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SOUL TWO SOUL 中編

SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 上曽根愛子 その2

 OSUGIクンと別れた後、私は彼が別れ際に何故『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる!』とまるで忠告するように言ったのかをずっと考えていた。KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる。これは実際に本人に会っていないと言えないことだ。OSUGIクンはKIYOSHI YAMAKAWAに会ってどう思ったのだろうか。彼の口ぶりからするとあまりいい印象を持たなかったようだ。コラボも中止になっすたようだし。『KIYOSHI YAMAKAWAは二人いる』もしかしたらありふれた話なのかもしれない。偉大なるアーチストが必ずしも偉大な人間ではない。どうしようもない人間が偉大な作品を生み出すことだってある。マーヴィン・ゲイがそうであったように。それをOSUGIクンは言っているのだろうか。KIYOSHI YAMAKAWAには会っちゃいけない。あの男の中には純粋な芸術家と人を破滅に追い込む最低のろくでなしがいるんだ。だから会っても幻滅するだけだと。だけど私はOSUGIクンほどナイーブなわけでもない。恥ずかしい過去の話だが、男に騙されたこともあるし騙したこともある。男に騙された日にヤケクソになって別の男をLINEで自分のマンションに呼んでそのまま最後までやったこともある。だからOSUGIクンに比べたら多少は人間について知っているつもりだ。それに私はあくまで音楽ライター。私の仕事は読者に素敵なミュージックを紹介して、その素敵なミュージックを作ってくれたアーチストのストーリーを綴る仕事をやっているのだ。どうやらまた喋り過ぎたようだ。こうして自分のことをペラペラ喋るのは、エミネムとマライア・キャリーのことを書いた時以来だ。

 というわけで私はそれからもKIYOSHI YAMAKAWAの取材を続けていたが、今回は誰もが知っている超大物ミュージシャンがインタビューに応じてくれることになった。驚いたことに向こうから取材に来てほしいと言ってくれたらしい。私は編集長からそれを聞かされた時、喜ぶよりも、KIYOSHI YAMAKAWAという存在が、彼と同時代に生きた人たちにどれほど衝撃的だったかを肌身に感じて体が震えた。その人は私がKIYOSHI YAMAKAWAを取材していると聞いて、あの毒舌ライターの上曽根愛子さんががKIYOSHI YAMAKAWAを取材しているなんてね。実は僕、彼女の記事を愛読しているんだ。よかったら僕にKIYOSHI YAMAKAWAについて語らせてくれないか。と言ってきてくれたらしい。
 そして取材の日がきた。私は約束の店に早めに着いてその人を待った。やがて店のドアが開いて、そこからテレビや雑誌でおなじみの、ワカメを被ったような長髪を生やした、額のやたらに広い海坊主みたいな人が私の席に近づいてきた。もうあえて語る必要はないだろう。今回私がインタビューするのは、今もなおトップで走り続ける日本音楽界の大御所山上達郎氏だ。彼はそのワカメみたいな髪を靡かせながら広すぎるおでこを店のライトに照らしながら私に向かって笑顔で挨拶してきた。こうして実物を見るとあらためて歌声と顔のギャップに驚く。こんな顔の人があんな美声で歌っているのかと。いや、失礼!つい口が滑りすぎてしまった。このテキストを彼が読んでいないことを祈るしかない!
 というわけで山上達郎氏は本人がそれを認めるかはともかくとしてシティポップ界の大御所である。私はシティポップに関して厳しい味方をする人間だと思われがちだし、自分でもシティポップに厳しい人間だと自認しているが、山上達郎氏に関しては全くの例外だ。そのソウルやドゥーワップに根ざした彼のボーカルは勿論、彼のソウルやファンクに対する該博な知識は私などの及ぶところではなく、いつも氏のラジオやテキストを拝読する度に自分の知識の無さを思い知らされ恥ずかしくなる。

