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『パーパス』と『ミッション』は、<目線>が違う。

会社の経営理念といえば、かつては<ミッション><ビジョン>といった言葉が当たり前に使われていました。ところが、最近では<パーパス>という言葉が好まれるようになっているのですね。

わたしがこの傾向に気づいたのは、昨年2月。土井英司さんの書評の中で引用されていた、こんな言葉でした。

「最近のグローバル企業では、言葉遣いにも微妙な変化が見られます。Mission(使命)の代わりにPurpose(目的)という言葉をよく見かけるようになりました」
  宮原伸生『外資系で自分らしく働ける人に一番大切なこと』ダイヤモンド社

これをみて、語源フェチの私が思ったのは、「ああ、この言葉の奥にひそむ微妙なニュアンスの違いは、日本語では伝わりにくいだろうな」ということ。

なぜ、海外では<ミッション>を<パーパス>に置きかえるのか。

それは、それぞれの言葉に、翻訳では伝わらない<奥行き>があるからです。


『ミッション』とは何か

英語の mission は、ラテン語で 「送り出す、遣わす」という意味をもつ mitto が語源です。

「なにをするために、ここに遣わされてきたのか」

そんな語感がつきまといます。

たとえば英語の辞書で mission を調べてみると、こんな説明が出てきます。

① 英 Oxford 系:https://www.lexico.com/definition/mission
An important assignment given to a person or group of people, typically involving travel abroad.

② 米 Webster 系:https://www.merriam-webster.com/dictionary/mission
A specific task with which a person or a group is charged.

この代表例といえば、かつてのキリスト教の使節団でしょう。彼らは<キリストの教えを広める>ために世界各地へと派遣されました。

神のために、人間が動く。上に立つ者のより高邁な目的のために、下に立つ者がそれぞれに割り当てられた任務を遂行する。そんな<上下関係>が感じられる言葉です。

日本語では気づきにくいのですが、ここには明確な<使役関係>があります。日本語の<使命>という言葉は、この<命じて使わす>というニュアンスを見事に表現している翻訳語と言えるのではないでしょうか。

欧米で mission という場合、どうしてもこの<上から目線>の印象が強くなります。ところが、私企業であれば命令を下す経営者は<神>ではなく、おなじ<人間>です。無神論者も増えています。このため、さいきん流行りの<自分らしさ>や<働きやすさ>を求める従業員や求職者からは、mission という言葉に<共感>が得られなくなってきた。そういうことなのではないでしょうか。

『パーパス』とは何か

これに対して、英語の purpose は、もともと pro-「前へ」+ pono「置く」が語源です。

「なんのために、ここにいるのか」
「なんのために、うごくのか」

会社側は、それを世に向かって提案します。従業員や求職者、そして顧客の理解を得るために、目のまえで<なんのため>について説明するのです。

<パーパス>が<目的>や<存在意義>と訳されることが多いのは、このためでしょう。

たとえば英語の辞書で purpose を調べてみると、こんな説明が出てきます。

① 英 Oxford 系:https://www.lexico.com/definition/purpose
The reason for which something is done or created or for which something exists.

② 米 Webster 系:https://www.merriam-webster.com/dictionary/purpose
The reason why something is done or used : the aim or intention of something.

ここには<誰かが誰かに命令する>といったニュアンスは一切ありません。
誰かに命じられたから、ではなく、自分発で<なんのため>を考える。

proposeプロポーズproposalプロポーザル と同語源のこの言葉は、自ら<なぜ>を考え、判断し、動いていくという<能動的>なイメージがあります。

そして従業員や求職者の側は、経営者の提案に<共感>できるのかどうかを見極めていくのです。

どんな会社や仕事であれば、やりがいを感じて働けるのか。
目の前の提案に、<共感> できるのか、できないのか。
乗るかそるか。

英語の purpose には、自らの意志で<なすべきこと>を選び取っていくという、個人としての<自由意志>に委ねられた感覚があるのです。

パーパスとミッションの違いは、<視点>ではないか

<使命><目的><存在意義>といった翻訳語では伝えきれない、mission と purpose のニュアンスの違い。

それは、<なんのため>を考える道すじが、<上意下達型>なのか、それとも<自発型>なのか、という一点に尽きると思います。

ここでひとつ思い出されるのが、国連難民高等弁務官を務められた故・緒方貞子さんのメッセージです。

「ミッションのためにルールは変えればいいのよ」
   NHKクローズアップ現代+ (2019年12月11日(水)放送分) 
  「緒方貞子 今を生きるあなたへ」より

