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天国と地獄の離婚

天国と地獄の離婚

ラノベ作家のとむらじゅんいちと純文学作家衣沢羽織が離婚した事が世間に知れ渡ったのは、衣沢羽織が雑誌の連載エッセイにとむらとの離婚の事実を書いたからだった。世間の反応はやっぱりそうなったかという意見が大半であった。結婚した当初から、作家同士であるものの、所詮ガキ相手のラノベ作家と、今後の純文学界を背負うことになるだろう若手の注目作家の結婚など上手くいく筈がないと皆思っていたからだ。

別に離婚など今時ありふれた事だし、当人同士は芸能人でもないので、世間の大半にとってはどうでもいい事であり、私もこの作家同士の離婚などはこうしてわざわざ記事にするまでもない事だと思っていた。そのエッセイのタイトルと内容を読むまでは。

『天国と地獄の離婚』と題されたエッセイで衣沢羽織はとむらじゅんいちとの離婚への経緯を次のように書いている。そこには配偶者であったとむらへの罵倒がイヤというほど書かれてあった。彼女は冒頭でとむらに騙されたと書いている。ラノベ作家にしては知的でまともだと思っていたのに、やっぱりカエルの子はカエル。しかもウシガエルだった。ただのカエルよりよっぽど始末が悪いと書いて、それから彼のネトウヨ丸出しのTwitterの言動やらそのだらしのない生活態度などとむらのあらゆる欠点を炙り出すように徹底的に暴いた。そしてしまいにはやっぱりこれは身分違いの恋。いくら学歴と知識があっても所詮はラノベ作家。彼はネトウヨでまともな文章すら書けない作家のクズ。私のような純文学作家とは住む世界が違う。やっぱり結婚すべきではなかった。最初はラノベと純文学の垣根を乗り越えてやると自分たちの結婚をブレイクの『天国と地獄の結婚』に擬えていたけれど、やっぱりそれは間違いだった。ラノベと純文学では価値観の共有自体不可能だと悟った。私はこのラノベ地獄とはさよならして純文学の天国に帰りますとぶっちゃけまくったのだった。

出会いから離婚へ

このあまりに酷い物言いに元の配偶者であるとむらじゅんいちは当然激怒した。彼はエッセイを読み終えると雑誌を引きちぎりさらにライターで炙って燃やしてしまった。自分が所属するラノベ界に対するあからさまな軽蔑。自分に対する口汚い悪口にとむらは怒り狂ったが、中でも彼を一番激怒させたのは純文学作家の自分とラノベ作家の彼は身分違いの恋だという一文だった。この文を読んで彼は自分のプライドがズタズタにされた。

元々純文学志望であったとむらだが、純文学方面では全く目が出ずラノベを適当に書いて賞に応募したのがたまたま受賞して本になったので仕方なしにラノベ作家になったのだ。純文学に対して当然ながら未練がある。だが彼はその思いを表面上は徹底的に隠していた。だが衣沢の一文は彼の純文学へ対するそんな屈折した思いをあからさまに炙り出してしまった。とむらは怒りが収まらず部屋の中の物を残らず投げ散らかしながら何度も叫んだ。この中卒のバカ女め! お前なんか俺が手取り足取り教えてやらなきゃ何も書けなかったくせに!

とむらじゅんいちと衣沢羽織は衣沢が小説家デビューした頃に新宿の文壇バーで出会った。ラノベ作家のとむらには文壇バーには明らかに場違いな人間であったが大学時代の先輩である編集者のコネでどうにか入れてもらっていた。そこに担当の編集に連れられて二十歳そこそこの衣沢がやってきたのである。しばらくして衣沢がとむらに声をかけてきたが、恐らくそれは文壇バーの男達の中で彼が一番若くてイケメンだったからだろう。そうして衣沢としばらく話し込んでいたが彼は衣沢についていろいろ知った。両親の離婚とその後再婚した母親の新しい旦那から受けた性的暴力で生涯消えないトラウマを背負ってしまったこと。衣沢が高校を中退してからずっと小説を書いて文芸誌に送っていたこと等。彼女は頼まれもしないのに身の上話を長々と話してくるのだった。そして文学についても話したが、とむらは彼女が高校中退であるからか文学に対する常識的な知識に欠けていることに気づいた。彼はその事実に少々呆れたが、じっくり教えてやるうちに衣沢の目が輝いた気がした。ああ!あの頃のあいつはバカで純粋で俺の言うことならなんでも頷いたものだ。そうして色々と教えてやるうちに互いに恋愛感情が芽生えてきた。衣沢はとむらに言ったものだ。あなたってラノベ作家なのに何でそんないろいろ知ってるの? ラノベ作家ってヲタクのバカウヨばっかりだと思っていたと。とむらは衣沢の物言いに少し引っかかるものを感じたが、美人の衣沢が尊敬の眼差しで自分を見つめていたので鼻高々になった。

