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絶望の淵で食べる一杯のうどん

 これまで生きてきてこの先には何もないという状況を体験した事はなかった。順風満帆に生きていればそんな目に遭わなかった筈だ。だが、僕は今こうして未来なしの状況に置かれて街を彷徨っている。僕は空きっ腹を埋めようと手頃な店を探したが、コイン一枚で足りる店なんてなかなか見つかるもんじゃない。僕は店々の前の看板やメニュー表の四桁の数字に絶望し頭を抱えてその場を去った。そうしてしばらく店を探して回っていたらはなまるうどんの名前が目に入ってきた。僕ははなまるうどんの花のロゴを見て僕をクビにした会社を思い出して憂鬱な気分になった。会社に花の名前が入っていたからだ。だが、もう背に腹は変えられなかった。もう、腹は空腹のあまり痛み出していた。最後の晩餐が憎き会社の名前を連想させるチェーン店のうどんなんて切ない話だ。結局僕は会社人間。死ぬまで会社から逃れられないのだ。

 僕は思い切ってはなまるうどんに入ることに決めた。入ると店員は愛想よく僕を迎え入れた。毎日の訓練の成果の結果のその挨拶に僕はなんの感興も催す事はなく中に入り小声でかけうどんの中を注文する。すると注文を聞いた店員が僕の気に触るぐらいの明るい声で注文を繰り返した。

「は〜い、かけ中お待ちぃ〜!」

 お盆に乗ったかけうどんを持つと僕はまっすぐテーブル席へと向かった。人生最後の食卓がかけうどんだなんて全く笑い話だ。笑えすぎて笑い声すら出ない。店内は奇妙に人気がなくて静かだ。多分喋りあっているだろう店員の声も聞こえない。僕は窓から外を見た。外は幸せそうな人たちが闊歩している。そんな彼らを僕は人生最後のかけうどんを食べる前に眺めているんだ。僕は外を見るのをやめてうどんを食べることにした。別に大した味でもないうどんだ。僕はヤケクソで箸を持ってうどんを摘んだ。しかしその時であった。突然誰かが僕に声をかけてきたのだ。

「おにいさん、そんな食べ方しちゃうどんがかわいそうだぜ」

 僕は何者かと顔を上げたのだが、上げた瞬間驚きのあまり声が出た。なんとテーブルの向かい側に爺さんが座っているではないか。僕は爺さんにいつから座っていたのかと聞いた。

「バカだね、アンタがくる前からさ。あたしがここでうどん食ってたらしょぼくれた顔したアンタがここに座ってきたのさ」

 爺さんに気づかなかった事を詫びて僕はすぐに違うテーブルに行こうとした。しかし爺さんは僕を引き止めてこう言った。

「アンタ、自殺したいのかい?」

「なんでそんな事聞くんですか?」

「そんなに大きな声出さんな。アンタが自分で言ってだんだよ。最後の飯がかけうどんだなんて惨めだな。遺体解剖されたらうどんが出てくるのかなってな」

 さっきの呟きがまんま聞かれていた事に恥ずかしくなった。僕は耐えられずにすぐさま店から出ようとした。しかし爺さんは僕を引き止めた。

「待てって言ってるじゃろうが!ワシの話を聞かんか!ワシだって別にアンタの自殺を止めようとしているわけじゃない。アンタの事情だって知らないんだし。ただうどんをそんな粗末なやり方で食べるのはいかんと言ってるんだ」

 どんな食べ方をしようがうどんは所詮うどんだ。ワンコインで充分足りる貧民食でしかない。僕は頭に来てやはり別のテーブルに移ろうと立ち上がった。すると爺さんも立ち上がって鋭い声で言うではないか。

「おい若えの。美味いうどんの食べ方教えてやるからうどん持ってワシに着いて来い!」

 僕はその声に気圧されて大人しく着いていくしかなかった。しかし美味しいうどんの食べ方とはなんだろう。どうせボケかかった爺さんのくだらない遊びだ。こんな安いかけうどんな何をしようが美味くなるはずがない。僕はそんな事を考えながら爺さんの後に着いていったが、爺さんは薬味コーナーで止まると盆に乗った僕のうどんを指して言った。

