そして人民は埋葬される

慈愛を示す人達

 平時もしくは銃後において、善良な市民、そして家庭では心優しい父親(母親)が、戦場では底抜けの残虐性を剥き出しにするという行動は明確に直感に反するが、紛争地の至るところで見聞きすることができる。

 地下鉄のプラットフォームで、ベビーカーを押す母親をスムーズに電車に載せるために手伝うことを厭わない男性が、占領地では、ある母親を子供の目の前で強姦し、あまつさえ殺害する。信号の移り変わりが激しい横断歩道で、老人を安全に渡らせようと荷物を代わりに持ち、そしておぶってあげる男性が、敵国のとある介護ホームに取り残された老人を、気分次第で殺害する。それは刺殺であったり射殺であったり、面白半分で行った拷問によるものだったりする。

 手垢がつき、散々議論されてきたことであろうとも、なぜこの人が、こんなことをするのか(してしまうのか)、と人々は疑問を持つ。いわゆる「普通の人々」がそのような残虐行為に手を染める理由はなぜなのか。上官の命令によるものなのか、既に行為を犯した他の隊員と自分を同調させるためなのか。自分がやらなければ結局他の人間に御鉢が周り、”一生懸命”に”仕事”をしている人の迷惑になるから、と空調の効いたある都市のオフィスの、何気ない日常の一幕からも聞こえてくるような理由によるものなのか。

戦争を加工し伝える人達

 学術的な説明をここでするつもりはない。いつもどおり、ユーラシア大陸の紛争地帯で半生を過ごした人々の言葉を記すだけで、示唆に富むようなものでもなんでもない。戦争の話というものは往々にして、耳目を疑うような馬鹿げた話を、なんとか聞くに堪えるものに再加工をして、それでもその出来事や発言者の理性に対して、顰め面をせずにはいられないようなものなのだ。

 紛争地を練り歩いてきた彼の話の節々には、皮肉が込められている。そして多くの場合、誠実さを欠いている。半自動的に、脳内で幾度となく行われる編集と、持ち前のブラックユーモアの刺々しさを丸めるための、月並みな良心による幾ばくかの倫理性の肉付けを経て、最終的に繰り出される発言の数々は、相手を白けさせ、幻滅させる。

 自らの良心を疑わない人たちにとっては、彼の物言いを受け入れることは難しく、実際に殺戮を行う慈愛を示す普通の人々たちからも、それは違うと箴言を受ける。自らが犯した悪行をただ認めようとしないのか、それとも一般常識と照らし合わせた自身の、"彼らなりの道徳心”があくまでも偶発的にその発言を受け入れようとしないのかは定かではない。両方かもしれない。過激な政治思想や宗教心から来る単純な反応のほうが、余程親切といえる。

 そのような反応を受けて彼は、慈愛を湛えた表情を以て、さも諭されたかのように納得する素振りを見せるが、その場を離れると刺すように冷たい視線をしばし私に向けて、いつもと変わらない飄々とした態度を取り始める。身内に向けるような視線ではないはずなのに、それがお互いを認識し合うコードとなっている。世界の至るところで支払われる不当かつ、不必要な犠牲に対する、諦めとも絶望ともつかない感情。憤りとも悲しみともつかない感情。「空」を見る、彼の視線に乗る感情は一見ネガティブだが、投げやりではなく、むしろ透徹している。

 目を覆いたくなる惨状を目の前にしてもなお保つ彼の冷たい視線と、私に向けたあの時の視線は、驚くほど似通っていた。

2022年5月某日、トビリシのアブハジア料理店にて

 ドンバスから命からがら生き延びた私達は、帰還報告デブリーフィングをオンライン上で済ませたものの、お互いまだ直接顔合わせをしていなかった。アブハジア出身のボリスは、打ち上げをしないのはありえないと凄まじい剣幕で、私とステパナケルト出身のレオニードにSkypeミーティング中大声でまくし立て、あれよあれよと打ち上げが行われる事となった。場所はボリスの故郷でもあり、彼が今休暇で滞在しているグルジアに決まった。本人は地元のスフミで行いたかったものの、入国が面倒な上、今の御時世に未承認国家に入域するのは流石に色んな意味で危険過ぎる、ということでトビリシと相成ったのだった。