私:はじめまして山上さん、わざわざご連絡ありがとうございます。今回はKIYOSHI YAMAKAWAについていろいろお聞きしたいのですが。
達郎:こちらこそはじめまして。どうぞお手柔らかに。
私:お手柔らかになんて、私こそお手柔らかにですよ!
達郎:いやいや、何を言っておられるのですか。あんな毒舌レビューを見たらこっちだってうかつなことは言えやしない。後でなんて書かれるかわかったものじゃないしね(笑)とにかく今日はKIYOSHI YAMAKAWAについて何でも聞いてくださいよ。
私:では早速達郎さんにお聞きしたいのですが、KIYOSHI YAMAKAWAとはどこで知り合ったんですか?
達郎:KIYOSHI YAMAKAWA、って言うよりはキヨちゃんだね。一時期よく会っていたことがあるんだ。僕がシガレット・ベイビーってバンドやってたころだよ。で、その時キヨちゃんはまだソロデビュー前で、ムード歌謡の大御所の後川キヨシと、あと、僕が金がないときにバックでギター弾いてた演歌歌手のなんとか川キヨシと一緒に三途の川のきよしトリオっていうのをやってたな。僕はその三途の川のきよしトリオのバックで一回だけギター弾いたことがあるんだけど、その時キヨちゃんが声をかけてくれたんだ。彼さ、シガレット・ベイビーのライブよく観にきてたらしいんだよ。まあライブはいつも石なんか投げられて悲惨なものだったけどさ。でも、彼はシガレット・ベイビーを凄い褒めてくれたよね。日本で16ビート演れるのは君たちぐらいだよって。あとアイズレー・ブラザーズみたいだと思ったってことも言ってたな。まあ過褒だとは当時も思ってたけどさ。僕はそれ聞いてびっくりしたよね。まさかムード歌謡演ってる奴にそんな事言われると思わなかったからさ。でも話し込んでるとやっぱり違ったのね。彼はもともとソウルをやりたくて業界に入ったわけよ。でも入ったところが運の悪いことに演歌の事務所だったらしくて、演歌歌手かムード歌謡にさせられそうになったって事を言ってた。まあ、そのトリオ自体食い合わせが悪すぎたのか、案の定売れなくて消滅したみたいだけど、その時からすでにキヨちゃんは我が道をいってたね。あのとりあえずムード歌謡と演歌を合わせましたって曲で一人でソウル歌ってんだもん。僕はバックで弾きながら思わず笑ったね。それからしばらくしてからだな。キヨちゃんがソロ・デビューしたのはさ。
私:貴重なお話ありがとうございます。私もKIYOSHI YAMAKAWAのデビューまでの経緯については調べたんですけど、こうしてあらためてお話を聞くとKIYOSHI YAMAKAWAのキャリアはなんというか最初からボタンの掛け間違いがあったような気がしてきますね。それでKIYOSHI YAMAKAWAはソロデビューして早速ソロアルバムを出しましたけど、達郎さんはそのソロアルバムについてはどう思っているんですか?
達郎:今だから言うけどさ。あのアルバムシガレット・ベイビーが参加するはずだったんだ。
私:ええ~っ!そうだったんですかぁ?
達郎:そう。キヨちゃんが声かけてくれてさ。せっかくアルバム出すんだから最高のバックで固めたい。君のバンドには女性もいるし、よかったら彼女たちにコーラスをやってもらいたいって言ってさ。まあでも、いろいろあってね。まあ大人の事情で今も話せないけど、とにかくその話はナシになった。
私:残念ですね。私、KIYOSHI YAMAKAWAのアルバムの中でファーストアルバムの『SOUL TWO SOUL』が一番好きなんですよ。一番いい彼のソウルボイスが聞けるから。だけど演奏は……
達郎:酷い?
私:まあ、ハッキリ言ってしまえばですけど……。
達郎:さすが毒舌ライターだな。ズバリいうか!
私:言ってるのは達郎さんですよ!
達郎:フフフ。まあ演奏の酷さは時代のせいでもあるんだよ。当時は黒人音楽をまともにやろうとする人間は限られていたからね。で、ファーストアルバムの話に戻るけど、実は僕もあのアルバムが一番いいと思ってるんだ。というかあのアルバム、僕だけじゃなくて当時黒人音楽をやろうとしてた連中にとっちゃ結構衝撃的だったんだ。なんというかやられたって感じだったな。こっちが必死になって目指していた境地にすでにたどり着いちゃってるんだもの。完全に黒人音楽を我がものとしちゃってさ。非常に肉体的なんだよね彼の声は。あれは僕には出せない。だって声だけでビートを刻んじゃってるんだもの。