それからとむらは衣沢の執筆の相談に度々乗り、時には原稿に手を入れて彼女の単純な文法ミスを訂正したり、さらにはより場面にふさわしい比喩まで提案した。衣沢のA賞受賞作には半分以上とむらが関わっている。いってみれば二人の共同執筆だと言っていいものだ。その間に二人は恋愛関係になり衣沢がA賞受賞するとすぐに結婚した。二人の結婚生活は最初は順風満帆だった。二人は互いの作品を読み合い感想を述べあったが、戸村は衣沢の小説を細部に至るまで読み忌憚のない批評をくわえた。一方衣沢は彼の小説を読んで半笑いで彼に言ったものだ。「ハハハ、私純文学しか読んでないからラノベのことはわからないの」彼女がとむらの小説について何もいえなかったのは、彼の小説が擬音だらけでありとても読める代物ではなかったからだ。あなたは想像できるだろうか。『ぎゃああああああああ!!!!!』『うおおおおおおおおおおおおお!!!!』などという擬音が二十ページ以上に渡って打ち込まれた本を。とむらの小説はそういうたぐいのものだった。

しかし、そうして結婚生活を続けて行くと二人の価値観の相違が出てきてしまった。もともとラノベなど読んであらず、純文学しか読んでなかった衣沢羽織にとってとむらじゅんいちの書いてるラノベなどはとても読めたものではなかった。おまけにとむらは自分の読者に媚びるためにTwitterで頻繁にネトウヨまがいの発言をしていた。とむら本人も自身の発言を馬鹿げたものだと思っていたが、しかしそう発言するとファンが自分の本を買ったり、宣伝したりしてくれるので止めようにも止められなかった。衣沢はそんな夫に呆れてそんなネトウヨみたいなことはやめろと言ったが、プライドの高いとむらは俺をバカにするなと言って全く聞かなかった。

そんな彼女に知り合いの作家や評論家はあなたの旦那のラノベ作家はどうなっているのか。あんなネトウヨ人間とよく一緒に生活できるな。もしかしたらあなたもネトウヨなのかと問いただした。彼女は政治には疎かったのでその場では何も答えることが出来なかったが、勘の鋭い彼女は夫をほっておいたら自分の作家としてのキャリアは終わってしまうと悟り、すぐさま夫にTwitterをやめろと言った。しかしプライドの高い夫は妻の度重なる注意にブチ切れて怒りに任せて彼女にこう言い放ったのだ。

「俺に指示するなとずっと言ってるだろ! A賞受賞したからって調子に乗りやがって! 誰のおかげでA賞受賞出来たと思ってるんだ。俺が文章の手直ししなきゃ候補にすらなれなかったくせに!」

ああ! この揉め事がきっかけとなり、夫婦は見事に離婚への下り坂を真っ直ぐに落ちていった。度重なる口喧嘩、双方の浮気と家出。誰もいなくなった部屋の中では猫が餌を求めて必死に鳴いて二人を呼んでいた。

復讐

とむらじゅんいちはあの地獄のような結婚生活を思い出し改めて元配偶者の衣沢への憎しみを感じた。二人がうまく行っていた時、ベットの中の作家としては美人すぎる顔を火照らせ、これまたスタイルのよすぎる体をよじらせる衣沢のあられもない姿を思い浮かべ、二度とあの体を抱けない悔しさに身悶え、そして彼女への憎しみを一層募らせた。ああ! とむらはまだ衣沢を愛していた。愛と憎しみは決して相反しない。むしろ愛しているからこそ憎くもなるのだ。

