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うどんとプロポーズ

 到着時間をとっくに過ぎているのにバスはまだ来る気配がなかった。行列はいつの間にか駅のバスターミナルを一周しそうなほど伸びてしまい、皆通りをチラリと見たりなんかしてバスの到着を今か今かと待ちわびていて「おせえよ」なんて呟いているような状態になってしまった。その中にスーツ姿の男女がいた。どうやら恋人同士であるようだ。

「やっぱり今日もバス遅れてるね」

「しょうがないよ。だってこの時間は渋滞で酷いし。むしろ時間通りに来た方がビックリするよ」

 二人は二言三言話して黙り込んでしまった。女の方は何かを期待するように男を見ている。男は女性が自分を見ているのに気づいて思わず目を逸らした。やっぱり期待しているんだなと彼は思う。だが彼には女の期待に応えられる自信がない。

「ねえ?」

 と女が声をかけてきたので男はハッとして彼女の方を向いた。女は男に笑顔でこう言う。

「なんかお腹空いてきちゃった」

 男は女が一ヶ月ぐらい前から彼にある言葉を言わせようとしていることに気づいていたのでまたかと思って身構えた。

「でも明日も仕事だしさ、今日は真っ直ぐ家に帰るべきじゃないかな」

「最近冷たいなぁ。ひょっとして私がイヤになった?」

「違うよ」

「なにそのやっつけな答えは」

 男はいい加減本当に女がウザくなってきた。こっちはまだ覚悟が決まってないんだ。なのにどうしてそんなに決断を迫ってくるんだ。畜生だったらあのうどんでも見せて黙らせてやれ。あのうどんを見たら彼女も黙ってしまうはず。もしかしたら彼女との関係がご破産になるかも知れないがそうなったらそうなったで別にいい。大体彼女自信が言ってるじゃないか。私には絶対に隠し事はしないでって。いいさ彼女の言う通り僕の全てってやつを全部見せてやるさ、

「あのさ」と男はしばらく考え込んだ後に女に声をかけた。「今からうどん食いに行かないか?」

「はぁ?あなた突然何言い出すの」

「うどんの美味しい食べ方を教えてあげるよ」

「うどんの美味しい食べ方?あなたデートで一度もうどん屋に入った事ないじゃない。どういう気まぐれなのよ」

「確かに気まぐれだ。突然思いついたC・ロナウドさえびっくりして泣きたくて笑いたくなるぐらいの気まぐれだよ。さぁ行くのか行かないのかどっちなんだ」

 女はこの頼りなさを社会の窓ごと全開に晒しているような男のチャックをキッチリ上まであげた強い言葉に気押されて思わず頷いてしまった。

「じゃあ行こう」と男は言うなり行列を抜けてさっさと歩き出してしまった。女も慌てて行列を抜けて男についてゆく。

「あの、うどん屋ってどこに行くのよ。行きつけのうどん屋さんとか?」

「いや、ただのはなまるうどんだよ」

「はぁ?」

 女は男の答えに呆れた。だが、この決然とした態度で自分の先をゆく男を見てもしかしてと考えた。しかしだけどそれをはなまるうどんなんかでするか?

 駅の近くのビルのニ階にあるはなまるうどんの店内には客はなく照明もなんだが薄暗かった。その店内とひたすら無言な男を見て女は急に不安になった。男は女の不安げな顔を見て思う。あのうどんを見せたら彼女絶対にブチ切れるだろうな。

 男は早速かけうどんを注文した。それから女に向かって何がいいか聞いた。突然聞かれた女は動揺して自分もかけうどんと店員に言う。男はうどんを受け取るとトッピングも追加せずにレジで代金を払い真っ直ぐ薬味コーナーへと行ってしまった。女もトッピングを追加せずレジで代金を払うと男を追って薬味コーナーへと向かった。