 Yandexタクシーのアプリを起動し、ボリスから指定された場所を入力しタクシーを待つ。旧ソ連圏では共通の、分別不要で、ありとあらゆるモノが打ち込まれている巨大なゴミ箱の横に日本車のプリウスが止まった。乗る前にふとそのゴミ箱に目をやると、赤い足跡を付けられた例の男の顔が描かれている。運転手のおじさんに「ガマルジョバ」と挨拶をすると、おじさんもにっこりとしながら「ガマルジョバ」と返す。その後おじさんはすぐにロシア語に切り替え、例のゴミ箱を指差し「それ見た?」と尋ねてくる。私は「順当な扱いですね」と笑いながら答えると、彼は満面の笑みと共に「ようこそグルジアへ!」と手を私に差し伸べ、固い握手をした後、車を走らせた。

 ポリトコフスカヤ通りにある教会の前にタクシーが止まる。運転手のおじさんに別れを告げ、そこから少し進んだ先にある角を曲がると、すぐに目的地を見つけることができた。個人でやっているであろう自動車修理店の隣にその店はあるのだが、とっ散らかった部品とタールのような黒い液体に敷地が侵出されており、お世辞にも綺麗とは言えない。二階に上る前に、通りに大きく飛び出たテラスに目をやると、タバコを吸っているボリスとレオニードがいた。タバコを深く吸いながら、二人は私に向けて大きく手を振っている。二人に近づくや否や、彼らは問答無用で私に飛びかかり、肋骨と背骨が折れそうになるくらい、強く抱擁した。頭をワシャワシャと撫でられ、そして背中をバンバンと叩かれながら席に案内される。
「よく生きて還ってきた!」
「あなた達も!」

 この店は大変美味なアブハジア料理を出すことで有名で、オーナーもアブハジア人だ。店の半分はテラスで、屋内はアブハジアの小物・雑貨が可愛く飾られており、テレビのスクリーンには1980年代前半にソ連観光協会によって撮影されたアブハジアの保養地の風景がひたすらに流れていて、その時には私は生まれてすらいないのだが、卓上に置かれたソ連製の食器とカトラリー、そしてこれまた定番の飲み口が太いグラニョーヌィ スタカン(面の付けられたグラス)と相まって、なぜかありもしない郷愁の念を呼び起こす。ボリスは大変満足気に店内を見渡し、顔見知りであろう、腕全体を覆うタトゥーが彫られた兄ちゃんと店のオーナーにグルジア語で陽気に挨拶している。

 私がメニューとにらめっこしていると、ボリスはもう頼んであるから心配するなと、お願いしてもいないのに私の目の前にワイングラスを置き、赤ワインを注ぐ。
「では、我々の再会と、なんとか生き延びたことにЗа то, что мы еле-еле выкрутились、乾杯!」
3人はワイングラスを軽くチン、と当てワインを口に運んだ。グルジアの赤ワインが美味しいことは、日本国内でも既に周知の事実ではあるが、やはりおいしい。さすが8000年前からワインを醸造している国は違う。私が味わうようにちびちびと飲んでいると、ボリスとレオニードは既に二杯目に突入していた。

 料理が卓上に運ばれる間、ボリスがトビリシの変貌ぶりについて、街の歴史に詳しくない私とレオニードに冗談交じりで説明する。サアカシュビリ以前は警官の汚職が酷く、また今では考えられないほど治安が悪かったらしい。それはサアカシュビリが警官の数を減らし、給料を上げると徐々に改善に向かっていったものの、町中での酔っ払ったオッサン同士の喧嘩等の軽犯罪ですら徹底的に検挙するようになったため、帝政ロシア時代から使われているボロボロの刑務所が、囚人で埋め尽くされるようになったそうだ。そして余りにも性急な改革であったため、地方と弱者が置いてけぼりになり、それが原因で最終的には選挙で負け逃亡したと、論を展開する。
「ーーだがそれよりも俺が許せないのは、旧市街の建築物の屋根を赤っぽい茶色から、南欧風に塗り替えたことだ。帝政時代の建造物の修繕も壊滅的にお粗末だった」と、ぷりぷり説明する。

 ボリスが、シロヴィキ上がりのシュワルナゼと西側被れのサアカシュビリに対する不満を、なみなみ注がれた3杯目のワインをかっ喰らいながらぶち撒けていると、大量の料理が運ばれてきた。以下雑な説明。

