生きなおし

自殺未遂、入院生活の体験を主に書いていきます。 この体験談を誰かが見てくれて歯止めにな…

生きなおし

自殺未遂、入院生活の体験を主に書いていきます。 この体験談を誰かが見てくれて歯止めになってくれればと願います。

最近の記事

三十年という節目

今年の夏で生まれて30歳になる 実感が全く無い 16歳の時は16歳で死ぬと思い 17歳の時は17歳で死ぬと思った 二十歳まで生きたくなかった 10代のうちに死にたかった 老いたくなかったんだと思う ティーン特有のあの尖ってる感じそのままでこの世から消えたかった 10代の頃から沢山の恋愛をしてきた 人を好きになりやすい性分のため 沢山の様々な人を好きになった しかし私の持つ精神疾患のせいで好きな人達は離れていった いや 私が遠ざけてしまったのだろう 精神科医の主治医に「

    • ガリガリ=美しい

      10代後半の頃 高校2年生〜にかけてかなりストイックにダイエットをしていた と言っても毎日朝晩走り 毎週ジムやプールで運動 絶食はしない食生活 という至って健康なダイエットである もちろん間食などもってのほか 私がこよなく愛するパンクロックからの影響が物凄くあった 私が大好きなパンクロッカーは皆ガリガリだったから ガリガリ=パンク という概念がずっとあった 余計なものが削ぎ落とされている美しさをパンクに感じていた 太る=死 という偏った考え方もあったのがこの時期だった こ

      • 人生で一番芸術に触れた日々は遠く

        中学入学当初から虐めにあっていた私だが 唯一部活動の吹奏楽部での活動には真面目に参加していた 9歳から習い続けていたフルートは私という人間の唯一の武器だったと思う 当時の私はどんな曲でも演奏出来たと思う 今はもう趣味程度以下のレベルになってしまったが 中学2年になった頃 虐めが酷くなり始めた  気持ち悪がられ バイ菌扱いされ 消臭スプレーをかけられた 自殺行為を覚えたのもこの頃だ ついに教室へ通えなくなり 不登校になった 毎日自宅で読書したり絵を描いたりしながら過ごした

        • 鬱は甘え

          希死念慮を抱くようになってどれくらい経つだろうか 初めて自殺未遂をしたのは中学2年の頃だった シールドで首を絞めて死のうとしたが死ねなかった 悔しくて泣いた 殺してくれと切に願っていた 「死にたい」と思う事はそんなにいけない事なのだろうか。 人はそういう発言をする人に対し、 「生きたくても生きられない人がいるのに そんな事言うのは贅沢だ」 と言う。 この世から消えたい程思い悩んでいる人間に対する理解は少ない ましてや鬱病などの経験が無い人や家族にそういう人がいなか

        三十年という節目

          此処は何処だ

          数年後 この間にまた色々な出来事が起きた 当時の交際相手からのDVから私は逃げて 遠い地へ逃亡した そしたら勝手に婚姻届を出され離婚届も出され 私の戸籍は荒らされた 遠い地での生活に限界を感じ 東京へ帰った 実家で暫く生活をしていた 元交際相手との生活は鎖に繋がれていたようなものだった 束縛 疑い 愛など微塵も無かった 私は一気に壊れていった ---------------------------------------------------- その反動

          此処は何処だ

          これを最後だと思いたかった

          2020年の7月末〜9月末か10月半ばかは忘れたが 遠く離れたとある病院に転院した 大学病院は長くは居られないため、転院せざるを得なかった 大学病院の主治医やケースワーカーは転院先の病院を探してはくれず、私の父が必死になって見つけてくれて唯一受け入れてくれた病院がこれから書く病院だ 大学病院から救急車で父と妹付き添いのもと運ばれた 都内からかなり遠く離れた病院である 私が入った病室は 認知症のおばあさん達のいる部屋だった あるおばあさんはお腹を拘束され、何事か喚いたり呟

          これを最後だと思いたかった

          0か100か

          私が精神疾患を患ったきっかけは多分 小学生の頃のイジメだろう 3年生の頃 私1人VSクラス全員というイジメにあった 担任は見てみぬフリ それがきっかけで私は元気で明るい活発な少女から内向的なおとなしい少女となった 母親からは「やめてって言いなさい!」と叱られ それが辛かったと思う 小学5〜6年の間も女子特有の派閥に悩み苦しめられた そして中学時代 この地獄の3年間は私に新たなダメージを与えた 中学時代3年間ずっといじめられていた 「キモい」ととにかく言われ続けた 菌

          ZOO

          私が初めて精神科に入院したのは高校2年生の時だった。 それまでには中学生の頃からカウンセリングに通ったりしていた。 高校2年生の春、希死念慮がとてつもなく強くなり母親同伴のもと病院へ行った。 そして診察。その時の医師が私の初めての主治医となる。 診察中、私はずっと下を向いていて「死にたい」としか言ってなかった。 そしてすぐ任意入院が決まった。 自傷癖があったため、保護室に入れられた。 病衣に着替えさせられ、下着を脱ぎ、おむつをはかされた。 そして両手を拘束された。 保護室

          生きてるって言ってみろ

          昨日 とてつもなく胸糞の悪い話があり どん底に堕ちていた いや 今もか 私が去年の夏に兵庫の知人宅に逃げていた時 そいつの家から追い出されて そいつの家にまだ色々とあった私の私物を送った時の送料代を そいつが突然父親に請求してきたとの事 意味がわからない そいつには世話になったからと親が幾らか渡しているのにも関わらずだ 自称ミュージシャン、印税暮らし、大病持ちの大 ホラ吹き野郎 それなのに生活保護を受給して生活しているのは おかしくないか 私は父親にそいつに払う事はやめるよ

          生きてるって言ってみろ

          ならず者

          29年弱生きてきた 17歳の時は17歳で死ぬと思い 18歳の時は18歳で死ぬと思い 19歳の時は19歳で死ぬと思い そして今生きている 20歳まで生きたくなかった それは強固に私の中にあった 人間不信、家族との確執、恋愛、自身について 人は変われる と幾度となく言われ聞かされしたが いまだに私にはよくわからない 変わる って何だろう そう簡単に人間は変われるのか? 幼少の頃から根付いた根本的な性格というものは そう簡単には変えられないと思う 10代〜20代前

          2023.7.28を終えて

          先日はナツミ生誕祭でした 私自身久しぶりの企画、ライブでした 来てくれたお客さん、共演者の皆さん、湯島bravo、本当にありがとうございました。 思う事の多いライブでした。 色んなことがあり  どう振る舞えば良いのか 全くわかりませんでした。 自分の未熟さを思い知るイベントでもあり 反省点ばかりです。 今まで自分に自信を持ったことなど一度も無く 勝手に落ち込み 勝手に思い込んでいました ある意味、だから続くのかな とも思っています。 一度満足してしまえば そこでもう

          2023.7.28を終えて

          地獄からの生還

          2020年4月末 飛び降り自殺をした。 あるだけの薬全てをストロングゼロで流し込み、アパートの鍵を開けたまま外へ出た。 塀のある建物をすぐ近くに見つけ、何階かは覚えていないが階段で昇って行った。 多分3階くらいの高さだったと思う。 よじ登り、「ずるり」という感じで私は落ちた。 その後  目が覚めたのがどこかの病院の中だった。 今何が起きているのか 誰がいるのか 何をしているのか何をされているのか 全くわからなかった。 母の声が聞こえてきたのをうっすらと覚えている。

          地獄からの生還