び女の方を向いて自己紹介をはじめた。

「俺、こう見えて与党の国会議員の秘書なんだよね。といっても下っ端の雑用係みたいなもんだけど」

 女は男の意外な経歴に一瞬驚いたが、男の顔を見てすぐに嘘だと感づいた。だが女はあえて男の話に乗ることにした。

「凄いね。いくら雑用係とかいってもそれってあくまで国会議員の秘書のレベルの話でしょ?」

「違うね、本当にただの雑用だよ。先生とか秘書のために弁当の買い出し行ったり、どうでもいい陳情の応対したりさ。まぁホントに秘書じゃなくちゃできない事もしてるんだけど……」

「それって何?」

「そりゃあれさ。三人の秘書ん中で一番下っ端だし代わりのきくスペアでしかない俺の出来る事っていったらあれしかないだろ?最近先生にとある疑惑が持ち上がってな。俺は全く関知していない事なんだけど、それが公になったら先生は国会議員として確実に終わりだし、俺たち秘書全員も終わりだ。だから一番下っ端の俺が選ばれたって言うわけ」

「あ〜っ、国会議員や同僚の誰かの身代わりで自殺ですか。それってさっきあなたが言ってた自殺するって話の事?……呆れた。あなたよくそんな嘘ペラペラ喋れるね」

「あれっ俺ホントの事話したんだけど」

「やめてよ。そんな現実味のない話がどこにあるのよ。そんな話だったら私いくらでも作れるわよ」

「じゃあ今すぐに作って話してみろよ」と自分の話に突っ込まれて不満げな顔をした男が言った。女は男の挑発的な物言いを鼻で笑い、「じゃあ次は私の話をするよ」と言ってから話し始めた。

※※※

「じゃあ私も自分の話しようかな。さっきさ、人殺したって言ったけど、あれって冗談じゃなくてホントだからね。あなたとはまるで違うのよ。私大学まですっごい真面目でさ。親の言う通りいいところに入って将来それなりの人と結婚するなんて漠然と思ってた。結局それがよかったのか某大手銀行に入れてとりあえず順風満帆だったんだ。だけどさ、いつからかわかんないけどそんな生活に疑問を持つようになったんだよね。親に言われた通りこのまま道を進んでいいのかって。私の人生は私のものじゃないかって。でも結局それが罠だった。端的に言って魔が差したんだよ。価値観のまるで違う誰かと本気で全てを分かち合いたいって思うようになってマッチングアプリに入ったんだ。まあ、安易も安易だよね。そんなとこじゃろくな人間に出会えないよってみんな言うよ。だけどあの時の私はそれぐらい思いつめられていたんだよ」

「そこで男と会ったってわけ?」

「そうだよ。ってか、ちょっとあなた人の話を先回りしないでよ。こっちは順序立てて話してるんだからさ」

「悪いな、そういう男女の痴話ってのは大好物だからさ」

 男はそういって笑う。さっきの話の続きだ。さてこの女はどんな見事な嘘をつくのだろう。女はあきれて男に言う。

「痴話ねえ~。でもこっからは口はさんだりしないでよ」

「ハイハイわかりましたよ」

「そうあなたの言う通りそこであの男に出会ったのよ。出会って軽くチャットしたら以外にも私と趣味があった。だから彼と会って色々話したんだけど、聞くと彼もそれなりの大学を出ているようで教養もそこそこあった。でも彼は大学を卒業してからろくに働かないでホストみたいな事をしていたらしいの。そんなんだから実家からも絶縁されて今は完全に無一文だって言ってたんだけど、最後にさ、彼自分の今までのしてきた事悔いて泣き出したんだよね。俺ってとんでもない馬鹿だって。もうやり直しの効かないとこまで来ちまったって。そんな彼見てたらさ。母性本能っていうか、そんな哀れみの情が出てきてさそれで……」

「付き合い始めたってわけか」

「……あの、さっき言ったばかりじゃない。何回も人の話に割り込んでくるのやめてくれない?やめないと話やめるよ!」

 声の調子で本気で女が怒っているのがわかったので男は真顔になり悪いと女に向かって頷いた。女はそれに軽く頭を下げて応え話を続けて良いかと男に聞く。男はボソリと言った。