 その時彼女は見たのであった。男は今注文したかけうどんの中に大量の天かすを塗していたのだ。彼は天かすを山盛りになるまで塗し終わると次に大さじスプーン一杯の生姜を落とした。そしてその天かすと生姜で埋め尽くされたかけうどんに醤油を五回転ぐらい回して垂らしのである。女はすぐにこれは男の自分への挑発なんだと勘づいた。男はその女に対して首で場所を示して「向こうのテーブルにいるから」と言って歩いてゆく。彼女はああそうですか。私がウザいからうどんに天かすなんか振りかけてお前ウザいよアピールしてんのかと頭に来て、男と同じように自分のうどんに天かすと生姜と醤油をドバドバうどんにかけた。そして撫然とした表情で男の座っているテーブルへと向かった。

 男は向かい側に座った女が自分と同じように天かす生姜醤油をぶっかけているのに一瞬ビックリしたが、すぐにこれが彼女なりの抗議である事に気づいた。女は男と自分のうどんを見て思わず吐きそうになった。

 全くなんて酷いうどんだろう。まるで学校の授業で観せられた昭和時代の公害で汚染されまくった川の映像そのまんまではないか。天かすは廃棄物のようだし、生姜は川に浮いた泡だ。そして醤油は天かすの油と混じって工業用油のようにどんぶりに漂っている。

 男はそんな女の反応を見て妙に安心した。これで彼女も僕との事を考え直すだろう。二度とあんなそぶりは見せなくなるだろう。そして僕との別れすら考えるだろう。男はそんな女にハッキリと自分の全てを知ってもらうために箸を手に取って天かす生姜醤油全部入りうどんを食べ始めた。やはり美味い。母親と一緒にはなまるうどんに行った時、ふざけて天かすと生姜と醤油をドバドバ振りかけて、怒った母親に全部綺麗に食べなさいと言われて仕方なく食べたあの日からずっと自分は天かす生姜醤油全部入りうどんを食べ続けてきた。美味い、あの時無理矢理食べさせられなかったら自分は今ここで天かす生姜醤油全部入りうどんなんて食べていなかったはずだ。いつもそうだ。勝手に箸が進んでしまうんだ。男はうどんをあっという間に食べ終わると顔を上げてどうだこれが俺だと言わんばかりの顔で女を見た。君もこんなキモい方法でうどん食べる男とはもう一緒にさえいたくないだろう。今すぐその天かす生姜醤油全部入りうどんを置いてここから立ち去ればいい。残りは僕が全部食べてあげるから。

 だが女はうどんを置いて去るどころか片手でどんぶりをささえて箸を手にどんぶりに顔を近づけていた。男は愕然として女を見た。女は男が本当に美味しそうに工業用廃棄物のようなうどんを食べるのを見て自分も食べたくなった。彼女は男がここまで料理を美味しそうに食べているところを見たのは初めてであった。彼があんなに満面の笑みで食べるうどんがまずいわけがない。彼女は今震える手でうどんを掴んで震わせながらうどんを口に入れた。

「美味しいじゃない!天かすはまるで最高級のシルクのようにうどんを包んでまるでデパートの売り子から突然トップモデルになった素敵なレディみたいにありえないぐらい美味しくなってるし、生姜はまるでそのうどんトップモデルを撮るカメラのように美しく味を引き立てている。さらに醤油はそのトップモデルが闊歩するステージみたいにその黒さで彼女の足元を輝かせているわ!ねえ、あなたどうしてこんなに美味しいうどんの食べ方を教えてくれなかったのよ!」

 男は星が月サイズになったぐらいに目を輝かせてこう捲し立てる女に動揺して唖然とした。

「い、いや……かなり見てくれが悪いから」

「バカね、あなた。あなたが美味しいと思うものを私が嫌うわけないじゃない。あなたどれだけ私と付き合ってるの。お互いの性格はもうわかっているでしょ?」

 確かに彼女のいう通りだった。彼女は僕という人間を知りそれでも僕と付き合ってくれた。僕も彼女という人間を知りこうしてずっと付き合っているんだ。今僕の前で天かす生姜醤油全部入りうどんを褒めちぎる彼女はやはり自分にとって必要だ。男は女を呼び止めてこう言った。

「結婚しないか?」

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