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アルメニア独立記念30周年と戦後

第二次ナゴルノ・カラバフ戦争が2020年に始まり、皮肉にもその壊滅的な敗北から一年後に、アルメニアは独立30周年を迎えた。首都エレバンの中心地にある、目抜き通りでもありオペラ・バレエ劇場から始まる「北通り」は人だかりが出来ていて、ちょうど催し物が開かれている共和国広場は人の波で埋もれていた。マスクを付けている人は見回す限り1割にも満たない。そして国民はワクチンを積極的にしているのかというとそうではなく、2回目の予防接種を完了している人口は4%に過ぎない。一向に進まないワクチン接種に保健省は業を煮やしており、公務員やサービス業従事者などを対象とした人々への強制接種、もしくは2週間毎のPCR陰性証明(自費)の提出を義務付けようとしている。

アルメニア人の友人と散歩しているときに、シャルル・アズナブール広場にある「モスクワ映画館」を通りかかったところ、中国からの援助で供与を受けた市内バスが目の前で止まった。車内に目を向けると、マスクをつけていない人でバスは溢れんばかりだった。「見ろ。これが俺たちが戦争に負けた理由の一つだよ。」と自嘲混じりに友人は言った。私はそれを聞いて苦笑いしかできなかったが、たしかにこの国のコロナウイルスに対する防疫意識の低さには目を見張る。まるで疫病など存在しないかのように人々は振る舞う。振る舞うだけではなく、実際に「コロナは存在しない」「コロナはただの風邪」「蜂蜜と生姜を入れた紅茶を飲めば治る」と主張して憚らない人が大勢おり、うんざりしてしまう(某欧州独裁国の大統領もそんなことを言っていた)。実際に上記の発言をした一人のアルメニア人同僚の姉はコロナで亡くなった。周囲の人間は彼女の死に同情し、数日はマスクを付けるようになったが、あまり日が経たないうちに皆マスクを外し、握手・ハグを繰り返すようになった。喉元過ぎれば熱さ忘れるとはこういうことなのだろうか。(ちなみにワクチンを打った後の私を敬遠する人や、”多大なリスク”を取った私に「敬意」を示すものまで現れた。)

苦い敗北とともに独立30周年を迎えたアルメニアは、今回の記念日を盛大に祝った。人々は街に繰り出し、笑い、踊り、歌っている。さも戦争なぞなかったかのように。それとも戦争を忘れるために祝っているのだろうか?戦争後に行われた総選挙では投票率は5割に満たず、また敗軍の将として辞任するよう圧をかけられていたパシニャンは、より過激な政策を取ろうとする第二代首相の「カラバフ閥」のコチャリャンに大差をつけ勝利した。つまりアルメニア国民の半数は戦後の情勢に余り興味がなかったのだろうし、投票した人々の大半も戦争継続と武力による領地再奪還を望まなかった。第一次カラバフ紛争で得た保障占領地や、文化的中心地であるシュシ(シュシャ)を明け渡し、将来有望な若者4000人を失ったにもかかわらず。

政府はまだ国が「喪中」であるとし記念日を盛大に祝わないよう提案したが、結局、共和国広場は歓声に包まれた。現状を良しとしない、復讐を次世代へ託そうとする人々や、戦没者遺族たちは意を異にしているが、彼らの声はノイジーマイノリティとして右から左へと流れていく。エレバンから300km以上離れたステパナケルトやザンゲラン、激戦地だったジャブライル(今も露平和維持部隊による戦没者の遺体捜索が行われている)を気にかける人々はそう多くない(ドンバス紛争の最前線であるドネツクでさえ、市内にいれば数キロ先のコンタクトライン上で戦争が起きているという実感は湧かない)。戦争前ですらほぼ廃墟同然だったシュシや保障占領地内にあった村落がアゼルバイジャンに整備されていく様を見て、苛つきを覚えるくらいだろう。保障占領地を失い、新たにアゼルバイジャンと国境を接するようになった南部の人々にとって国境画定は死活問題だが、人口の約半分がエレバンと他の大都市に住んでる以上、結局は南部限定の問題としてみなされる。敗戦の反動で生じた悲しみと怒りを帯びた熱は徐々に冷め、嘆きと諦観が混じった藍色の感情が時折顔を見せるだけで、戦後を生きる人々は元の生活へと帰っていく。

同僚のボリスとステパナケルト出身のレオニードがソ連時代を懐古しているのを横目にホロヴァツ(豚肉のBBQ)と生野菜を貪っていたところ、お決まりのフレーズが二人から放たれた。「ソ連が存在したらこんな事にはならなかったのになあ。」食い気味に私はこう言った。「おばあちゃんにイチモツがついていたらおじいちゃんだったのになあ(それは詮無いことですよ)。」レストランからの帰り道、北通りでは国歌を歌うグループが大勢の人に囲まれているのを見た。すっかり酔っ払ったボリスとレオニードはその群衆を通りかかった時に突然インターナショナルを歌い始めた。焦った私は奇異の目で見られる彼らを無視し、マスクをつけて、別の方向へと歩きだした。



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