これは、公僕としての職責(あるいは天命)を果たすために尽力された緒方さんならではの言葉だと思います。

なにを為さしめるために、ここに遣わされているのか。
その目的を果たすために、手段は変えていい。

そういうニュアンスがよく伝わってきます。

ところで、『聖書』の一節に、こんな言葉があります。

「神は御心みこころさんためになんぢらのうちにはたらき、汝等なんぢらをして志望こころざしをたて、わざおこなはしめたまへばなり」  (ピリピ書 2:13)

自らの心のうちに湧きあがってくる純粋な<思い>は、自分のもののようでいて、じつは<天啓>なのではないか。 

そう考えるならば、mission を purpose に置き換えたとしても、緒方さんのメッセージはおそらく変わらないでしょう。

「パーパスのためにルールは変えればいいのよ」

それはつまり、

なんのために働くのか。

ということで、それを<神視点>で捉えるのか、<自分視点>で捉えるのかという、たったそれだけの違いなのではないでしょうか。

「欲を持ちなさい。欲が磨かれて志になる」
  佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』(WAVE出版)

どことなく、マズローの自己実現理論(欲求5段階説)にも似た響きを感じます。

なんのために生きるのか。

何千年も前から、ヒトはいつの日も、そんなことを考えながら、ささやかな営みを続けてきたのでしょう。その思いはきっと、どんな場所、どんな時代であっても、決して変わらないのです。

<語源>を紐解くことで見えてくる世界がある。

その美しさや奥深さにれ、感動してもらいたい。
いくつになっても、勉強って楽しい!という気持ちをわかちあいたい。

それが、わたしの<ミッション>であり、<パーパス>です。

今回触れられなかった<ビジョン>については、コチラをどうぞ!

<カルチャー>については、コチラをお読みくださいね(↓)。

今回の記事が、すこしでも皆さんのお役に立てば幸いです。
長文をお読みくださってありがとうございました。

今日もどうぞ素敵な1日を!

心より感謝を込めて

《参考情報》

◆参考記事
① 緒方貞子さんの特集番組の記事
緒方貞子さんの遺志を引き継いで活躍される方々のインタビューを通して、生前の緒方さんの姿を浮き彫りにするという特番の解説です。
かなり詳細な記事となっています。

② 米ボストン・コンサルティング・グループによる定義
11月29日付けの日経朝刊「きょうのことば」では、米ボストン・コンサルティング・グループによる独自の<定義>が紹介されていました。

ざっくりまとめると、こんな感じです。

◆米ボストン・コンサルティング・グループの定義
 パーパス        → WHY(なぜ社会に存在するか)
 ビジョン        → WHERE(どこを目指すか)
 ミッション       → WHAT(何を行うべきか)
 バリュー・カルチャー  → HOW(どのように実現するか)

<パーパス>と<ミッション>が、なぜこのような解釈になるのか。
今回の記事が、みなさまのお役に立てていれば幸いです。

◆参考図書
今回ご紹介した聖書の言葉について、最初に目にしたのがこの小説でした(↓)。

原文は、『舊新約聖書』明治39年1月26日印刷、大正10年5月19版とまったく同じです。

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これに近いと思われる文語訳はコチラ↓。(未確認です、ごめんなさい)

◆最終更新
2023年9月2日(水) 11:20 AM

※記事は、ときどき推敲します。一期一会をお楽しみいただければ幸いです。

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