衣沢羽織のエッセイは注目の純文学の若手作家の赤裸々な離婚報告として大反響を呼んだ。しかしそれは彼女にとっては決して良いものではなかったというよりはっきり言って悪かった。世間に対してかなり悪いイメージを与えてしまったのだ。特にそのラノベに対するあからさまな軽蔑などはラノベファンから集中攻撃を受けた。Twitterなどでは彼女の愛読者ですら、いくらネトウヨでバカでクズだらかといって、一時でも一緒に暮らしていた人間にそんなにひどいこということはないと批判めいたことまで口にした。その批判を見て彼女の同業者の友人は分が悪いと見て一斉に黙ってしまった。

その有様をネットで眺めていたとむらじゅんいちは今こそ復讐の機会だと思った。この高学歴の俺を散々バカにしやがって! 何が純文学作家だ! 中卒のくせしやがって! 今こそお前を俺のレベルまで引きずり落としてやる! お前に二度と純文の原稿依頼なんかこさせないようにしてやる! せいぜいクソつまんねえ官能文学でも描いて生計でも立てやがれ! それかMUTEKIでもなんでもいいから『A賞受賞作家衣沢羽織AVデビュー!』とかいってAVにでも出やがれ!今こそお前を引きずり落としてやる! とむらは衣沢の評判を完膚なきまでに落とそうと、衣沢のことをすべて暴露するために週刊誌の編集者の友人に電話をかけて俺に手記を書かせろと頼んだのだが、しかし編集者は彼に向かって、衣沢さんはうちの出版社の稼ぎ頭なんだよ。ラノベ作家でネトウヨのお前の手記なんか載せたら彼女はうちの原稿依頼を受けてくれないよ。と言って冷たくあしらってしまったのだ。しかしとむらは負けず、衣沢との生活をすべて書くと言って自分の有料のnoteに衣沢のことを洗いざらい、しかし文章自体は非常に情緒溢れた哀切極まりない調子で描いたのである。

とむらじゅんいちはその有料のnoteで衣沢との出会いを丁寧すぎるくらいに書いている。そこに描かれた衣沢の姿は彼が今まで描いていたラノベのあの酷い文章は何だったのかと思わせるほど美しい。とむらは目に浮かぶ初々しかった頃の衣沢を思い浮かべて涙さえ浮かべて書いた。ああ! あの頃のアイツはあんな酷いビッチじゃなかった! ちゃんと俺のいうことを聞いていたのに! 続いて彼は衣沢のA賞受賞作の真相も書いた。『羽織、覚えているだろ? あの小説は二人の愛の合作だった。僕は君が書いたものを何度も手直ししたよね。本当はこんなことしちゃいけないんだって何度も罪の意識に囚われたけど、それでも君にA賞を取らせてあげたいって思いには勝てなかった。そうだ、あの選考委員がみんな褒めた、主人公の家出少女が自殺しようとする場面のあの場面はほとんど僕が書いたんだっけ。この原稿用紙を覚えているかい? 君は決定稿で僕が赤字で書き直した通りに書いたよね。でもいいさ、もう過去の話だ。君と僕は他人になってしまったんだから。だけどこれだけは言わせてほしい。僕は君と二人で書いたあの小説がA賞を受賞したことに誇りを持っている』とこんなふうにとむらは衣沢に向かって切なく語りかけるような文章を書き、そして証拠の原稿用紙まで載せ、あからさまにA賞受賞作は自分がほとんど書いたとアピールして衣沢の作家としての評判を地の底に落とそうとしたのだった。彼は描き終わった瞬間、これで自分の目標は達せられたと確信した。文壇の中には衣沢を嫌いな人間はたくさんいるし、だいたい世間は若い女がちやほやされるのを好まない人間はあふれるほどいるのだ。中卒の女がこんな文章なんて書けるわけないと思っていたらやっぱり他人の手が入っていた。しかも原稿に手を入れたのは元旦那のラノベ作家。こんな作品にA賞を与えた選考委員に責任を問わなければ。このブログを読んだ人間は全員そう思うはず。しかも証拠の赤字の書き込み入の原稿だって載せているのだ。騒ぎにならないほうがおかしい。じきに衣沢は世間の糾弾を浴びるだろう。