・青々しい唐辛子がまるまる乗った新鮮なきゅうりとトマトのスルグニソース和えサラダ
・長ネギ・紫バジル・キンザ(パクチー)・パセリ・ラディッシュが山盛りのハーブ盛り合わせ
・大量のピクルスの盛り合わせ
・黒緑オリーブとレモンの盛り合わせ
・チーズの盛り合わせ
・ゴミと呼ばれる粘度の高いとうもろこしの粥
・オジャフリ(肉の炒めもの)
・コドリ風クブダリ(ハチャプリのようなもの)
・ムチャディ(とうもろこし粉を揚げたパンのようなもの)
・タタリアフニ(牛肉の透明なスープ。セロリが入っている)
・鱒のグリルとザクロソース
・プハリの盛り合わせ
・山盛りの豚肉のシャシリク

「グルジアへようこそ、同志!」
ボリスが両手を大きく広げ、本格的に宴の始まりが告げられた。
「うわあ、なんだか凄いことになっちゃったぞ」

 卓上に展開する圧倒的な物量を前にたじろいでいると、ボリスとレオニードは既に貪り食らっている。ハーブとピクルスをひょいひょいと手でつかみ、生の唐辛子をボリっと食べ、肉と魚を豪快にガブッと行く。チーズとムチャディを口に放り込む。ゴミを器用にクルクルとフォークで絡め取る、そしてサラダやプハリで箸休め・・・なるほど、そうすればいいのかと真似したところ、どうあがいても彼らのペースで食べ進めることが出来ない。50代半ばである二人は年齢なぞなんのその、凄まじい勢いで食べ物が胃の中へと消えていき、それはさながら白兵戦のようだ。これでも人並み以上に食べる私に、「どうした、追いつけДогоняй追い越せПерегоняй、食べろ食べろ!」と発破をかける二人に何とか追いつこうとするも、差はますます広がっていく。隣の席で、それぞれ個別に頼んだメインディッシュを上品にナイフとフォークで、小鳥のように慎ましく食べるロシア人カップルは、ヴァイキングのように貪り食らう我々の姿を見てドン引きしていた。

 宴もたけなわである。もう何回目の乾杯だろうか。カフカース人の乾杯の音頭は長いことで知られており、それはもうスピーチと言っても過言ではない。私もこのために幾つか弾を持っていたが早々に枯渇し、酔いで回らない頭をフル回転させ、なんとか捻り出そうとしていた。
「おい、次はお前が音頭を取れよ」
ワインからチャチャ(蒸留酒)にいつの間に切り替えていた二人が私に詰め寄る。
「今一度乾杯を提唱する。健康のために、といってもそれがまだあなた達に残っていればの話だが!За здоровье, но если у вас оно еще осталось!
二人はどっと沸いた。私もそれに釣られてけたけたと笑った・・・。

森を拓けば木っ端が飛ぶ。そして人民はーーー

 あれだけ大量にあった料理は卓上から綺麗サッパリ無くなっていた。お腹は既にはちきれんばかりで、甘いものは別腹と言いたかったが、そんなものはとうに押しつぶされている。もう入らないと散々言ったものの、それでもこのデザートは食べてほしいと押しに押してくるボリスに根負けし、彼イチオシのスフミ風アイスクリームморожное по-сухумскийを絶望的な満腹感と共に待っていた。

 そんな折、ボリスは私に唐突に尋ねた。

「マリウポリとかブチャとか、お前はどう思った?」
「いや、どうって・・・」

 なぜ、このタイミングでそんな質問をぶっこんでくるんだ?満腹感による苦しさと質問のセンシティブさに板挟みとなって、苦痛を浮かべる私の顔を見ながら、ボリスは子供に話しかけるように優しく言った。

「なに、どう答えようがお前を責めはしないよ。責める人間もここにはいない。ただ知りたいだけさ。お前の人間性を疑うつもりもない。」
正直честно говоря・・・」

