見出し画像

追悼歌としての「或いはフライドチキンのおじさん」

この八首の連作は、孤独死をした叔父に対する追悼歌として作った。
もう十数年会っていない叔父で、交流はなく、仲が良いというほどの思い出もなく、叔父をどう思うかと聞かれてもよくわからない。そんな存在だった。
叔父は、父の弟であり、彼ら兄弟の中では一番の末っ子で、すぐ上の男兄弟と同居をし、生涯独り身だった。
か細いながらに交流があった頃は、「正月に会いに行くと、ケンタッキーフライドチキンを買ってきてくれるおじさん」という認識でいた。僕の人生で初めてのケンタッキーフライドチキンはおそらく彼が買ってきたものだと思って差し支えないだろう。彼が正月に買ってくる以外で、ケンタッキーフライドチキンをほとんど食べた記憶がない。
生涯独り身であった彼には子どももいなかったので、ほかの兄弟の子どもになるが、僕はいとこたちと叔父の買ってきたフライドチキンをよく食べた。思春期の従姉が、脂身と皮を剥がしたものでないと手をつけない姿を見て、この脂身と皮が美味しいのに変なのと思ったりもした。
彼に関わる思い出はそれくらいのもので、それ以上の人となりを、正直に言えば知らない。
ただ、自分より年長の家族から聞こえてくる彼にまつわるその他のエピソードというのは、色々とあって(もちろん誰にだって色々とある)、あまりわかりやすく幸福ではない人であったのかもしれないと感じることもある。
彼が幸福であったか、そうでなかったのかは僕には知る由もない。僕たちが判断すべきことでもない。
僕と、身内との関係性というものは彼に限らず、かなり複雑な事情が絡み合っていて、母方にしろ父方にしろ決して絵に描いたような仲の良い一族というわけではない。様々な言うべきではないことも子どもながら言ったかもしれないし、それ以上に言われるべきではないこと、聞かされるべきではないことも、幼いうちから随分と僕は言われたと思っている。
僕はとても気が短く、かつ、我ながら大変執念深いので、それらをいちいちと覚えている。
どんな家もそんなものだと言われればそれまでだが、まあ僕の家のことしか、僕にはデータとして手に入れることができないので、他所との比較は意味もないだろう。
そのようなわけで、僕が身内の中で信用ができる人間は、唯一自身の実母のみである。これでも人生にそんな相手など一人もいない、という方よりは恵まれているのかもしれない。
ただ、それでは他の家族や、身内を好きではないのかといえばそんなことはない。むしろ好きだったりする。どんな酷い記憶が僕の中に、或いはお互いにあったとしても。
好き、であることと、人間として信用できるか否かはまた別の話で、両者はイコールには決してならないし、それを当人たちが聞いてどう思うかは知らないし、知らせるつもりもない。けれど、ちゃんと縁のある身内として好きだ。人間としてではなく。
不思議なもので、叔父が死んだ報せを受けたとき、僕は話を聴きながら号泣した。
これといって、思い入れもない叔父であった。それでも、どうにもこうにも哀しくなって僕は泣いた。大泣きした。
電話で知らせてきたのは、僕の父親で、死んだ叔父の長兄に当たる。彼にも彼の、自分の末弟へのたくさんの記憶があっただろう。そのことを思い出している節があった。
僕は、父とも色々なことがあって、一緒に暮らしてはいない。
とてもではないが一緒に暮らせないと、血の繋がった人間たちが判断するに足るさまざまなことが、父親自身にパーソナリティーとして備わっている。それでも、僕はその父と時折連絡を取り合っており、その日もそういう、いつもの電話だと思って受けた。けれど、その日の電話の内容は、叔父の訃報だった。
叔父は孤独死をした。発見された時にはすでに死んでから数日経った状態だった。彼にとっての最後の数日、何かを食べたらしい形跡がなく、ほとんど餓死に近い死に方だったのではないかと、解剖の後で他の兄弟たちに説明があったそうだ。
僕は、叔父の葬儀には行かなかった。
行く義理を感じなかったし、誰も僕を呼びたいと思っていないことも知っていた。納骨もされたらしい。全て、そうらしい、と風の噂でだけ聞いている。あんなに泣いたが電話を受けた日も覚えていないし、彼が発見された日も、命日とした日付も、端から聞いていない。
ただ、泣きながらその日短歌を詠んだ。
餓死に近い孤独死。
かつて誰よりも若く、独身を謳歌する姿を自分のアイデンティティとして見せていた男性の、末路として許されるのか。何に対するわけでもない、誰に対するわけでもない、言うならば叔父自身に対する奇妙な怒りで胸が詰まった。その詰まりを吐き出すように詠んだ。
正月に、ケンタッキーフライドチキンを買ってきた叔父のことが頭によぎった。


「またの名をフライドチキンのおじさんがもうすぐ帰ってくるバーレルと」
「ケンタッキーフライドチキンのバーレルが三が日だけ並ぶ食卓」
「絶対に従姉はチキンの脂身と皮を食べずにいたことだとか」


かつて末っ子だった、誰よりも若かった叔父は命日もわからない死に方をした。


「命日の定かではないまま送るかつては末っ子だった形骸」


フライドチキンを食べているときに、ガラとして発生するチキンの骨を、僕たちは目の前の空になったバーレルに詰めた。そのことをふと思い出して、きっと用意されただろう骨壷と、なんだか似ていると思えて可笑しくなった。


「一時的骨壷として機能する紙バケツを今思い出してる」


数日後、母と散歩に出かけた。大雨の翌日で、道には雨で溺れたみみずが落ちていた。あまりにも多くて、いちいち拾って助けることができなかった。


「大雨に溺れるみみずを踏まぬよう避ける助けるわけでもなくて」


晩年の叔父の、生活の困窮を察することもままあったものの、僕らと彼とはすでに互いをシャットダウンした関係性にあって、何かをしてあげることはできなかったと思う。
叔父の死をもって、叔父の人生を軽々しく論じることはできない。軽々しく論じる人間もいるが、その死を本人の責任だとだけ言うのなら、そういう貴方も今、死者に対して攻撃的な言葉を口に出した通りの魂の有り様に相応しい死に方をする、きっと。


「生きてきたように死んだと言うのならお前もお前もきっとそうだよ」

現在は所属していないが「かばん」に所属していた際、8月号の連作を出す時期にこの一連の歌を発表した。
記載はしなかったが追悼の意図があった。8月はお盆の時期である。

誰であれ、いつかはこの世界から消えていく。その未来が、どんな形なのかを知る術を我々をは持たない。


「今日の日を死なないように生きること飽きないように居続けること」

そうやって、今この瞬間に居続けることだけが、僕が為すべきことで、その先にいずれ来る未来がある。

この記事が参加している募集

私の作品紹介

今日の短歌

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?