 私はKIYOSHI YAMAKAWAのファーストアルバムへの達郎さんの意見を聞いて我が意を得たりと思った。達郎さんは私がKIYOSHI YAMAKAWAのファーストを聞いて感じたことを的確に表現してくれた。KIYOSHI YAMAKAWAはソウルを完全に自分のものとして、そして全身でソウルを歌っていたが、だけど当時の日本のリスナーは彼のソウルを全くといっていいほど受け入れなかった。当時の日本人には彼の音楽を受け入れるほどの素養ななかったといえばそれまでだけど、もし彼の『SOUL TWO SOUL』が当時のリスナーに受け入れられたら日本の音楽シーンは今とは全く違っていただろう。私は完全に後追いのリスナーだが、何故か当時のKIYOSHI YAMAKAWAの心情を思うと彼のために悔しい気分になる。KIYOSHI YAMAKAWAはおそらく自分の心血注いだ作品が一部の音楽関係者を除いて世間に全く受け入れられなかったことにショックを受けたに違いない。そして彼はどういう物が世間に受けるのかを必死に考えたに違いない。ファースト・アルバム以降のKIYOSHI YAMAKAWAのアルバムは、ハッキリいえば世間との妥協点を模索したものである。セカンド以降はファーストと違いまともなバックミュージシャンを揃え少なくとも演奏に関してだけいえば、ファーストよりも大分マシになっている。しかし曲に関していえばファーストに比べてソウル色は徐々に後退し代わりに当時のAOR色が段々現れてくる。だが、まだソウルの範疇だし、当時の本場のリオン・ウェアも同じような方法性を打ち出していたのだ。しかしそれがあの『アドベンチャー・ナイト』で一変する。ここでは完全にソウル色は後退し、代わりにAOR、そしてそれを更に脱色したようないわゆるシティポップの要素が前面に出てきたのだ。このアルバムへの私の感想は、noteに書いたが、

 その後読者からのご指摘で再度視聴して、初めて聴いたときよりも悪くはない気がして、たしかに読者の言うようにただの雰囲気音楽ではなく、奥底に微かにソウルを秘めた、世間の評判も納得のいく作品だったと今では思える。しかしそうであるにしてもファーストの『SOUL TWO SOUL』を聴いて激しく衝撃を受けたものからすれば、やはりあのアルバムは徹底的な商業主義との妥協の産物であり、録音とアレンジと演奏が完璧であってもそこにはKIYOSHI YAMAKAWAが目指したソウルはないと私は思う。有名なエピソードでKIYOSHI YAMAKAWAのデモテープを元に、プロデューサーとアレンジャーが勝手にバックトラックを録音してリリースしたというのがあるが、それを聞いても私のアルバムへの評価は変わらない。何故ならKIYOSHI YAMAKAWAのボーカル自体が、ファーストの比べると露骨にリスナーへの媚が見え、ソウルとしてとても認められないものになっているからである。私は『アドベンチャー・ナイト』について達郎さんがどう思ったかを聞きたかったが、同時に聞かぬほうがいいとも考えた。何故なら達郎さんもKIYOSHI YAMAKAWAと同じように商業路線に舵を切った頃の話だからだ。だが私はKIYOSHI YAMAKAWAの記事を書くライターとしてどうしても聞かねばならない。私はありったけの勇気を振り絞って達郎さんに聞いた。

