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全身女優モエコ 第三部 第八回 全身女優火山モエコ誕生! その壱

 スタジオ内は完全な修羅場、いや完全なる地獄と化した。モエコは発狂したかのように三日月エリカに飛びかかり、対する三日月もこの野獣に等しい田舎娘を懲らしめて躾けてやろうとモエコに向かって拳を振り回した。しかし三日月はこの火山のように激しい少女にたちまちのうちに組み伏されてしまった。

 モエコ三日月の上に乗ると拳を天に突き上げて張り裂けんばかりに叫んだ。

「このモエコに向かってマグマに飛び込んで死ねですって!それが女優を目指して命からがら東京にやってきた田舎の美少女に対して言う言葉なの?アンタは本当に人間なの?許せない!アンタだけは絶対に許せない!」

 三日月はモエコの怒りの言葉に嘲笑り顔で答えた。

「美少女?あなたみたいなど田舎のブサイクな野獣が何を言ってるの?そういう台詞は整形してマシな顔になってから言いなさいよ!なに?女優を目指すために命からがら東京にきた?だからなんだっていうのよ!エリカはあなたの命なんかどうだっていいわよ!むしろあなたみたいな獣臭い野獣が消えてくれればすっきりするわ!田舎者が身の程知らずにも調子に乗るんじゃないわよ!あなたみたいな言葉さえろくにしゃべれない野獣が女優になるなんてゾッとするわ!さあいい加減退きなさいよ!」

「アンタこそこっから消えればいいのよ!はっきり言ってアンタは役者失格なのよ!自分が気に入らないからって演出家を首にしたり、おまけに同じ舞台に立ってる人間をまるで奴隷みたいに扱ったりして!そんな傲慢チキな人間にシンデレラなんか演じられるはずがないじゃない!シンデレラを演じられるのは心の清い人間だけ!純粋な心で彼女を演じられる人間だけなのよ!アンタたいな人がシンデレラを演じたら、彼女は発狂してオフィーリアのように水に飛び込んでしまうわ!三日月エリカ!モエコに殴られる前にこっから出ていきなさいよ!ここにはアンタのような人間の居場所なんてないのよ!」

 モエコは震える拳を三日月の顔に近づけていった。大惨事が起こる前に一刻も早く二人を引き離さなければならなかった。しかしその場にいたものは私も含めて全てモエコの気迫に臆して、いや彼女の芝居に対する思いの深さに圧倒されて動けなかった。スタジオは異様なまでの沈黙に包まれた。その沈黙の中モエコは再び三日月エリカに語りかけた。

「三日月エリカ。もう一度言うわ。今すぐここから出ていって。あなたのような心の汚れた人間はシンデレラにふさわしくないの。後のことは心配しなくていいわ。あなたの代わりにこのモエコがシンデレラを演じるから」

 このモエコの言葉を聞いたときの三日月エリカの姿を私は今でも忘れない。あの傲慢で恐れを知らない三日月が怯えていたのだ。それは三日月本人にとっても想像だにできないことだっただろう。彼女が怯えていたのはモエコの暴力に対してではなかっただろう。彼女はもしかしたら本当にモエコにシンデレラ役を奪われるかも思ったのかもしれない。でなければあの怯えを説明は出来ない。実際にそんなことは万が一でもありえないが、あの時のモエコには彼女が本当に三日月の代わりにシンデレラをやるかも知れぬと信じさせるものがあった。しかし三日月は恐れを振り切るようにモエコに向かって叫んだ。

「ふざけんなこのバカ!なんでこの三日月エリカがお前なんかにクビにされなきゃいけないのよ!この舞台は私の、このエリカの舞台なのよ!出てゆくのはどう考えても部外者のお前じゃない!本来だったらお前なんかとっくにあのど田舎の火山のマグマに埋もれて死んでいるはずなのよ!今からでも遅くはないわ!死んでしまえ!お前なんか今すぐ豚の丸焼きになってしまえ!」

 モエコは三日月の悪罵を聞いて怒りのあまり絶叫して拳を振り上げた。彼女はこの女を徹底的に殴ってやるつもりだったのだ。ああ!この女の顔をその心と同じように醜くすれば涙を流して改心するだろう。本当のあなたはこんなに醜いのよ。本当に美しいのはこの心の清いモエコだけと説教したら三日月は泣いてモエコに跪くだろう。彼女はこの時そんな事を考えたに違いない!私はすぐさまモエコを止めようと彼女のそばに飛び込んだ。だが一足早く三日月の手下が一斉にモエコを取り囲んでしまった。もうスタジオは阿鼻叫喚と地鳴りの嵐だった。モエコは三日月の手下を叩きのめそうと大声で喚き散らしながら瓶やらグラスやらテーブルやらをそこら中に投げつけた。三日月エリカもモエコに対抗してこの野獣を捕獲して火山に放り込めと手下をどやしつけた。スタジオの窓ガラスや鏡は全て割れ、床にはガラスやら瓶やらの破片が飛び散ってもう稽古どころではなくなってしまった。役者たちは命の危険を感じて逃亡し、いるのかいないのかわからなかった演出家の田山ゴリザも確実に消え、そしてモエコを捕獲しろ!と最後まで喚いていた三日月も手下に抱えられながら去って行った。


