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  • Дневник ликвидатра в ебенях

    露勢力圏をうろうろしてます。

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神に見放された土地と独立愚連隊

テントに刺すような日差しが差し込み、上半身を襲った。凄まじい熱にたまらず目を覚ますと、隣に鎮座している携帯発電機がブーンと唸り声を上げ、二度寝を許してくれない。GARMINのスマートウォッチに目をやると朝の6時を指しているが、この時点で気温は既に35度を超え、白地の寝間着に視線を落とすと、汗でぐっしょり濡れていた。寝起きは最悪であり、腕時計の睡眠モニタリング機能もこれまで見たことのない低い睡眠スコアを叩き出し、睡眠の質を改善しましょうという説明文が苛立ちを一層増幅させる。

    • そして人民は埋葬される

      慈愛を示す人達 平時もしくは銃後において、善良な市民、そして家庭では心優しい父親(母親)が、戦場では底抜けの残虐性を剥き出しにするという行動は明確に直感に反するが、紛争地の至るところで見聞きすることができる。  地下鉄のプラットフォームで、ベビーカーを押す母親をスムーズに電車に載せるために手伝うことを厭わない男性が、占領地では、ある母親を子供の目の前で強姦し、あまつさえ殺害する。信号の移り変わりが激しい横断歩道で、老人を安全に渡らせようと荷物を代わりに持ち、そしておぶってあ

      • 新義州に向かう音楽少女と人民軍兵士

        深夜の訪問者 久々の非番で既に羽目を外しているその男は、ひどく酔っ払っていた。そう酒が強くない彼は、大同江麦酒を数本空けただけで顔が紅潮し、視線が定まらず、うつらうつらしていた。男は暇つぶしにとテレビを惰性で点けたものの、白頭山とその天池が視界に入った瞬間、舌打ちをしながら電源を消した。その日の放送が終わったのだ。仕方ないので不味いタバコを一服して眠りにつこうとした時、ドアをノックする音が聞こえた。その瞬間、泥酔状態の彼はなんとか目を覚まそうとして水をがぶ飲みし、洗面所へ急

        • 燃える聖母

          苛烈な砲爆撃により生じた黒煙が帳と化し、周囲を覆っている。車を建物の中へ頭から突っ込み、積み上げた土嚢の裏に急ぎ停める。降車する前にサイドミラーで自分の顔を見ると、どうも黒い。髪もバサバサになっていて、掌を見ると黒い灰に塗れている。ドライバーのディマの顔を一瞥すると、彼の顔も黒くなっていた。戦争以前は、巨大な工場から噴出されるスモッグで夕方にもなれば街中煤まみれになったものだが、今となっては火薬と瓦礫で煤まみれになっていた。 衛星電話でボリスへの定時連絡を試みる。頭を下げつ

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        • Дневник ликвидатра в ебенях
          10本

        記事

          ひまわりとドネツクの詩人

          「わからない。もうわからないんだ。どうすればいいのか、もう。手遅れなんだ、何もかも。なぜ自分が今この立場にいて、何のために戦っているのか、もうわからなくなってしまったんだ。」 ー今は無き境界線の「向こう側」で中隊長として戦う彼は、行き場のない悲しみに襲われた子供の様な声で私に言った。 ーもう・・・こちら側に来れないの? ーなぜ? ー万物は流転する、ともいうじゃないか・・・グロスマンが言ったように。 ー・・・ありがとう。話してくれて。 ー海兵に質問なし(韻を踏んだ表

          ひまわりとドネツクの詩人

          コイントスと戦争の行方 ーマリウポリ郊外にて

           2022年2月16日。明朝の首都キエフからぶっ続けでランドクルーザーを駆りおよそ9時間。目的地であるマリウポリから数kmほど離れた郊外で、ボリスと運転手のディマとハチャプリを片手に紅茶をすすりながら小休憩を挟んだ。ロシアが2021年の終わり頃から現在にかけて行っていた国境への戦力増強が終わりに差し掛かり、世間はついに侵攻が始まるのか否かで、紛糾していた。  国内外の地域専門家、アマプロ問わない軍事分析屋、ジャーナリスト、政治家たちが自説を披露する中、あえて意見の表明を避け

          コイントスと戦争の行方 ーマリウポリ郊外にて

          アルメニア独立記念30周年と戦後

          第二次ナゴルノ・カラバフ戦争が2020年に始まり、皮肉にもその壊滅的な敗北から一年後に、アルメニアは独立30周年を迎えた。首都エレバンの中心地にある、目抜き通りでもありオペラ・バレエ劇場から始まる「北通り」は人だかりが出来ていて、ちょうど催し物が開かれている共和国広場は人の波で埋もれていた。マスクを付けている人は見回す限り1割にも満たない。そして国民はワクチンを積極的にしているのかというとそうではなく、2回目の予防接種を完了している人口は4%に過ぎない。一向に進まないワクチン

          アルメニア独立記念30周年と戦後

          「ソ連が存在していたら、こんなことは・・・」 「それは詮無いことですよ」

          分断凍結された紛争地で活動する私と同僚のボリスのやり取りだ。ほぼ念仏のように唱えられる、お決まりのフレーズである。日本語で「詮無いこと」と訳してあるが、ロシア語原文だと相当に卑猥な表現になる (если бы у бабушки был хуй, то она была бы дедушкой「おばあちゃんにイチモツがついていたらおじいちゃんだったのになあ」)。すでに30年前にお亡くなりになったソビエト連邦を偲び(?)、共産主義の墓標の上に点在する血が混ざった糞の山を見つめ、

          「ソ連が存在していたら、こんなことは・・・」 「それは詮無いことですよ」

          ドネツクはどん底

          いつもどおり朝8時にかかってきた電話に叩き起こされる。被拘束者の母親からの電話だ。最近は彼女たちからの電話で目をさますことがもっぱらだ。彼女たちの大半は年寄りであるせいなのかどうかはわからないが、例外なく朝早くに電話してくる。悲しみと失望が入り混じった声で、「刑務所へのアクセスは手に入れたのか(刑務所には行けるようになったのか)」と日課のように確認してくるのだ。私はバツが悪そうに「残念ながら・・・」というフレーズから返答を始める。口癖になってしまい、何も考えずに電話に出てしま

          ドネツクはどん底

          ドネツクに住むインテリゲンツィアの話1

          ※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。 5月初頭にドネツクの少し外れに住む家族を訪ねた。息子がMGB(国家安全保障省)に逮捕され、それ以来当局からなんの音沙汰がないため、なにかしらアクションをとって欲しいとの連絡を受けたためだ。初めての訪問から2週間がたった後に昼食のお誘いを受けた。出不精である私は正直面倒だなと思いながらも、日本から持ってきた緑茶を手土産に出向くことになった。 家の周りには犬、猫、アヒルなどといった野生動物がたく

          ドネツクに住むインテリゲンツィアの話1

          境界線

          どこでどのような活動をしているのか詳しく書くことはできないが、その国は武力紛争によって分断され、国境とも呼べる「境界線」が存在する。それはもう6年ほど「凍結状態」で、国民の意識を分断するには十分な時間が経った。私はその「境界線」を自由に、そして楽に行き来することが出来る。通常ならば、長蛇の列に並び、文字通り半日以上待たなければ通ることができない境界線を、ものの15分足らずで通過できてしまう。現地の人々に白い目で見られながらも彼らを横目に悠々と車で通り過ぎていく。 私が「境界

          境界線