私:KIYOSHI YAMAKAWAはファースト以降三枚アルバムを出しましたが、世間からは全く注目されませんでした。その状況を打開しようとしたのか、彼は完全に路線変更して、あの『アドベンチャー・ナイト』を出しました。達郎さんは『アドベンチャー・ナイト』を出した頃のKIYOSHI YAMAKAWAとは交流はありましたか?
達郎:まずキヨちゃんが『アドベンチャー・ナイト』を出す前ね。僕はキヨちゃんと毎日飲み歩いたんだよ。たまに後でテクノポップのZORで有名になった博士号なんかと一緒にさ。その時キヨちゃん言ってたね。俺はこのアルバムが売れなきゃ契約切られるって。そしたらまた三途の川のキヨシトリオみたいなものをやらされる。だからどうしても売れなきゃいけないんだ。俺はそのためなら何でもやるってさ。でもまあ案の定売れなかったんだな。彼と同じ頃に僕がバックやってたなんとか山キヨシって演歌歌手も同じような路線でやっててさ。しかも気恥ずかしいコピーつけてやってたんだよ。シティポップの帝王とかなんとかいってさ。なんだよシティポップの帝王って!キヨちゃんもそのあおりで同じようにシティポップのキングってコピーつけられて、しかも演歌歌手のアルバムのジャケットを使いまわしさせられてて、これじゃどう考えても売れるわけないよな。
私:それはどう考えても売れないですよね。なんかコミックバンドみたい。
達郎:キヨちゃんは当然事務所やレコード会社にブチ切れてね。もうこんな業界ヤメてやるってずっと言ってたんだ。それを僕らが必死で思いとどまらせようとしたんだよ。君の『アドベンチャー・ナイト』はいいアルバムだよ。早くもっとまともな事務所を移籍しなよって。彼の苦しみは僕にもわかったからね。できれば僕が当時いた事務所に移籍させたかったんだ。僕も当時売れてなかったけど、創作環境は彼の事務所に比べたら遥かにましだったからね。でもキヨちゃんはもう完全に業界不信になっちゃてて、『日本には本物のソウルなんかない!俺はアメリカで本物のソウルを探す!』って僕らにも雑誌にも喋りまくってそれから彼はホントにやめちゃった。
私:悲しい話ですね。結局事務所もレコード会社もKIYOSHI YAMAKAWAを理解することが出来なかったのでしょうか。あるいは理解しようとも思わなかったのでしょうか。それで達郎さんはあの『アドベンチャー・ナイト』についてどう思われますか?正直な意見をお聞かせください。
達郎:当時僕もキヨちゃんとは似たような状況だったから、辛いものはあるよね。僕もこのままいったら終わりだと思ってたし、なんとしても売れるものを作りたかった。それはキヨちゃんも同じだったと思うよ。だから彼の『アドベンチャー・ナイト』を聴いたときにはまず彼の苦労を感じたね。ああ!アイツも売れたがっているんだって!それと同時に少し失望も感じたんだ。あんなにソウルフルな曲をやってたやつが、こんなパチもんみたいな事やるなんてさって。でもまあ、自分も同じことやろうとしてたんだし、その言いぐさはないよな。彼も僕もアルバム聴いて同じことを思っていたのかもしれない。だけどそんな事今はもうわからない。ひょっとしたら彼がもう少し耐えて活動していれば僕なんかよりずっと評価されていたと思う。だけど彼の純粋でありすぎたから結局この業界とは合わなかったのかもしれない。
私:達郎さんのおっしゃることはなんとなくわかります。彼はこの業界を行く抜くにはあまりにも不器用だったのかもしれませんね。でもその不器用さがあったからあの『SOUL TWO SOUL』を生み出しせたのかと思います。達郎さん、本日はわざわざ時間をくださってありがとうございます。
達郎:ところで君、KIYOSHI YAMAKAWAはどの媒体で聴いたの?まさかCDじゃないよね?
私:へっ?そのまさかのCDですけど……。
達郎:ダメじゃんそれ!それってKIYOSHI YAMAKAWAを聴いたことにはならないよ!僕は若い人たちにはよく言うんだけど、CDなんかじゃまともな音楽は聴けないんだよ!キヨちゃんの音は、いや世界中のソウルはやっぱりレコードで聴かなくちゃ!君今からレコード屋いってキヨちゃんのレコード全部買ってきなさい!
私:はい、わかりました!
達郎:ってのは冗談だけどさ(笑)



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