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全身女優モエコ 第四部 第二十六回:三匹の子ブタ

 しばらくするとスタッフがモエコの呼び出しにやってきた。スタッフは楽屋の外で待機していた私に蟹谷新三がすでにスタンバってスタッフの荷物の運び出しまで手伝っている事と、その蟹谷のモエコ宛の伝言で待っているから早く自分の所に来るように言っていた事を伝えてきた。私はこれを聞いて寒気がした。何という露骨なまでのはしゃぎようか。インテリ俳優の蟹谷にしてこれなのか。全く芸能界は巨大な伏魔殿。隙だらけのモエコなど簡単に飲み込まれてしまうじゃないか。

 楽屋の中のモエコは呼び出しがかかるとちょっ待ちなさい。火山モエコさんは取り込み中なのよと言って、どったんバッタン大きな音を立てて騒いだ後大きな音を立ててドアから出て来た。昨夜と似たようなホステスの衣装だが、今日のモエコは昨夜に比べて一層格好が馴染んでいるように感じた。まるでいろんな経験を積んだ手だれのホステスのように彼女は収録スタジオへと歩いていた。私はそのモエコの後ろ姿を見て彼女の腰つきが以前とどこか違っているように感じた。モエコの腰つきは妙に丸みを帯び、その歩き方は明らかに少女のものではなかった。やはり彼女はあの時大人になってしまったのだろうか。モエコは昨夜から明らかに変わり始めていた。私はこれからその彼女にどう対して行けばいいのだろうか。これから彼女はいろんな経験をするだろう。もし道に外れるようなことがあったら……。とその時モエコが突然立ち止って振り返った。そして猛然と私を怒鳴り散らした。

「アンタな〜にモエコをジロジロ見てんのよ!この変態!ああなんて最低のマネージャーなの!いくらモエコが田舎育ちの天然美少女だからってそんな血走った目を剥いてモエコを凝視するなんて!全く今までよくこんなとんでもない変態鬼畜をマネージャーなんかにしてこられたものだわ!クビよ!アンタなんか今すぐクビよ!そこに正座しなさい!今からモエコが刀借りて来てあなたの首を叩っ斬ってあげるわ!」

 私は何が変態だ!お前なんか誰が見るかと言い返してやったが、モエコはそれを聞いて完全きヒートアップしてそばにいたスタッフに向かって私を指差して今からこいつのクビ切るから刀持って来いと言い出した。

「ほら時代劇の人だったらに沢山刀持ってるでしょ?今すぐ借りて来てよ!それでこの変態鬼畜マネージャーの首を打った斬ってあげるの。よかったら子連れ狼とか三匹の侍とか連れてきてよ!見事コイツの首をスパッと斬ってくれたらモエコ姫がみんなにご褒美あげるわ!」

 だがスタッフはモエコの頼みに耳を貸さず冷静にもう皆さん待っているので急いで下さいと私たちを急かした。撮影と聞いた途端、モエコは私のことなど忘れてすっかり浮かれだし、ああ!そうだわ!モエコには撮影が待っているのよと喚いて収録スタジオへと駆けていった。

「ああ!モエコの周りを取り囲む無数のライトとカメラ!待っていて、モエコすぐにそっちに行くから!」


 我々が収録スタジオに入るとスタッフがすかさず「火山モエコさん入りましたぁ!」と呼びかけた。それを聞いたスタジオの人間が一斉に立ち上がってモエコに拍手を浴びせた。モエコがこれを喜ばないはずがない。彼女は拍手にウットリし歓喜に満ちた表情で火山モエコのためにありがとう!と言うと足をそろえて顔を真上に向けた。そしてゆっくり腕を広げて更なる拍手を求めた。スタジオの人間は何故かこの新人女優に求められるがままに拍手をした。不思議な光景だった。まさか昨夜のあの体当たりのベッドシーンがスタジオの人間が総出で拍手するほど強烈なものであったのか。私はそんな事を考えながらスタッフたちを眺めていたが、その中にひときわ大きい拍手をしている蟹谷を見てハッとした。蟹谷は「火山モエコ君に盛大なる拍手を!」と皆により大きな拍手をするよう呼びかけた。彼の呼びかけに呼応してスタジオの人間はモエコに向けてさらに大きな拍手を浴びせた。私はその光景を見て蟹谷という人間が恐ろしくなった。この男はクソ真面目そうな顔をして一体何を考えているのか。