とむらはTwitterで『noteで元妻の衣沢羽織のことをすべて書きます』と記事の掲載を予告してnoteに記事を記載したのだが、掲載された途端皆が押しかけとむらの予想したとおり大騒動となった。まず記事を読んだとむらのファンは衣沢のTwitterに『とむらさんに謝れこのクソビッチが!』『このタダ乗りクソマン子!』『中卒の風俗上がりのくせに気取ってんじゃねえ!』『お前俺よりバカ!』などといった大量のクソリプを寄せた。そして彼らより知的な人間は記事を引用して『間違いなくA賞史上最悪のスキャンダル!』『佐村河内の事件のまんまじゃないか!』『文壇はこれを無視する気か! もう日本文学は終わりだ!』とA賞の選考委員と文壇を告発したのだった。騒動は文学外にも広まり、ネットの記事となって、とうとうネットメディアによるとむらのインタビューまで掲載された。とむらはそこでもしおらしく時には涙混じりで衣沢のA賞受賞作品の執筆の真相を語り、語っているうちに感情が高ぶってこんなことまで言った。

「大体、アイツは中卒で水商売なんかやっていた女だからもともと文学なんてろくに知らなかったんですよ。アイツの新人賞受賞作だってろくに読めたもんじゃない。小説じゃなくて顔で売っていたようなもんですよ。僕が手を差し伸べなきゃアイツは今頃は文学なんかやめて水商売に戻ってますよ」

逆襲

衣沢羽織はこの騒動の間、Twitterは勿論、あらゆるメディアに沈黙を貫いていた。とむらじゅんいちの顔など二度と見たくもない彼女はとむらのnoteを始めとした記事など一切読んでいなかったが、それでも自分のA賞受賞作の半分を代筆したととむらが吹聴していて、それが大騒動になっていることはわかっていた。衣沢はあんなエッセイなど書かなければよかったと後悔したが、もう遅い。しかし彼女はこれ以上自分の評判を下げるわけにはいかなかった。なんとしても対策を打つ必要があった。そのため衣沢は勇気を出してとむらのnoteを始めとした記事を読んだ。確かにA賞受賞作を執筆する時とむらに助けを求めたのは事実である。その時の彼女はとむらのいう通り文学の教養など無きに等しいもので、適当に読んでいた作家の本を真似て小説を書いていただけだった。書きたいことは山ほどある。しかしそれに見合った文章を書くことは当時の彼女には難しすぎたのだ。今とむらの文章を読んでもそうだとしか頷けない。だが自分は今とむらに反論しなければ間違いなく文壇から干され小説を発表することはできなくなってしまう。彼女は屈辱に耐えながらとむらの記事を読み、彼の文章の中に穴がないか必死に探し求めた。そうやって彼女はひと晩中とむらの記事を読んでいたが、やがて記事から目を離すと、静かに反論を書くためにPCに向かった。

その一週間後である。衣沢羽織の『ラノベ作家のとむらじゅんいちさんとの離婚について』と題された、とむらのnote記事への反論ともとれるエッセイが週刊誌に載った。衣沢はそのエッセイで、まず自分にとってあまりに分が悪い代作問題については手短に『細かい比喩についてはとむらさんに相談したことがある』とだけ釈明にもならない釈明をして、その次にとむらがインタビューで自分の学歴や水商売していたことを暗にバカにしていた部分を取り上げ、とむらを徹底的に非難した。『とむらさんがこういう学歴や水商売をバカにしているのは結婚後に知りました。彼と出会った頃は私はまだ二十歳そこそこだったので彼がそんな歪んだ考えをもっていることなど思いもよりませんでした。すべてがわかったのは結婚してしばらく経ってからです。彼は某雑誌のインタビューで中卒で水商売の女はバカだから文学なんて知らないと言っていましたが、彼はそうやっていつも人を見下して来たんです。私が文学について質問するといつも彼はそんなことも知らいないのかと言った表情で私を見下しながら質問に答えたものです。おそらく彼が私と結婚したのは単に私のルックスがお気に召したからでしょう。彼は女性に知性なんか認めておらず、等しく女性をバカにしてましたから』そして次に彼女は先のエッセイで批判の的になったラノベに対する軽蔑をぐっと抑えてこんな文章を書いた。『私はラノベについてはよく知りませんが、とむらさんはおそらく自分が所属するラノベ界も軽蔑していると思います。彼はよく自分の同業者の人気作家のことをこう言っていました。「アイツはろくに小説のわからないカス。あんな一年中おでんばっかり食ってる勇者なんていねえよ!」と』そして最後に力強く未来への決意を込めてこう綴った。

