境界線

どこでどのような活動をしているのか詳しく書くことはできないが、その国は武力紛争によって分断され、国境とも呼べる「境界線」が存在する。それはもう6年ほど「凍結状態」で、国民の意識を分断するには十分な時間が経った。私はその「境界線」を自由に、そして楽に行き来することが出来る。通常ならば、長蛇の列に並び、文字通り半日以上待たなければ通ることができない境界線を、ものの15分足らずで通過できてしまう。現地の人々に白い目で見られながらも彼らを横目に悠々と車で通り過ぎていく。

私が「境界線」を渡ることは「自由世界」へと渡ることと同義だ。いつもは政治的プロパガンダが覆う、閉塞感漂う「閉鎖世界」で暮らしている。そのため「境界線」の向こう側へ行くときはちょっとしたご褒美で、ラインを超える瞬間に味わうなんとも言えない安心感は言葉では表せない。もちろん「境界線」を超えたからといって、ネットでよく挙げられるアメリカ・メキシコ国境のように物理的ラインを境に風景が一変することはなく、車道の状態も似たようなもので、同じような寂寞とした平野が一面に続く。しかし空間を漂う雰囲気は大きく異なり何より物々しさがない。それは夜間外出禁止令が無かったり、おどろおどろしいプロパガンダの標識が無かったり、外国からの輸入品が商店の棚に積まれてるといった目に見える事実からそのような認識が形作られる。心做しか道行く人々の雰囲気も明るい。

ただ今回の越境は違った。今日本でもパニックを引き起こしつつある(?)コロナウイルスにより、自由世界の洗礼を受けたのだ。言うまでもないが自由世界というのは外界との接触があるため国境を物理的に封鎖しない限り、感染が広まるリスクがある。幸い罹患のケースは未だ報告されていない一方、ニュースや新聞もコロナウイルス一色である。日々過熱する報道により自由世界にいる人々の意識は自ずとそちらへ向けられることになった。私はその影響をもろに受けることになってしまった。

何ということはないとタカを括っていたが、予想以上に厳しい反応があった。首都へ向かう電車内では子供に泣かれ逃げられ、後部座席に座る女性からは別の車両へ移動しろ、さもなければ降りろと言われ、町中では常にコロナウイルスと揶揄され続ける。UBERでタクシーを呼んでも、私の姿を見た瞬間乗車リクエストをキャンセルされる始末。また地下道で若者グループを見かけた時ほど緊張感が走る瞬間はなかった。「細目野郎死ね」「近寄るな、殺すぞ」と何度も言われながら、逃げるように家路につく毎日。脅しや差別に対する精神的耐性は強い方だと自負していたが、日常的にこのような環境に晒され続けるとかなり辛いものがある。

息を殺し、逃亡犯のような生活を2週間ほど続けた後、ついに「境界線」を超え「閉鎖世界」へと戻る日がやってきた。これほど安心した日はない。なぜならそこは外国人が来られない環境であるため、物理的な感染リスクが存在しないのだ。いつもならば帰るのが憂鬱だった「越境」の日が、「自由世界」へ渡ること以上に嬉しいものになるとは思いもよらなかった。案の定、「閉鎖世界」の住民は私を見ても何の反応も示さなかった。その無関心さが何よりの安堵だった。


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