 それから間もなくしてモエコは席へと案内された。蟹谷の隣であった。メインキャストはモエコの他には蟹谷しかいないから当たり前かもしれないが、しかしあまりにも距離が近すぎる。椅子が当たりそうなほど接近しているではないか。蟹谷の悪巧みなど知るよしのないモエコは「おぢいちゃん昨日ぶりね」と能天気にこの顰めっ面のむっつりスケベに声をかけた。蟹谷はフフと気色の悪いインテリムッツリスマイルをモエコに返す。私は蟹谷に向かって本日はよろしくお願いしますと挨拶をしたが、蟹谷は私を無視していきなりモエコに喋りかけた。

「モエコ君が来る前にね、大道具の荷物の運び出しを手伝ったのだよ。そしたらかなり汗をかいてしまってね。それで今スタッフにメイクをし直してもらった所なのだが、いやぁ、やっぱり体を動かすのはいいものだねぇ~。なんだか昔学生演劇をやっていた頃を思い出したよ」

「まぁ、おぢいちゃん。役者のくせにそんなことしてたの?道具運びなんて役者がすることじゃないわ。モエコ中学の時同じ演劇部の子に道具運び手伝ってくれって頼まれたけど、モエコこんな土方みたいな事主役のモエコにできるわけないだろって怒鳴りつけて断ってやったの」

「フフフ、モエコ君は生まれながらの女優なんだねえ。僕なんかとは違うなぁ〜」

 蟹谷はベテラン俳優の自分に対するこの新人女優のいささか礼を失した態度などまるで気にせず前のめりになってモエコに喋りかけた。台本はちゃんと覚えているかとか、緊張はしてないかとか、体調は大丈夫だとか、蟹谷は矢継ぎ早に彼女に尋ねたが、モエコはこのまるで心配性のパパのような蟹谷にうんざりして声を上げた。

「おぢいちゃんいい加減にしてよ!モエコはもう子供じゃないのよ!」

 もう子供じゃない。私はモエコの口からこの言葉を聞いた瞬間思わず目を剥いてモエコを凝視した。ああ!確かにモエコは昨夜ここで大人になったのだ!彼女の言う通りもう子供ではないのだ!昨夜スタジオにいたものは皆モエコそれを目撃している。蟹谷もまたあのベッドシーンをハッキリと見ているのだ!その蟹谷はモエコの言葉を聞いて完全に興奮して目を剥いてモエコに言った。

「そうだったなモエコ君。君はもう立派な大人だよ。僕は昨日君が見せた演技に深く感動……」

 しかしここで監督がカメラテストの号令をかけた。スタッフがモエコと蟹谷に向かって移動するように伝えにやって来た。

 この追加収録は今までのドラマの撮影が皆そうであったように今回もぶっつけ本番となる。今回の収録はモエコが演じる杉本愛美の勤めるキャバレーに蟹谷演じる上代典子の不倫相手の羽村浩介が現れるシーンである。しかし緊急の収録なので当然一昨日のように店は借りられなかった。だから今回は急拵えでレストランのセットの壁に赤紙を貼り店に置いてあったのと似たようなソファーやテーブルを他の現場から借りてセッティングしたそうだ。一昨日のロケ現場とはとても比較にならないほど貧弱な内装だ。とても高級キャバレーには見えない。まるでどっかのぼったくりバーである。モエコだったらこの間のゴージャスなお店と全然違うじゃない。こんな貧乏ったれのキャバレーで演技なんかできないわとか言ってブチ切れそうだが、しかしモエコは意外にもセットに満足しているようだ。彼女は椅子から立ち上がると声高らかに言った。

「ああ!なんて素敵なセットなの!モエコ早く演じるのが待ちきれないわ!全くカメラテストなんかやめてさっさと本番やればいいのよ!モエコはどこを撮っても火山モエコなんだから!」

 モエコは演技が出来るという興奮のせいで何か夢を見ているようだった。きっと今の彼女には全てのものが光輝いているように見えただろう。そのモエコの興奮状態が感染したのか私もなんだかこのつぎはぎだらけのセットが輝いているように見えた。しかしもうじきモエコが演じ始めたらそれは夢ではなく、いや夢ではあるが一夜だけのものではなくなるはずだ。

 今モエコは蟹谷と一緒に立ち位置の確認をしていた。インテリア俳優の蟹谷はスタッフの指示に納得がいかないようで、スタッフに疑問をぶつけていた。

「羽村が店の入り口で奥の座席に客と座っている愛美を見てハッとして立ち止まるという演出はあまりにも安っぽいし現実味がないと思うのだよ。だから僕は羽村はボーイに案内されて席に座り、そこでふと客と談笑している愛美の声を聞いてそちらに振り向いて驚くといった風に変えた方がいいと思うのだ。それとだね、照明がキャバレーとしてはいささか明るすぎるのではないか。これではセットの貧弱さが丸見えで我々演じ手としても……」