「続けて」

「それから私たちは付き合い始めてすぐに同棲したんだけど、付き合ってすぐに彼は友達と事業を始めたいから金を貸してくれって言い出した。これが最後のチャンスだとか泣いて頼まれてさ。その時は彼も本気で立ち直る気だったみたい。実際に短い間だけどだけど彼と友達の会社は上手く行ってたの。だけどそれは一瞬にして終わった。仕事から家に帰ったら彼青い顔して玄関の中で崩れてた。彼私を見て泣きながら言ったんだ。『アイツに金持ち逃げされた。あの野郎いつの間にか会社の口座を自分名義に変えてやがったんだ。もう終わりだよ俺は!』思えばこの時に彼と別れればよかったのよ。彼と付き合う前の、今付き合い始めた頃の私だったら多分別れてたと思う。だけどこの頃の私は彼から離れなれなかったのよ。彼がいなくちゃ生きていけないっと心から思っていた。結局それから私たちは底なし沼に嵌るように堕ちていった。彼はやけになってギャンブルに手を出して、それで借金が積み重なって、その度に私に金をせびって。私も彼のために銀行から貯金おろしてあげてたけど、とうとうお金がなくなった。それで私は」

 女は話を切って男を見た。男は彼女の切迫した表情に驚き話の続きを待つ。女はその男をチラリと見てから話を再開した。

「銀行からお金を横領したのよ。こんな事どう考えても馬鹿げた事だけど当時の私にはその判断力さえなかった。彼を救いたかったっていうか。それほど愛してたのね。恋は盲目って言葉があるけどやっぱりほんとだわ。私今まで女の横領事件のニュース見るたびになんでバカな事すんのかって思ってた。だけど私は全く同じ理由で同じ事をしたんだよ。笑えるよね。もう完全に私は積んでた。このままだったらいずれ銀行にバレて警察に捕まる。私はそう思って彼に迷惑をかけないようにそっと彼の元から出て行こうとしたんだ。ホントにおめでたいけど彼に幸せになってもらいたいなってことさえ思ってだけど」

 そこで女は再び話を止める。男は女の話が終盤に来ているのだと悟った。

「だけどそんな私の思いは見事に裏切られた。アイツ部屋に女を連れ込んでたのよ。……しかも私が帰って来た時やっている最中だった。それを見た瞬間自分の中の何もかもが崩れていった。こんなやつのために一生を台無しにした自分がバカらしく思えた。……アイツが連れ込んだ女はすぐ出て行った。そしてアイツも、裸のまんまシャワー室に逃げ込んだ。一人部屋に残された私はふらりとキッチンまで歩いた。そこで私は夕日に照らされて光る包丁を見たのよ」

 ここで女は声を詰まらせた。男は女が限界に来ていることを読み取った。

「私は包丁を持ってシャワー室に向かった。そしてドアを開いて……」

「もういいよ」

 女は驚いて男を見た。

※※※※

「なんで?まだ話は終わってないじゃん」

「大体話はわかったし……。だけどアンタホント嘘が下手だな」

「はぁ?何言ってんの?あなたずっと私の話興味深々に聞き込んでたじゃん。大体アンタの方がよっぽど嘘下手じゃん!」

「そうじゃねえよ。俺が嘘が下手だって言ったのはアンタが自分に嘘がつくのが下手だって言ったんだよ。さっきアンタ自分で嘘ついてる時、だんだん自己嫌悪に陥らなかったか?出鱈目ばっかり話してってさ」

 思わぬ男の指摘に女は一瞬自分の深い所を探られたような気がした。

「だ、だけどそれって大概の人はみんな多少持ってるものでしょ?みんな結局自分に正直に生きたいわけじゃない」

「そう?じゃあ俺は大概の人には入らないんだな。別に自分に正直に行きたいとも思わないしね。大体俺にはその自分を支える自我そのものががないんだよ」

「自我がない?よくそんな事言えるね。まぁ、カッコつけてるだけかも知んないけど、自我がなきゃ自分なんて保てないし、人は自我を保たなきゃこの社会生きていけないでしょ?」

 男は女の言葉を聞いて笑った。女はそんな男を睨みつけて回答を待つ。やがて男は真顔に戻って答えた。

「まぁ、アンタはそういう人間なんだな。俺たちってホント真逆だよな。俺は自我なんてなくったって全然平気だよ。むしろ自我なんて余計なもんだとさえ思ってる。特に俺みたいにやたら人に会う仕事をしているとさ、自我を出したところでろくな目に遭わないしさ。そういう事が積み重なって自我なんて不要じゃねえかって思うようになった。そうすると自然に演技を覚えちまうんだな。例えば誰かに会ったとしたら俺はその誰かに気に入られるように自我をそっくり塗り替えるんだ。まるでカメレオンみたいにさ。俺の観察眼は自慢じゃないけどそれなりのものはあるからさ、全然それで上手く行くんだよ。で、アンタともやっぱり上手く行ってる」

