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ドネツクに住むインテリゲンツィアの話1

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

5月初頭にドネツクの少し外れに住む家族を訪ねた。息子がMGB(国家安全保障省)に逮捕され、それ以来当局からなんの音沙汰がないため、なにかしらアクションをとって欲しいとの連絡を受けたためだ。初めての訪問から2週間がたった後に昼食のお誘いを受けた。出不精である私は正直面倒だなと思いながらも、日本から持ってきた緑茶を手土産に出向くことになった。

家の周りには犬、猫、アヒルなどといった野生動物がたくさん住んでいて、近隣住民に随分と可愛がられていた。名前もつけてもらっているようだ。工業都市であるドネツクには珍しく、周りは青々しい葉を付けた木々に覆われていて、動物たちはその豊かな自然の中でのびのびと暮らしている。

家に入るとすでに居間に、テーブルクロスがかかった大きな長机が置かれていて、昼食の準備が整っていた。トマトときゅうりのサラダ、魚のスープ(ウハ−)、ピロシキ、貧乏人のキャビア、ピザ、ナスとチーズのはさみ焼き、キエフ風魚のカツレツなど、さも誰かの誕生日を祝うかのような豪勢な食事が卓上に並ぶ。わざわざ自分のために用意してくれたのかと思うと、少し申し訳なくなった。逮捕された息子がいないとなおさらだ。

逮捕された息子の母親のアンナさん、彼女の両親であるユーリさんとアントニナさん、私の計4人で乾杯をした。アンナさんは普段酒を飲まないが、悲しさを紛らわすために今日は少しだけ飲むと言い、コンポートを片手に乾杯の音頭を取った。健康のために。友情のために。そして息子の無事のために。4人揃ってショットグラスに入ったコニャックを掲げた。久々に強い酒を飲んだせいか、若干引きつった顔を私が見せると、すかさずコンポートを飲むようにアントニナさんに言われた。「そうすると口の中でコニャックが薄まって、より多く飲めるわよ」と笑いながら話すと、ユーリさんが我々の悪い習慣を教えるんじゃないと冗談混じりに注意したのだった。

ロシア料理(ウクライナ料理)にはスタロヴァヤ(大衆食堂)や友人の母親が作るような、味が薄い割には脂っこいという印象があり、正直に言うと口に運ぶまで乗り気でなかった。しかし食べてみるとどれも美味しい。今まで食べたロシア家庭料理の中では一番かもしれない。ウハーはまったく生臭くなく、日本の魚と遜色のない新鮮さでディルの爽やかさがその風味を一層引き立てる。キエフ風魚のカツレツをナイフで二つに割ると、ハーブ入りのバターが流れ出る。衣付きの魚の身でそれをすくい、一気に頬張ると予想外の美味しさにあっけを取られ、自然と笑みがこぼれてしまった。ナスとチーズのはさみ焼きは見た目ほどしつこくなく、添えられた紫バジルが気持ちのいいアクセントになっている。

こう言うと失礼だが「ハズレ」がなく、私は満腹になるのを忘れるほど夢中になって食べていた。料理は冷めてないか、もっと食べてくれとどんどん料理を勧めてくれる。朝食を摂らず空になっていた胃はすっかりパンパンとなり、私は苦しいながらも幸せな余韻に浸っていた。そんな食べっぷりを見たユーリさんは誇らしげに微笑みながら、コニャックが入ったショットグラスを空にした。
「朝早くから起きて作り出したんだが、停電が起きたんだよ。道路の反対側にある別宅とここを行ったり来たりしながら作る羽目になって、大変だったよ。ただ昼になって電気が戻ってきたよかった。さもなければ、ロウソクを灯した食卓になっただろうからね!」

ユーリさんはソビエト時代は船乗りとして働き、長い間コックを務めていた。料理が上手なわけである。ムルマンスクを起点とし、50を超える国を訪れた彼の経験と視点は広く多様だった。ムルマンスクから近いノルウェーに寄港した際に燃料補給が無料でびっくりした話や、ポルトガルのリスボンで食べた忘れられないほど美味しい魚介のリゾットの話、一切ロシア風の調理を受け付けず、持ってきた醤油などの日本の調味料だけで鮭を味付けする頑固な日本人漁師の話、彼らにとっての「世界の果て」であるカナダのハリファックス、現地の貧しさに心打たれたペルーでの話。

パステルカラーのような経験談はもちろん明るい話だけではない。東ドイツでの軍務中に起きたプラハの春に鎮圧部隊として参加した彼は、社会主義同盟国に対して行ったソビエトの軍事介入に一抹の疑問を感じていたものの、結局は任務の忙しさで考えることをやめたことを後悔していた。またアフガニスタン紛争での息子の戦死を皮切りとするように凋落していくソビエト体制に対する疑問と苛立ちはチェルノブイリ事件を取り巻く隠蔽体質で頂点を迎え、社会主義の理想は崩れ去ったと話す彼は悲しみを目に湛えていた。

「暗い話はやめようって最初に言ったんだけどね」
私はその発言を受けて、Горе не море, выпьешь до дна(悲しみは海ではないから、すっかり飲み干してしまえる)ということわざが口から出かかったが、無責任な発言のような気がしたし、その言葉を言ってしまうと彼の物語をただ消費してしまうような気がして、出されたコーヒーと共に言葉を胃の中に押し込んだ。

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