『私は確かに中卒で水商売上がりです。だけど中卒で水商売で働いている人間は文学に関わっちゃいけないんですか? とむらさんの言う通り、中卒で水商売の女の書いた小説は文学としてとても読めたものじゃないんですか? 私は文学に目覚めて救われました。自分が何かを表現できる場所を文学に見つけたのです。私は時には日常の苦難に押しつぶされそうにりながら、ずっと魂を絞り出すように小説を書いてきます。私は確かに学歴も知識も有りません。あるのはとにかく物を書きたい衝動だけです。そんな人間が書いた小説が文学じゃないなら何が文学なんですか? 私はこれからも文学を書き続けます。いくら中卒で水商売上がりだと罵られようが一生小説家として生きていくつもりです』

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このエッセイを読んだ人間は感動し、衣沢のTwitterには『衣沢さんのエッセイ泣けました!』『文学ってそういうものですよね。知識とかじゃなくてとにかく書きたいっていう思いなんですよ!』『とむらみたいな文学をわからないクズと別れてよかった』などという言葉が並んだ。そしてなんと衣沢羽織はトレンドにまで上がってしまった。逆にとむらじゅんいちはあらゆる方面から学歴差別主義者、職歴差別主義者、性差別主義者などあらゆるレッテルを貼られ罵られた。とにかく形成はとむらじゅんいちが圧倒的に不利になってしまったのである。

とむらは衣沢のエッセイを読んで烈火のごとく怒り狂った。このクソガキいけしゃあしゃあとべらべら並べ腐って! 確かに彼は同業者の人気作家ハヤカワの代表作『勇者ロデンのお前をおでんにしてやるぜ!』を衣沢の前でバカにした事がある。だけどなんであんなあからさまに言うんだ。お前は俺の仕事がどうなってもいいのか! 自分に貼られた差別主義者のレッテルは容易に剥がれそうにない。しかも現在進行系でファンが衣沢のアカウントに飛び込んで『中卒の風俗上がりが、高学歴のとむらさんに向かって生意気な口聞くんじゃねえとか!』とかぬかしているのだ。止めようにも止められない。コイツラはガチのネトウヨで下手したら自分にも火の粉が降り掛かって来るかも知れない。こんな状況のまま放っておいたら衣沢どころか真っ先に自分が出版界から放り出されてしまうだろう。追い詰められたとむらは奥の手を使うことにした。もう自分の作家としての将来なんかどうでもいい。ただ衣沢によって与えられた屈辱を晴らすことさえ出来れば。ああ! このままとむらじゅんいちは黙って身を引くことも出来たのだ。それが出来なかったのは彼のプラウドの高さと、衣沢羽織へのいまだ残る未練だった。とむらは衣沢の思い出の中から彼にとっては見たくもない、しかし今となっては衣沢の作家としてのキャリアを確実に終了させることの出来る武器を選び、それをそっくり衣沢とは大した関わりのない某出版社の週刊誌の編集部に送りつけた。

そして数日後『A賞作家がLINEで複数の男と乱交!』とデカデカと表紙に載せられた記事が載り、そこには衣沢羽織の男達とのLINEのやり取りとともに彼女が男に送りつけたらし淫らな痴態が載っていた。特に目を引いたのがバストショットで見えないがおそらく上半身裸で不倫相手の男と一緒に頭に互いのバンツを被ってにこやかにピースサインをしている写真である。ああ! とむらの武器とは衣沢のLINEであった。それはとむらが偶然衣沢のスマホで見つけたものだった。その頃はもうとむらと衣沢は完全に破局しており、離婚は秒読みとなっていたが、少なくともとむらはまだ彼女を寄りを取り戻したかった。しかし彼がスマホの中に見つけた画像はそんな彼の希望を粉々に打ち砕いてしまった。彼は怒りに顔を滲ませながら衣沢がまだが家に戻っていないことを確認して男たちとのやり取りのあるすべてのLINEをキャプチャーして自分のスマホに送った。これは別に離婚に向けて証拠のためにしたことではなく、衝動のあまり思わずしたことだった。実際にとむらは離婚協議の最中にLINEのことについては何も言ってはいない。とむらもキャバ嬢と不倫をしていたわけだから妻の不倫について偉そうなことをいえる立場ではなかった。こんな事がなければ表に出てくることはなかっただろう。とむらは衣沢に向かって毒づいた。お前があんなことを書かなければこんなもの出さなくてもよかたんだぞ! いや、お前が別れるなんて言い出さなければ! 