「まず天かすを山盛りでかけるんだ」

 僕は言われた通りうどんに天かすをかける。しかし爺さんは不満な顔で文句を垂れた。

「山盛だと言っているじゃろうが、なんじゃその粉雪みたいな申し訳程度のかけっぷりは!全く今どきの若者はなんでも中途半端なんだからの!」

 そう言うと爺さんは僕から天かす入れを奪いそのまま入れ物をうどんの方に傾けて中身をぶちまけた。ああ!このボケジジイ!人の人生最期の飯になんて事をするんだと止めようとしたが、爺さんは聞かず、天かすのほかにこれまたスプーン大匙山盛りの生姜と醤油を五回回しでうどんに入れてしまったのである。かけうどんは一瞬にして工場の廃棄物のようになってしまった。こんな公害で汚染されたようなうどんなど食えたものではない。僕は完全に頭に来てうどんと爺さんを置いて帰ろうとしたが、爺さんがその僕を鋭い声で呼び止めた。

「これ!せっかくアンタのために作ったうどんを放って出ていくやつがあるか!ちゃんと食べていけ!」

 僕の死出の旅路は最悪なものになった。ボケジジイがうどんに悪戯をしたせいだ。こんなグロテスク極まりないうどんを食べて自殺しなければならないのだろうか。僕は再び爺さんと席に戻ってテーブルの上の天かすと生姜と醤油で汚染されたうどんを見た。もう見ているだけで吐きそうだった。その僕に向かって爺さんはちょっと見た目は悪いんだが美味しんだとか抜かしてきた。僕はもうヤケクソになって箸を天かすの山にブッ刺して天かすが纏わりついたうどんを引っ張り出した。僕は爺さんをありったけの憎しみを込めて睨みつけた。そして、絶対にお前の所に化けて出てやる。老人ホームで死ねると思うなと呪いながらうどんを食べた。

 うどんを啜った瞬間僕に纏わりついていたものが剥がれていくような気がした。なんだろうこの感触は。僕はもう一度箸でうどんを摘んで食べた。ありえないほど美味しい。天かすはうどんを包む繭のようなものだった。僕は汁が飲みたくなってどんぶりを持ち上げて一口飲んだ。なんて事だろう。汁に生姜と醤油と溶けた天かすが折り重なり見事なグラデーションを作っていた。なんて事だろう。こんな工事廃棄物みたいなうどんに魔法のような味が隠されていたなんて!ああ!どんどん箸が進む、そしてうどんは一瞬のうちになくなってしまった。

 僕は空になったどんぶりを見て悲しくなった。今食べた天かす生姜醤油全部入りうどんが二度と食べられない事を思うと涙が出てきた。こんな美味しいうどんが二度と食べられないなんて。その僕に向かって爺さんが話しかけてきた。

「あの、よかったらアンタがなんで死のうと思ったかその理由を聞かせてもらえないかい?」

 僕は自分でも不思議なくらい号泣しながら自分が会社をクビになったいきさつを語った。

「僕は元いた会社で廃止・変更業務っていうのをやってたんです。そしたら自分が廃止処分下されちゃって。しかも変更出来ないからそのまま廃止だってことになってしまって……。まるで社会全体から廃止処分下されたような気分になって。ああこれは人間廃止って事だ。みんな僕に早く人間をやめろと言ってるんだって思うようになってしまって。実際にそうなんです。再就職先も全く見つからないし、そもそもメンタルを病んでまともに仕事できないような状態になってしまって……」

 こう僕は感情の昂りのままに身の不幸を語り続け、興奮のあまり話の途中何度も拳でテーブルを叩きつけた。店員がその度にこちらに来たが爺さんが大丈夫だからと言って追い払ってくれた。そして僕は身の上話を終えると涙に濡れた拳を破れんばかりにテーブルに叩きつけて叫んだ。

「お爺さん、あなたが作ってくれた天かす生姜醤油全部入りうどん美味しかったです。だけど……だけどこんなうどんが二度と食べられないなんて!畜生!もう一度うどん食べてえよ!いや、毎日このうどん食べてえよ!」

 僕はそのまま泣き崩れた。なんて呪わしいうどんなのだろう。工事廃棄物のような見た目のうどんのくせしてこんなに美味いなんて!おかげで人生に未練が出来てしまったじゃないか!

 爺さんはまるで仏のような憐れみの眼差しを僕に送っていた。僕はすがるように爺さんの手を取った。爺さんは紙切れを僕に渡して言った。

「実はワシ会社をやっておるんじゃ。小さい会社じゃがの。よかったら明日その紙に書いてある所に来なさい」


 それが今僕の勤めている会社である。確かに小さな会社であるが事業は好調で給料も前いた会社より貰っている。しかしそんな事はどうでもいい。僕はただ社長への恩返しのために働くだけだ。絶望の淵にいた僕を天かす生姜醤油全部入りうどんで救ってくれた社長のために。




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