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新卒入社から5年。こんなに変わった。

2019年、私は名古屋の某企業に新卒として就職した。
東京や大阪にも支社がある会社だったが、愛知県の小さな町で育った私は、名古屋市内での一人暮らしに憧れていた。
内向的でインドア派だが適度に文化的なイベントも楽しみたい私にとって、都会すぎない名古屋はちょうど良かった。
会社の近くに部屋を借り、初めての一人暮らしがスタートした。

4月1日、自分のマンションから入社式に向かった日は、快晴の清々しい朝だった。
30名弱の同期たちは皆感じが良く、社長や上司の話も有意義で、いい会社に就職できたと思った。

1週間の新入社員研修の最終日、私と同期1名が会議室に呼び出された。
岡崎市にある取引先の会社に出向してほしいと言われた。
青天の霹靂。
名古屋配属と言われたから名古屋に部屋を借りたのに、入社わずかで異動通達。
同じ愛知県内とはいえ自宅から出向先まではバスと電車で往復3時間以上だった。
大学時代も通学時間は長かったが、週5で通う勤務先として私にはかなり遠く感じた。

とはいえ、NOなどと言えるわけもなく、毎日が日帰り旅行のような会社員生活が始まった。
フレックスタイム制だったので、慣れてくると7時15分に出社して16時半には会社を出られるようになったが、名古屋勤務と比べるとどれだけの時間を無駄にしているか。。
5時台のバスから見える綺麗な朝日だけが私の救いだった。

入社して初めての冬、コロナがやってきた。
世界的ロックダウンの影響で仕事が激減し、出社してもやることがなく、自主研修という名の暇つぶしで8時間やり過ごす日々が続いた。
世間ではリモートワークが広がるも、私の部署は機密保持のため在宅勤務の許可が下りず、まだ得体の知れなかった恐ろしいウイルスに恐れおののきながらの通勤が続いた。
会社では暇を持て余し、私生活では遠距離の彼にも会えず。悶々と時間だけが過ぎていく。
そんな状況が怖くなり、ウェブデザインの勉強を始めた。

2年目の夏、会社に辞表を提出し、ウェブ制作会社でのインターンを始めた。
ここは地獄のような環境だった。
セクハラ、モラハラ、パワハラに加え、社員の多くは会社で寝泊まりが恒例となっていた。
IT土方の実態を目の当たりにした私は2か月でインターンを卒業。
正式採用を断り、違う道を歩むことを決心した。

新しく選んだ道は眼鏡屋という仕事だった。
もともと眼鏡が好きだったのと、デスクワークにうんざりしていたこと、やりがいを肌で感じられそうだと思い選んだ。
せっかくウェブ制作の勉強をしたのに接客業へ行くのかと、自分でも葛藤はあったが、この決断は間違いではなかった。

転職先のお店ではとても人間関係に恵まれ、自分の資質や適性、隠れた能力をたくさん見出すことができた。
努力も正当に評価してもらい、もっと大きな部屋に引っ越すこともできた。
これまでで一番充実した社会生活だった。
2年目の春には約3年ぶりに彼と再会し同棲生活が始まった。
時には辛い仕事も、彼がいるから頑張れた。

が、管理職についたことをきっかけに私のメンタルは徐々に崩壊していった。
自分の努力や我慢が、評価対象から当然の事へと変化し、利用されるようになった。
手塩にかけて育てた可愛い後輩のために良い上司でいようと無理をした。
頑張ればいつか楽になると思ったが、会社からの期待や責任は増す一方で、ついにぷつんと来た。

いったん休憩が欲しい。

もともとワーホリに行きたかったのに、コロナのせいでどこにも行けなかったことや、28歳という年齢を考えると、大きな挑戦ができる最後のタイミングがかもしれない。
そう考え、いったん日本を離れてみることを決意した。

今、私はフランスにる。
小学生時代の私の人生設計では、もう結婚して子どもがいた頃だ。
配偶者が外国人とは思いもしなかった。

自分の人生が人に自慢できるような輝かしいものだとは一切思わない。
けれど、仕事でも私生活でも、これまでしてきた決断に全て後悔はない。
私の人生は私にとって100点満点だ。

この春から社会人になった人も、この春から何かを変えたいと思っている人も、
自分が幸せになれる選択をし続けてほしい。

頑張ることで見える世界もあるけど、力を抜いて初めて見えてくる物もあると思う。

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