ドキュメンタリー『都議選 ~私たちの戦い』
異様なまでに盛り上がった都知事選であったが、その都知事選の盛り上がりを受けて都議選もまた非常に盛り上がった。都知事選と同く都議選にもバラエティあふれる候補者たちが立候補したが、それら候補者たちの中で私が注目したのはとある女性候補である。この女性候補は榊原伊織というどこか時代劇に出てくる若侍を思わせる名前であるが、彼女自身も侍のようなハッキリした性格の人であり、選挙期間中毎夜駅前で放たれた彼女のバッタバッタと華麗に悪を成敗するような演説は時代劇な爽快感があった。
とこれだけ書くと別に普通の候補者で特に注目する程の人物では無かろうと思うだろうが、私が榊原候補が注目したのは榊原氏の主張や政策ではなくて彼女が行っていた選挙活動なのである。榊原氏はその選挙活動中なんと乗り物の類には一切乗らず選挙活動をしていたのである。そして驚くべきことに彼女の選挙スタッフは一人しかいなかった。しかもそのスタッフとは自身の夫の忠相氏なのである。忠相氏は榊原氏は演説している最中、周りでチラシ配りをしたり、彼女のためにいろんな雑用をしていたのだった。
榊原伊織氏は国立大学を卒業し、大手コンサルティング会社に入社した。そこでキャリアを積んだ後、独立して自分のコンサルティング会社を立ち上げたのである。榊原氏は学生の頃から政治に興味を持ちサークルは政治研究会に入っていたが、コンサルティング会社に勤め始めてから大手商社や観光会社などの企業のコンサルタントを務めているうちに各企業で起きている問題は全て行政の問題だと考えるようになった。独立して中小企業のコンサルティングをするようになってから一層その思いを強くした。行政が変わらねば企業は変わらない。そのためには私が政治の世界に出なくてはダメだ。こう彼女は決心し今回の都議選に立候補したのである。
その榊原氏のサポートを一人でこなしていたのが、夫の忠相氏だが、彼はインテリでバリキャラのエリートの妻にひきかえあまりにも普通の人間であった。忠相氏は彼自身の話では三流大学卒であり、勤めている会社も大手企業のグループ会社のそのまた子会社の子会社というなんで榊原氏と結婚しているのかわからない経歴を持つ人物であった。忠相氏はハッキリと妻の政治思想についてわからないと断言し、立候補についてもどちらかと言えば消極的であったが、忠相氏は出るのだったら全力でサポートしようと決めたそうである。
クルマなしスタッフ旦那一人の榊原氏の選挙活動は非常に地味であった。夫が通り過ぎる通行人にチラシを出して拒否られている中、彼女はマイクを片手に通行人に向かってこう呼びかけていた。
「私は長い間コンサルティング業にいていろんな企業様のコンサルティングを務めてきて、今一番コンサルタントが必要なのは企業ではなくて政治だという考えに至りました。企業のコンサルタントは企業の依頼を受けたものしかできません。ですか政治のコンサルティングは有権者なら誰でもできるんです!皆さん一人一人が政治のコンサルタントなんです。今の日本がどうしてダメなのか、今の私たちがいるこの東京がどうしてダメなのか。それはコンサルタントがいないからです。皆さん、コンサルタントとして都政に改善策を出して下さい!この東京を変えるのは今ここにいるあなたたちコンサルタントなんです!」
感動的な演説であった。彼女のコンサルタントという印籠のような決め台詞がバシッバシッといいタイミングで決まった。だが、誰も彼女の演説を聞いていなかった。その時間の悪い事にファスト棒が演説を始めていたからである。
だが榊原氏はそれにも挫けずまだチラシを配っていた夫を呼んで次の演説場所に行こうと促した。
次の会場で彼女はさっきよりも力強く演説した。だが誰も聞いてはいなかった。この自体にさすがの榊原氏も挫けそうになった。しかし榊原氏は夫の忠相氏が彼女のために懸命にチラシを配っているのを見て励まされた。政治も経済も文学も世間の常識さえ何もわかっていないこの男。なんで結婚してるんだか神様に向かって小一時間じっくり問い詰めてやりたい男。でもこうして私のために頑張っているのを見ていると不思議と元気が出てくる。頑張ろう彼のためにも。榊原氏は覇気を取り戻して再びマイクに向かった。しかしそれでも通行人は誰も立ち止まらなかった。しかもそれどころか通行人の中の酔っ払いがチラシを配っていた夫を煙たがって突き飛ばしたりし始めたのだ。彼女は自分のためにその弱々しい体で必死に頑張っている夫がいぢめられているのを見て心が張り裂けそうになった。私のために必死で尽くしてくれる夫になんてことするの?この人は日本語さえ怪しいバカだけどあなたたちみたいなクズよりずっと素敵な人間なのよ。やめなさい、やめなさい!
演説はいつの間にか涙声になっていた。榊原氏は通行人に弾かれ続ける夫を見続ける事に耐えられなくなって来た。そしてとうとう爆発してしまった。
「皆さん、なんでその人から一枚もチラシを受け取らないんですか!その人は会社から帰って夜の間ずっと私のためにチラシを配ってくれてるんですよ!確かに私に興味のない方にとって私のチラシなどゴミ同然でしょう。だけどそのチラシを必死で配っている彼の思いも汲んで上げて下さい!彼は、私を都議員にするために必死で頑張ってくれているんですよ!ちなみに思いっきり打ち明けますとその人は私の最愛の夫です!」
こういうと榊原氏は泣き崩れてしまった。夫の忠相氏は霰もなく号泣する榊原氏を抱いて宥めた。
「僕のことなんて心配しなくていいんだよ。僕は君が受かるためならどんな犠牲を払ってもいいんだからさ」
「ごめんね、選挙活動中なのに取り乱して。でも私あなたが通行人たちにいぢめられているのが耐えられなかったの。私のためにあなたが傷つくなんて嫌だったの」
「わかっているさそんなこと」
榊原伊織氏は選挙でダントツの最下位で落選した。しかし榊原氏はその結果を聞いても落ち込まず、その視線はすでに未来へと向かっていた。
「ねぇ、忠相。次は衆議院選に出るわ。やっぱり政治をコンサルティングするなら国政じゃないとダメなんだから」
「と、いうことは次はちゃんとした組織を作らなくちゃダメだよ。今回の失敗を繰り返さないために」
榊原伊織氏はこの忠相氏の珍しくまともな忠告に首を振ってこう答えた。
「ダメよ。それじゃ意味がないわ。私の夢はあなたと二人だけで選挙を勝つことなんだから」
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