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私の世界を

 言葉を操るようになってから、どれだけの月日が経ったであろう。

 言葉を認識し、言葉を使い、話せるようになり、書けるようになり、そうしてものを生み出そうとしてから、どれだけの時間が。

 私の言葉を、私の想いを、何かに、何かに、伝えよう、届けよう、残してみよう、こめてみようーーいや、そんなにたいそれたものではなくて、ただ、溢れてくるものを見つめたかっただけなのかもしれない。

 何にも届かなくてもいい。
 何にも伝わらなくてもいい。

 何か、少しでも、感じられたものがあればうれしい、けれど、それもまた、本質ではない気がする。

 やっぱり、そう。
 私は、ただ、溢れてくるものを見つめたい、ただ、それだけ。

 けれど、外側から見たら、どんなふうに、映るのだろう。どんなふうに、見えているのだろう。

 もしも、誰かが、私の作風……なんておこがましいものではなく、私の世界を紹介、伝えてくれるとしたら、どんな表現がされるのだろう。そうして、私が、誰かの世界を伝えようとしたら、どんな表現になるだろう。

 どんな世界が見えているのか。

 私は、どんな世界を映し出しているのだろうか。

 私の知らない、私の生み出す世界を。

 どんな言葉で、どんな表現で。

 それがもしかしたら、私の世界を私が知るきっかけに、気づかなかったものに気づける、そんな機会になるかも、しれない。

 なんてことを ふいに 思った。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。