「このバカ野郎が!なんて事してくれたんだ!お前は自分が何をしたのかわかっているのか!ああ!やっぱりお前なんかスタジオに連れてくるんじゃなかった!というかお前なんか東京駅で拾うんじゃなかった!今すぐこっから出て行け!今すぐにだ!」

「猪狩さん、モエちゃんを責めないであげて。モエちゃんだって悪気があってあんな事したんじゃないのよ」

「バカ野郎!悪気なくてあんなことやったならそっちの方がよっぽど恐ろしいわ!」

 私たちはスタジオの管理者に呼び出されお前のところの事務所に賠償請求してやると怒鳴りつけられた。それを聞いて私はまさしくこの世の終わりだと思った。こんな事を事務所の連中が知ったら確実に東京湾に沈められる。この女優気違いの田舎娘を拾ったせいでまさか命まで失うとは。私はビルの駐車場で拳を振り回してモエコを怒鳴りつけた。モエコは謝るどころかむすっとした顔をしたまま黙りこくっているだけだった。

「おい!なんとか言えよ!お前はどう責任を取るんだ!俺と真理子の仕事を無茶苦茶にしやがって!どうするんだよ!どうしてくれるんだよ!」

 私がこう怒鳴り続けているとモエコは耐えられなくなったのか。左の眉をクイっと上げて地面を蹴って叫んだ。

「うるさいわね!何がどうするよ!悪いのは三日月じゃない!アイツはこのモエコに向かってマグマに溺れて死ねと言ったのよ!モエコのような田舎の心の清らかな美少女に向かってよくそんなことが言えたもんだわ!モエコがそれを聞いてどれほどショックを受けたかわかる?女優になるために死線を潜り抜けて東京に来たモエコのような心の清い美少女があんな酷い事を言われて黙っていられると思うの?絶望して首を吊るか、絶望から逃れるために思いっきり暴れるしかないじゃない!」

「黙れ!この気狂い女め!こっちはお前の妄言を聞いてる暇なんかないんだ!さっさとこっから出て失せろ!」

「黙りなさいよ!あなたは人の話を最後まで聞けないの?まだ私の話は終わっていないのよ!ああ!三日月エリカは、あの醜女は自分が目立ちたいからってシンデレラの台本を勝手に書き換えて、さらに自分と一緒に舞台を作り上げていく仲間をゴミ扱いした。あなたたちはそんな人間とまともな舞台を作れると思っているの?彼女のような人間と一緒に演技が出来ると思っているの?モエコ、芸能界がこんなに酷いところだとは思わなかった!華やかでみんな輝いてる夢の世界だとずっと思っていた!モエコはそんな芸能界にずっと憧れて、そして救いを求めて東京まで来たのに!ねえ、芸能界ってこんなに酷いところだったの?なんであなた達はあの演技の下手くそな三日月に口答えもしないでへいこらしているのよ!モエコは神聖な舞台があんな奴に汚されるなんて耐えられない!呆れたわ!芸能界があんな連中ばっかりだったなんて!演技も知らないような醜女が舞台を愛する真面目な人間を奴隷のように扱っているなんて!ああ!モエコはバカだった!こんな醜悪な世界に憧れて女優になるなんて命まで捧げようとしたんだから!」

 モエコはこう言い終えると号泣して地面に崩れ落ちた。私はさっきモエコが言った言葉とこのモエコの態度を見て、怒りと同情の入り混じったわけのわからない感情を覚えて気分が悪くなった。だからモエコに向かって吐き捨てるように別れの言葉を投げつけたのだ。

「まあ、お前の言う通り芸能界なんてそんなもんさ。お前の想像するよりも遥かに汚らしくていやらしい世界さ。お前みたいなバカの田舎もんには向かない世界なんだよ。わかったらおとなしく田舎に帰れ!」

 私の言葉を聞くとモエコは急に泣くのをやめて立ち上がった。そして全てを諦めきったようなそんな表情で私たちを見るとそのまま踵を返して私たちの元から離れていく。私はモエコの去りゆく背中を見ながら、これでこの田舎娘とさよならだ。全くとんだ災難だった。もう二度と彼女は自分たちのもとに現れることはあるまいと思い目を閉じた。彼女とは二度と会わないのだ。永遠に二度と会うことはない。目を開けたらモエコは目の前から消えているはずだ。しかしその時だった。隣でずっと黙っていた真理子が突然びっくりするぐらいの大声を上げてモエコを呼び止めたのだ。



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