「おぢいちゃん何言っているのよ!今のままで全然いいじゃない!羽村が愛美ちゃんを見て目を剥いて立ち止まるシーンなんて想像するだけで震えるわ!ああ!自分を仰ぎ見る男たちを轟然と見下ろす愛美ちゃん。今から演じたくて仕方がないわ!それとこのゴージャスなセットが眩しすぎてかえって貧弱に見えるですって!これのどこが貧弱なのよ!溢れんばかりのシャンデリアの光。その光たちがモエコに惹かれて集まってモエコをさらに輝かせるのよ!ああ!いいから早く撮りましょ!」

 ベテラン俳優の蟹谷は新人女優のモエコの意見に戸惑いながらも頷いた。それからカメラテストが行われた。今テストが行われているのは杉本愛美と羽村浩介がキャバレーで再会する場面である。台本によるとこの二人はその昔上司と部下の間柄であったらしい。モエコはカメラテストだろうがなんだろうがいつでも全力投球で演技をするので、さすがの蟹谷も動揺を隠しきれなかった。こうしてカメラテストは終わりすぐに本番へと入った。

 本番のモエコの演技は一際輝いていた。手慣れた調子で客に酒を注ぐ杉本愛美。彼女を演じているモエコがまだ十七歳だとは誰も思わないだろう。全身から醸し出される色気は同年代の子供にはとても出されるものではない。だが私はそのモエコの演技に以前と違うものを感じていた。ああ!モエコは本当に大人になってしまったのだ。普段はまだガキとしか見えない彼女だが、演技は明らかに人生を知った二十歳過ぎの大人のそれであった。人を大人たらしめるのは経験なのか。しかしモエコよ、お前はまだ十七歳なんだぞ。そんなに早く大人になってどうするのだ。しばらくすると店に羽村浩介が入ってきた。羽村は店に入った途端奥の座席にかつての部下の変わり果てた姿に衝撃をうけてその場に立ち尽くす。ここで監督からカットの声がかかった。

 モエコと蟹谷が席に戻ってきた。蟹谷のやつは戻ってくる間もモエコに付き纏っていた。そして席に座るなりいきなりモエコに捲し立てた。

「いやぁ、モエコ君。実に素晴らしい演技だった!私は本気でモエコ君に見惚れてしまったよ。もしかしたらNGが出るかもしれないが、そうなったら申し訳ない」

「あらおぢいちゃん、そんなにモエコを見ていたの?全く呆れるわ、あなたずっとモエコの事見てるじゃない」

「そうなのだよ。この前も話したように僕はずっとモエコ君の事を見ているのだよ。君が『情熱先生』に不良少女役で出ていた時からずっと」

 なんと呆れ果てたモエコ推しか!全く人間が一番信用ならないって言葉が一番当てはまる男だ。

「繰り返しになるけどね、あの日僕はニュースを見ようとテレビのチャンネルを回していたのだが、そこにたまたま情熱先生が映っていたんだ。で、僕は校長役で知り合いが出ていたのを思い出してそのまま観ていたんだ。そうしたら突然君が出てくるじゃないか。情熱先生に食ってかかる君は実に素晴らしかった。あの場面で君は神崎雄介君を完全に食ってしまっていたよ」

「まぁ、おぢいちゃんそれってこの間も話さなかった?モエコ記憶力がいいから全部覚えているのよ。ところでおぢいちゃんなんのドラマに出ていたの?モエコおぢいちゃんの事全く知らないの」

 このモエコの大俳優に対する無礼極まる発言に私は慌て彼女を叱りつけて蟹谷に謝った。しかし蟹谷は手を挙げて私を制すと再びモエコに喋りかけた。

「僕はそれから君と共演する日をずっと心待ちにしていたのだよ。だがまさかこんなにも早くその日が来ると思っていなかった。僕は昨日君の体当たりの演技を見て間違いなくこの子は本物だと思った。あんな大胆な演技が出来る若手は君だけだよモエコ君」

 この蟹谷の下心丸出しの言葉を聞いてモエコはいきなり嘆息した。そして熱に浮かされたように喋り始めた。

「ああ!モエコ昨日のベッドシーンの事は今もハッキリ覚えているわ!忘れようたって忘れられるはずがないわ!もう演じている間モエコ無我夢中でとにかく愛美ちゃんのために最高のベッドシーンを演じようとして南狭一にいろんな事したの。モエコあんな事初めてだからどう演じていいかわからなくてそれで友達の真理子にいろいろ教わったんだけど、それで彼女に教わった通り、南の棒を吸ったりそれを股に挿れたりして嫌だったけどとにかく頑張った。モエコもう終わった後泣きまくったわ!だけどそれからが大変だったのよ。シャワーを浴びようと思って裸になったらパンティが血だらけになってるじゃない。モエコ恐ろしくて絶叫したわ。ホントに怖かった」