週刊誌にこの記事が乗った途端、まずTwitterで蜂の巣をつついた騒ぎになった。もう前回の騒動の比ではなかった。このあからさまな不倫、しかも複数。あまりにも非常識なこの事実にもう衣沢羽織をかばうものはおらず、とむらのファンや、衣沢に批判的な人間だけでなく、彼女の友人でさえ批判する始末だった。『とむらじゃ我慢できない。いくら高学歴でもセックスは落第生よ』『彼はラノベ作家だからセックスは子供なのよ』など衣沢のLINEのメッセージはさんざんリプされまくった。そしてとむらは今度こそダメ押しと、今度は週刊誌に出て衣沢との離婚を語った。彼は週刊誌の記事の中でわざとらしく泣きながらインタビューに答えている。彼は今回の週刊誌に載った写真は全く知らないといい。多分衣沢の不倫相手が自分をアピールするために週刊誌に売ったに違いないと大嘘をついた。このLINE事件のあと衣沢はTwitterをやめ、そしてエッセイの連載を終了した。そして彼女の名はあらゆる媒体から消え、衣沢羽織の名は出版界から消えた。

復活

しかし衣沢羽織は意外にも早く復活した。LINE事件から半年後、突如新聞の一面に載せられた広告にデカデカと衣沢羽織の新作長編小説の宣伝があったのだ。その小説のタイトルは『天使は奈落の底から叫ぶ』とありその下にA賞作家が描く衝撃の私小説と扇情的な宣伝文句が載せられていた。皆は衣沢のあまりに早い復活に驚いたが、それ以上に驚いたのが、半年もしないうちに描かれた彼女の新作長編小説が紛れもない傑作だったことである。小説は彼女の小説家になるまでを書いた部分と、とむらとの離婚後に彼女が味わった苦境を書いた部分の二部構成だが、その内容と彼女の魂の奥底まで垣間見る文体は今までの彼女の小説のレベルを遥かに超えている。この小説を読んだ読者は皆圧倒されてしまった。第一部の陰惨な家庭環境を書いた部分も素晴らしいが、特筆すべきなのはやはりとむらじゅんいちとの結婚と離婚を書いた第二部だろう。そこでとむらはむらたいちろうという仮名で描かれているが、その人物像は、高学歴を鼻にかけ、ひたすら周りの人間をバカにし、作者がモデルの主人公に向かって生意気言うなこの中卒が! とか黙れ水商売上がりめ! とか毒づく極悪人に書かれている。主人公はそんな絶望的な生活に耐えられず、真実の愛を求めてLINEをするが、結局そこでも真実の愛には巡り会えなかった。最後に主人公はこう決意する。もう他人に愛を求めることはしない。私は一人の自立した女性として生きていく。

その後

衣沢羽織の小説『天使は奈落の底から叫ぶ』は出版してからすぐに大評判になった。あまりの評判にとむらとの離婚騒動やあの忌まわしいLINE事件の事などすっかり忘れ去られてしまった。そんなものはこの傑作を前にしてはどうでも良くなってしまったのである。日本の保守的な文壇では彼女の小説に批判的な論調もあったが、外国ではまっすぐに受け入れられ翻訳されるなり全米図書賞に選ばれた。見事なまでのどん底からの一発逆転である。しかしそれはただの奇跡ではなくて衣沢羽織が日々努力していたからだろう。一方とむらはあれだけのことをあったにも関わらず、何も変わらなかった。相変わらずバカバカしい小説を書き、ネットではネトウヨ的な戯言を書き散らかしていた。ただ変わったのが、出版社から衣沢羽織のことを書くのは一切禁止だと言われたことである。もと夫だとも名乗るな。一度でも口にしたら二度と仕事は回さいないぞ。ときつく脅された。まあ、元の配偶者がA賞作家から世界的大作家になろうとしているのだから出版社もいろいろと気を使うのだろう。彼も今では衣沢への未練はなくなりかけているが、それでも彼女がいよいよ自分の手の届かないところまでいこうとしているのを感じると悔しさのあまりこんなことを口にしてしまう。

「俺はあの衣沢羽織の旦那だったんだぞ! 一時期はアイツといい仲だったんだぞ!』


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