「じゃあそれって今も私の気にいるように演技してるって事?」

「そういう事になるね。だけどこれは長年無意識に身につけた演技だからしょうがないよ。別の人間に会えばその人間に気に入られるように演技をするだけさ」

 女は男を見た。男の言っている事が本当だったらこの軽薄ぶりも嘘だって事になる。だが一方で彼女は思う。この演技という奴が本当の自分を守るためのものだったとしたら。

「あの、ちょっといい?今あなたの言ってた自分に自我なんてないって話だけどさ、ひょっとしたらあなたそうやって人ごとに役を演じる事で本当の自分を守ってるって事はないの?」

 不意の質問に男は驚いた。こんな事を聞かれた事は初めてだった。しかしよく考えてみたら他人に向かって自分のことを話したのも初めてだ。

「という事は結局はあなたにも自我があるって事でしょ?結局あなたも私と一緒なのよ。あなたはさっき逆説的に自分でそう告白したのよ」

 偉く知的な女だと男は思った。彼は女の追求に苦笑した。

「凄いね、まるで名探偵だよ。見事なロジックだ。思わずアンタの言うこと信じそうになったよ。まぁたとえアンタの言うとおりだったとしてもその自我ってのは俺の奥底に隠れすぎてもう見えなくなってる。大体俺は記憶力が悪くて一年前の事さえろくに覚えていなんだ。そんな俺に今後自我なんてとうの昔に捨てたものを見つけられるわけがないよ」

「それって寂しいよね」

「アンタはそう思うだろうな。でもそんなに自我ってやつを後生大事に抱えて疲れないか?」

「そりゃ疲れるよ。疲れてボロボロになりそうな事だってあるよ。だけどそれでも自分は捨てちゃダメなんだよ」

「そうか。そこがアンタと俺の違うとこだな。俺はむしろ自我なんてずっと捨てたいと思ってた。自我って奴はこの世で生きていくためにはどうしても邪魔なんだよ。そんなものを持っているといつも何かに脅かされている気分になる。神経が逆立ってどうしようもなくなる。アンタと違って俺はそれに耐えきれないんだな」

「へぇ〜。自我がないなんて言う割に自我について結構語るじゃん。自我が煩わしいなんて自我だらけの人が言うセリフだよ」

「おい、人が話してる時はくだらねえ茶々入れんなよ、ってか。さっきの仕返しかぁ?」

 男がこう言うと女は声をあげて笑った。

「そうだよ。仕返しだよ。何度も妨害されたからね」

「とにかくそんなんで俺は自我を捨て去って相手に合わせて上手く生きようと思ったんだよ。アンタとはまるで逆だけどな、アンタは自我持ってしゃんと生き、俺は自我を無くしてこの世を渡る。まぁ、今夜はある意味人間をそれぞれ代表する二人が会った記念すべき日だよ」

「そうかな?私たちは似たもの同士だと思うけど。二人とも結局は自我にこだわっているんだから」

「じゃあ似たもの同士物理的に繋がってもいいんじゃないですか?」

「する気もないくせにそんな冗談言わないでよ。あなたってそんな人じゃないでしょ?」

「さあな、さっきも言っただろ?俺はアンタの気にいるような人間を演じてるだけだって」

「その割には結構ボロが出てると思いますけどねぇ」

「おい、俺のどこにボロが出てるんだよ」

「さぁ〜」

※※※※※

 周りは異様に静かだった。サービスエリアにはもう車の出入りもなくなった。それどころか高速道路さえ車はほとんど走っていない。男は女に話しかけた。

「あのさ、俺いつもYouTubeの動物もの観てるんだよね。ああいうのを観ているとさ、恥ずかしいけどなんか癒されてくるんだよ。コイツらには自意識ってか自我みたいなものはねえんだろうなって。だって動物って欲望しかないだろ?食いたいハメたい遊びたいっさ。俺もあんな気楽に生きてみたいって思うよ」

「あのさ、お話中申し訳ないけど、最新の学説では動物には人間と同じ感情があるって実証されてるんだよ。動物の世界だって自我の集合体で、あなたの好きなカメレオンだって擬態して獲物を取る以外の事を考えて生きているんだよ。大体人間だって結局は動物でしょ?」