彼はずっと聞きたかったのだろう。

「正直・・・何も感じなかったといえば嘘になるけど、特別何も。」
「なるほど。何も感じなかったといえば嘘になるということは、何かしら思ったことがあったんだな?」
「あの知らせを聞いた時はさすがに一瞬頭に来たよ。でもその後すぐに落ち着いて・・・落ち着いちゃって。歴史上の事件や、自分の今までの経験と照らし合わされて、急速に相対化されていった。」

ボリスとレオニードは真剣な顔をしながら、ゆっくりと頷いている。

「”今回のストレスのピーク”はどこだった?」
マリウポリ。ただ都市から脱出して、緊張の糸が切れた後に首が痛くなったけど、スロヴァキアに着いた時には既に良くなっていたよ。」
「そこでお前の今次の紛争への”適応”が済んだんだな。」
「まあ、そういうことになるかな・・・」

申し訳無さそうに言う私の肩に、ボリスが手を置く。

「言わなくても分かってると思うが、その一瞬の怒りを大事にするんだ。」

彼のあの視線が私を貫く。

「俺たちの仕事の性質上、お前の事件に対する態度や反応は、悲しいが正しい。それが精神を守る手段だからだ。それを理解しない、上のお偉方やヤバい現場で働いたことが無い人間たちは、戦争前にあーだこーだ理由を付けて、ウクライナ人の同僚を置いて逃げた連中を慰める一方で、お前のことを人でなしчеловек без чувствと言うだろうが、あの時、マリウポリで、組織の中で誰よりも人達を案じていたのはお前だ。それをお前は行動で示した。」

「そう、俺達は一見道徳的ではないかもしれない。お前のような態度を取ろうものなら、道徳心を持ってると勘違いしているくそどもсволочиですら、耳を疑うかもしれない・・・戦争に身を置く俺たちの話を聞きたがる奴らはごまんといる。普通の人間たちも、人食いのような連中もだ。そこで俺は皮肉たっぷりにこう言ってやるんだ。”肉屋は盛況です”と。本当にイカれたやつは本気で理解を示すだろうが、この言葉に隠された意味を、別に隠れてもいないと思うが、連中は理解しない。取るに足らない良心を示そうとするからだ。

 だが一皮剥けばそんなものは持ち合わせていない。俺達がいるユーラシアは、馬鹿で、粗野で、不潔で、野蛮で、そういった間抜けが至るところにいる。至るところから沸いて出てくる。車を擦った擦らなかったで、殺し合う連中がそこら中にいる。そのような特徴に自分たちは気づいているのかどうか知らないが、そういう人間たちが大量に、そしてあっさりと死んでいく。死人を治すことが出来ない(馬鹿は死んでも治らない)というように、まあ、死んでも分からない人間が多いんだよ。人間がいなければ問題も存在しないというのは良く言ったものだ。今回の戦争だって、そんな馬鹿どもの集まりがやっているんだ。どうして弱者に慈愛を示す市井の馬鹿どもが、姿形も同じで同じ言語を話す弱者を殺しているかって?別におかしなことは何もない。内戦の時にだって、同じロシア人同士殺し合っていただろ。それも大量に。まあロシア人に限った話じゃないが。

 そうやって人が大量に死ぬたびに、”良心”を持った人間はこう宣う。森を拓けば木っ端が飛ぶЛес рубят, щепки летят(大きな仕事に犠牲はつきもの)。だが気が付かない。木っ端の下に、人民が埋葬されたことをпод этими щепками, всего народа похоронили。そして自分自身も埋葬されているということを。

 世界のどこかで払われる不当な犠牲を、紛い物の道徳心や良心がそれを埋め尽くす。絶望したくなるが、絶望してしまったら駄目だ。数少ないが、本当の良心を持つ人もいる。長い目で見れば、世界は良い場所になってきた。短期的な始点で世界を見ると絶望することばかりだが、長期的に見れば世界は少しずつ、まともに前に進んでいる。」

スフミ風アイスクリームが目の前に置かれた。純白のエスキモーに、琥珀色のマーマレードと砕いたナッツが星屑のように散りばめられている。

「このアイスのように、世界が良い場所になるために」
ボリスが食後のワインを宙に向ける。

「このアイス、甘すぎるけどな」
レオニードがにやにやしながら呟いた。
ボリスがその発言を受けて、茶化すなよと彼の肩を叩く。

 彼の言う通り、このアイスは少々甘すぎるかもしれないが、それは確かに良いものだった。

 



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