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ひまわりとドネツクの詩人

「わからない。もうわからないんだ。どうすればいいのか、もう。手遅れなんだ、何もかも。なぜ自分が今この立場にいて、何のために戦っているのか、もうわからなくなってしまったんだ。」


今は無き境界線コンタクトラインの「向こう側」で中隊長として戦う彼は、行き場のない悲しみに襲われた子供の様な声で私に言った。

・・・溢れてしまったミルクНет смысла плакать над пролитым молоком(覆水盆に返らず)を嘆いてもしょうがないんだけれども。本当は・・・ただ本を読んでいたかったんだ。マリウポリに向かう途中の街、ノヴォアゾフスクから少し出たところから、ひまわり畑が一面に広がっている。君もこちら側С Нашей стороныからそちら側на Ту сторонуに行く時に、何度も見かけているから知っているだろう。その光景を見てどう思った?そう、僕も君と同じ印象を持っていて・・・とにかく美しいんだ。黄金の花が一面に、無限かと思えるように延々と続いていて。言葉じゃ言い表せない。

・・・週末だけじゃない。大学の文学の授業が終わった後も、車を駆って、そのひまわり畑に行って、車窓からその景色を眺めながら本を読んで、仲の良い教授のミーシャと文学談義に花を咲かせるために、色んなテーマを書き留めて。楽しかった。もっと読んでいたかった。ただ今となってはここからじゃその景色を見ることは出来ないし、本を読む暇もない。理解も得られない・・・エセーニン、マヤコフスキー、パステルナーク、ブルガーコフ、グリボエードフ、ドストエフスキー、バラディンスキー。ザミャーチンわれらを読んだとしてもここの連中は気にもしないから、心置きなく読めるだろうな。秘密警察の連中КГБшникиは作家名すら知らないだろう(笑)。阿呆みたいなブロックバスター映画ばかり見ているよ。

ここは百万本の薔薇の都市ドネツクと言われてるけど、僕にとって薔薇は余りにも眩しというか、毒々しくてона слишком яркая 直視出来ない・・・。もちろん、あの出来事の直後は誇りを持っていたけれども、今となってはただの徒花だпустоцвет。なんで僕は君にこんなことを、身の回りのことを話してるんだろうな(苦笑)。たぶん・・・何故か君にだけには知ってほしかったのかもしれない。日本人にこんなことを言って聞かせて、聞いてくれるなんて!ここにいる、同じ人種の非文化的なろくでなしнекультурные подонкиじゃなく、まさか極東から来た君のほうが話が合うなんて、思いもしなかった。これは前から何度も言ってるけど(笑)。こんな事は僕の部下にも上司にも話したことがない。

君は前から僕のコードネームの由来を知りたがってたよね。
周りからは僕は文学好きの変わり者литературный чудакと見られてるから、「詩人」поэтなんだ。あともう一つ理由があるんだけれども、結局は馬鹿馬鹿しい理由だよ。ただそれ以外の名前も思いつかない。

・・・とにかく、この会話が最後になるかもしれないから伝えておきたいことを君に言った。もう世界中の敵となってしまった僕たちは、外に伝える手段がない。聞く耳も持ってくれないだろう。もちろん、この選択肢を選んだのは他でもない僕たちだ。それが僕にとっては不本意だったとしても、そうなってしまったんだполучилось то, что получилось。僕の声が外の世界внешний мирに届かなくても、それはもうどうでもいいんだмне все равно。ただ・・・僕が友人と見なしている人に、Тебеに、話しておきたくて・・・知ってほしかったんだと思う。そして、これは内なる世界внутренний мир・・・ロシアの世界русский мирにも届かなくていい事なんだ。

ーもう・・・こちら側 на Нашу сторонуに来れないの?

いやнет、僕は君たちの側на Вашу сторонуには行けないんだ。

ーなぜ?

言わなくても君なら分かるんじゃないか。別に家族がこっちにいるからとか、思想がとか、既に8年間この立場にいるから、とかいう話じゃない。気づいたらこうなってしまっていた。だから僕はそうなるほかない。

万物は流転все течетする、ともいうじゃないか・・・グロスマンが言ったように。

僕はその流れに流されるしかないんだよмне только плыть по течению。そして僕と君の流れは交錯しない。

ー・・・ありがとうспасибо。話してくれて。

ありがとうспасибо。聞いてくれて。

・・・そろそろ僕たちのパステルナークボリスに最後の情報を渡す時間だ。これが、僕が君に出来る最後の事だ。最後に聞きたいことはある?

海兵に質問なしУ матросов нет вопросов(韻を踏んだ表現)。あ、いや、最後に教えてくれないか。君の名前はкак тебя зовут?

僕の名前は「詩人」поэт・・・ではなく、プーシキンさменя зовут Пушкин

君はやっぱり詩人ты все-таки поэтだったんだな!


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