「お前やたら人に突っかかってくるなぁ!そういう性格なの?」

「ちょっとお前って何よ!私あなたなんかにお前って呼ばれる筋合いないんだけど!」

「うるせえな!筋合いもクソも名前も職業も知らねえんだからなんて呼ぼうが俺の勝手だろうが!」

「じゃあ私もお前をお前って言うよ。お前私にお前って言うなよ!」

 二人は自分たちの会話のバカバカしさに声をあげて笑った。

「私たちっておかしいよね。初めて会ったのにさ、どうしてこんなくだらないこと話してるんだろう」

「多分俺たちが正真正銘の赤の他人だからだろ?知っている人間はいろいろと利害関係がありすぎて、本音らしきものはあまり話せない。だけど俺らにはそんなものはないからな。どうせ俺たちは二度と会う事はないし、今話した事だってすぐに忘れるからな」

「忘れる?」

「少なくとも俺はね」

 女は男の言葉を聞いて軽いため息をついた。

「私もあなたみたいになんでも綺麗に忘れられたらいいんだけど」

 女の物憂げな顔が男の目に映った。

「忘れない方がいいって事もあるんじゃないか。俺にはまるでないけどな」

 男は黙り込んで夜空を見た。そこにはどこまでも暗く広がる空間があった。その空間のところどころに星が点滅を繰り返している。

「夜空綺麗だな」

「突然どうしたの?」

「いや久しぶりに夜空見てたら本当に綺麗だなって思ってさ。あの星たちは俺たちが生まれる遥か以前誕生しているんだろ。そして多分気の遠くなるような時間を過ごしていくんだ。それからすれば人間なんて一瞬だよ。長く生きても明日死のうとも星々からすれば一瞬さ」

 女は男を見た。

「だけどその一瞬を生き抜く事が大事なんじゃない?大体星たちが気の遠くなる時間を過ごすなんて私たちの尺度で考えてるだけじゃない?多分あの星たちもきっと私たちと同じように限られた時間を生きているんだと思うよ。たとえその果てに待つのが死であったとしても」

「俺たちってどこまでも噛み合わないよな」

「ホントね。似たもの同士だと思ってるんだけどな」

 二人は黙って夜空を見た。

「ねぇ、あなた朝起きたらどこ行くの?」

「どこって?」

「大まかな方角でいいから教えてよ」

「北だよ」

「じゃあ私は南だね」

「なんだよそりゃ質問の意味全くないじゃん。俺てっきり一緒についてくるのかと思ったよ」

「思ってもないくせに」

 女は男に向かって笑い、そして言った。

「ねぇ、もう眠っていい?」

「そうだな、俺もなんか眠たくなってきた」

「付き合ってくれてありがとう。すっごい楽しかったよ。ひょっとしたら何かの折節に今夜のこと思い出す事あるかもね」

「こちらこそありがとう。いい思い出になったよ。俺は多分忘れるけどな」

「アンタってホント素直じゃないね!」

 女の言葉に男は笑った。女も男に釣られて笑った。

 それから二人は車のドアガラスをあげて中のライトを消して寝た。


 日が昇り始める頃に女は目覚めた。まだ薄暗い中、女は隣の車を見たが、男は助手席で熟睡中だった。彼女はそのあまりに酷い寝相に思わず笑った。

 女はもう出発すべきだと考えその前に男に挨拶しようと車を降りて男の車の側に来たが、あんまり気持ちよさそうにいびきをかいているのでそのまま自分の車に引き返しエンジンをかけた。

 男が目覚めたのはとっくに日が昇った頃だった。男は起きて女はどうしたかと隣の車を見たが、いきなりオッさんの顔が出て来たのでびっくりした。彼は一瞬昨夜は自分は女じゃなくてオッさんと話していたのかと慌てたが、すぐに女がすでにここから出たのだと考え直して軽く舌打ちした。

「チッ、出るんだったら俺に挨拶してから出ていけばいいのに」

 駐車場は大小様々な車で埋め尽くされ次から次へと車が入ってきた。また今日が始まったのだ。男は自分が明らかに邪魔になっていると感じ、早くここから出なくてはいけないと思った。


 高速道路を別々の方向に走る赤と黒の車の持ち主は渋滞に巻き込まれて動けない車の中で昨夜の出来事を考えていた。どうして自分は見ず知らずの他人にあんな事を話したのだろう。果たしてあれは何者だったのだろう。

 二人はいつまで経っても終わらぬ渋滞にため息をつき、深夜の出来事を思い出してこう呟くのだった。

「アイツ、変な奴だったなぁ〜」



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