 このバカモエコめ!お前はなんでそんな事を他人にペラペラと喋りまくるのだ。しかも相手は明らかにお前に下心を抱いている男だぞ?蟹谷はもう興奮してしまい目を剥いてモエコを凝視している。いかん、このままモエコを野放しにしておいたら大変なことになる。私は強引に話に割り込もうとしたが、しかしその時天の恩寵か、監督からOKの掛け声が出た。スタッフはモエコと蟹谷に向かって一斉に拍手を浴びせた。モエコは拍手の音に満足気に目を閉じた。蟹谷はそのモエコを舐め回すように見ている。

 しばらくしてスタッフが我々の所にやってきて次の収録まで休憩を取ることを伝えてきた。私はこれ幸いとモエコに楽屋に戻るように促した。しかしモエコの奴はなんと自分はここに残ると答えた。それで私がお前が残ったらスタッフさんが気を使うだろだろと言ったのだが、モエコは自分は今愛美ちゃんなんだからここから離れるなんておかしい。愛美ちゃんはまだ勤務中なのよと言い返してきた。その私たちのやりとりを聞いていた蟹谷はモエコを諌めるどころかじゃあ僕もモエコ君と一緒に残るとか言い出した。彼はスタッフに向かって僕らはここに残るから君たちは遠慮せずに休みたまえとか偉そうに抜かした。そしてすぐにモエコに向き直り再びモエコに話しかけてきた。

「モエコ君は不思議な子だね。君は大人びているようだし、同時に幼女のようでもある。君は一体いくつなんだね?いや、答えたくないようだったら答えなくていいよ。この芸能界には深い事情を抱えた人間が沢山いるからね」

「モエコ十七よ。来年で十八になるの」

 あっさり言ってしまった。年齢のことは口にするなと度々言っていたのにこのバカは!蟹谷はモエコの年齢を知って驚きの表情で彼女を見た。

「じゅ、十七だって?そんや若さであんな演技をしていたのか!いやぁビックりしたよ。意外に若いんじゃないかとは思っていたが、まさか十七歳だとは!そういえばモエコ君、マネージャーの猪狩君によると君は確か高校で演劇をやっていたそうだね」

「おぢいちゃん!いい加減にそのモエコ君ってのやめてよ!モエコは男の子じゃなくて女の子なのよ。これからはモエコちゃんって呼んで!」

 蟹谷はモエコの説教に顔を赤らめて縮こまってしまった。その蟹谷に向かってモエコは喋りかけた。

「さっ、おぢいちゃん。モエコをちゃん付で呼んでみて?」

「……モエコちゃん」

「そうよ!おぢいちゃんやれば出来るじゃない!いい?これからはモエコをそう呼ぶのよ」

 モエコはそう言うと高らかに笑った。私はこれじゃただのキャバクラじゃないかとツッコミたかった。これではインテリ俳優の蟹谷新三もかたなしである。しかし蟹谷は異様に上機嫌であった。彼はニヤついた表情でモエコを見つめ先程と同じ質問を繰り返す。

「で、モエコちゃん。ぼ、僕に女優になるまでどうしていたか聞かせてくれんかね?」

 モエコは蟹谷の問いを聞くと目を閉じて自分の半生を語り出した。小学校の文化祭でシンデレラをやった時のこと、中学から演劇部に所属して本格的に演技を学び始めたこと、そして高校に入りカルメンで全国高校演劇大会に出る事になったところまで語ったところで彼女は食事休憩だと話を中断し、その辺にいたスタッフに自分と蟹谷のために弁当を持ってこさせた。それが済むとまだ食べていた蟹谷に向かってもう食事は終わりだと彼のマネージャーに無理矢理弁当を下げさせてからまた話し始めた。

「モエコはカルメンでどうしても全国優勝したかったの。だけど背景を描く予定だった部員の子が病気になっちゃって。それで仕方がないからお友達の一人だった財閥の御曹司の絵描きさんに背景考えてもらうことにしたの」

 それまで興味津々にモエコの話を聞いていた蟹谷はお友達の絵描きという言葉を聞いて気に掛かり不安気な顔でモエコに尋ねた。

「そ、そのお友達というのはなんなのかね?どうやら学校の子ではないみたいだが」

 この蟹谷の質問にモエコは口を濁すどころかお友達のことを開けっぴろげに喋り出した。まず自分には年上の男のお友達が三人いて全員小学校時代からの付き合いである事。付き合うきっかけはテレビであり、自分の家にテレビがなかったので三人の家を順番に訪ねてテレビを観てお金を貰っていた事を全部喋ってしまった。 

 蟹谷はモエコの話を聞いて信じがたいといった表情でモエコを凝視した。

「お友達はさっき言った財閥の御曹司の絵描きさんと、それからモエコの高校の教頭だった人と、そして地主さんなんだけど。モエコはその三人と仲良くしていたのよ。いずれお友達三人を互いに紹介してあげるつもりだったのに。だけど演劇大会の稽古が始まってからお友達との関係がなんかおかしくなったの……」

「財閥の絵描きの御曹司?聞き覚えがあるぞ……」と蟹谷は呟きモエコに尋ねた。

「モエコちゃん、君はどこの生まれだね?」

 だがモエコは蟹谷の質問を聞いていなかった。監督が撮影再開の号令をかけたからである。モエコはメイク係にメイクを直してもらった。彼女は再び杉本愛美となり撮影へと向かった。次に撮影するのは愛美と羽村が会話するシーンだ。羽村が店にいることを知った愛美は動揺を隠して羽村に近づく。羽村はその愛美に意地の悪い笑みを浮かべて彼女の客の方に首を向けていいのかい?と囁く。それに対して愛美も笑い、いいのよと返し、久しぶりねと言う。

 モエコの演技は今回も素晴らしかった。蟹谷を蔑むように見ながら喋る姿。ゆっくりと酒をグラスに注ぐ動き。全く完璧であった。蟹谷もモエコの演技に驚いたに違いない。特に彼女がまだ十七歳だと知った今は。撮影はまたしても一発OKだった。監督は最高の演技だった。これ以上のものは撮れないとひたすら二人を持ち上げた。それに対して蟹谷は自分がここまで演技できたのは全てモエコちゃんのおかげ。彼女をもっとドラマに出すべきだと意見した。

「いっそ愛美を羽村の愛人にしたらどうかね。僕は正直に言って三添薫さんよりモエコちゃんと演技している方がずっと楽しいんだ」

 監督はこの蟹谷の本気とも冗談ともつかない話に苦笑いで応じた。そんな中モエコは一人まだソファーに体を埋めて演技の余韻に浸っていた。その時である。突然スタジオの外から怒鳴り声が鳴り響いた。

「俺は海老島権三郎だぞ!火山モエコと蟹谷新三はここにいるんだろ?全く俺の知らないところで勝手に撮影おっ始めやがって!いいから開けろ!」

 スタジオ内は海老島の声に騒然となった。確か海老島はスペシャルの時代劇の収録に行っているはず、と思っていたら今度は別の誰かが叫んだ。

「お願いだからボクをモエコちゃんに合わせておくれよ。ボクはもうモエコちゃんがいないと生きていけないんだ!」

 その声は南狭一のものであった。彼も今日は歌番組の収録だったはず。スタッフは全く予想していなかった事態に慌てまくった。私もまさか海老島と南が撮影に押しかけてくるとは思っていなかったので頭が真っ白になりただただ呆然としていた。

 間もなくしてスタジオのドアが開いた。そこに現れたのは侍姿の海老島権三郎とピチピチのアイドル衣装をきた南狭一であった。二人は互いな目も合わさずまっすぐモエコのいるセットの方に駆けつけて口々に叫んだ。

「テメエら、この海老島権三郎先生に隠れてよくもやってくれたな!おいプロデューサーはどこだ!この中にいるんだろうが!俺は言ったよなぁ!俺とモエコをくっつけろって!なのになんでこんな奴とモエコが共演してんだよ!」

「酷いじゃないかよぉ!ボクとモエコちゃんは昨日ベッドで一つになった中じゃないか。なのにどうして蟹谷のおじちゃんと仲良くさせているんだよぉ!おじちゃん、アンタはモエコちゃんじゃなくて三添のママとイチャイチャしてろよ!モエコちゃん、君も君だよ!昨日の夜あれほど僕と愛し合ったじゃないか!こんなジジイと共演なんかさっさと断れよ!」

「君たちは一体なんなのだ!モエコちゃんは僕のものなのだよ!さっさとここから出ていきたまえ!」

 三者三様、格好は激しく違っていても狙いは一つだった。侍、アイドル、インテリ。その三人が今モエコの前に立っていた。私はブヒブヒと言いたげに欲情に鼻を鳴らし涎を垂らしながらモエコを見つめる様をみて何故か三匹の子ブタの事を思い浮かべた。


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