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知識0から学ぶ世界史のはなし。②~中東~

歴史はストーリーで見ると分かりやすい。そして何より、面白い。

知識0の世界史初心者が、最近得た知識をもとに。
細かい部分は省き、ストーリーとしてお届けいたします。

良ければまずこちらからご覧下さい。


中東には、「紛争が絶えない危険な地域」という印象がかなり強いと思います。何故このようなイメージがついてしまったのでしょうか?
ニュースなどでも報道されていますが、いまいち理解出来ません。
よく聞くけどよく分からない。
それが僕の中東の印象でした。


前回は、そんな中東の混迷のきっかけとなった国、アフガニスタンについて書きました。

今回は、中東全体のその後の流れをお届けします。

アフガニスタンに起こったいざこざは、中東全体に広がっていきます。


ある男の登場

実は、前回お届けしたロシアのアフガン侵攻にはサイドストーリーがあります。アメリカが援助したとお伝えしましたが、援助したのはアメリカだけではありません。イスラム圏の複数の国も支援していました。

イスラムにはジハードという教えがあります。直訳すると「聖戦」。その言葉の意味から危険な思想として捉えられがちですが、もともとはイスラムの教えを守る努力のこと。イスラムの文化・歴史を守るため、国境を問わずみんなで守ろうという考え方が根付いています。そのため、今回のソ連侵攻もアフガニスタンを守ろうと、多くのイスラム人が国外からこの戦に参加しました。

そして、その中にある男が一人。
それがオサマ・ビンラディンです。

ビンラディンといえば、アメリカ同時多発テロ9.11を引き起こした張本人。後にアメリカを恐怖のどん底に陥れるこの男は、この時アメリカに協力する形で参加していたのです。
侵攻は無事阻止され、ソ連軍は撤退。イスラムの兵士たちも各国に戻ります。ビンラディンも自国のサウジアラビアに戻りました。


湾岸危機、そして国外追放

その後、今度はイラクで争いが発生します。原因は石油。アメリカへの借金返済のために、石油の値上げを提案したイラク。
これにクウェートが反対します。欧米各国に配慮してのことでした。イラクは激怒し、クウェート侵攻を開始します。これを湾岸危機と呼びます。ソ連がアフガン侵攻に失敗し圧力が弱まっている今、クウェートを占領してしまおうと考えたのです。

結果的にこれも、アメリカ主導の欧米諸国により鎮圧されるのですが、このクウェート侵攻に恐怖を抱いたのがサウジアラビアです。
イラクは、クウェートともサウジアラビアとも接しています。自国まで侵攻の手が及ぶことを恐れたサウジアラビアは、アメリカに支援を依頼しました。ここでビンラディンが猛反発します。

彼はジハードを守り他国に協力するほど、熱心なイスラム信者。サウジアラビアというイスラムの国に、異教徒の人々が入ってくることを嫌がりました。また、ビンラディンはサウジのお金持ちの御曹司でもあるため、多大な発言権を持っています。アメリカの手を借りようとするサウジの王族を批判しますが、それによって、国外追放されてしまったのです。

再びアフガニスタンへ

追放されたビンラディンは、各国を転々とし、最終的にある国にたどり着きます。アフガニスタンです。サウジの権力者であり、かつてソ連から自国を守ってくれた男を、アフガニスタンは手厚く歓迎しました。

国外追放のきっかけを作ったアメリカを酷く憎んでいるビンラディン。タリバン政権のもと、アメリカと戦うテロ組織を作ろうと考えます。
この時に利用したのがアルカイダです。
アルカイダは「基地」という意味。ソ連のアフガン侵攻の際、各国からやってくるイスラム人を管理するため名簿を作っていました。この組織のことをアルカイダと呼び、ビンラディンはこの組織に属していました。これを利用したのです。

当時は名簿を使って人々を管理するための基地でしたが、今では対アメリカのテロ組織の基地へと変貌してしまいました。

アメリカへの恨みと9.11

アルカイダを結成したビンラディンは、2001年9月11日、組織のメンバーに命じアメリカで同時多発テロを起こすのです。
その後、アメリカの総攻撃によりタリバン政権は崩壊します。しかし、ビンラディンは身を隠したため、捕らえることが出来ませんでした。
その後も逃げ続けますが、約10年後の2011年、アメリカ軍により捕まりました。


イラクのその後

一方、アメリカ主導の連合軍により敗れたイラク。この国でも、その後ある重大な出来事が起こります。
当時のイラク大統領はフセイン。ですが、アメリカにより殺害されてしまいます。これにより内戦状態に陥ってしまうのです。

内戦になった理由は2つ。
1つは、宗教上の問題です。イラクはイスラム教の国ですが、シーア派とスンナ派に分かれています。イスラム教だけではありませんが、同じ宗教でも宗派の違いによって考え方が違うのです。

イラクではシーア派が多数派。一方、フセイン率いる政府の中枢はスンナ派です。少数派が多数派を支配するという構図になっていました。
スンナ派のトップが倒れたことにより、これまで押さえつけられていたシーア派の怒りが表面化します。スンナ派の人間が襲われるという事件が多発し、内戦状態になってしまったのです。

そして、もう1つ。イラクは、宗教や民族が多様にかさなる国家です。にも関わらず、これまで争いが表面化しなかったのはフセインという独裁者が押さえつけていたからといえます。共通の敵がいれば、人は不思議と共通意識を持ってしまうもの。つまり、フセインの影響でイラクの均衡は保たれていたのが、共通の敵がいなくなったことで一気に崩れてしまったのです。

イスラム国の結成

シーア派に襲われることになったスンナ派は、自国にいることが出来なくなり亡命します。この集団にアルカイダが声をかけます。彼らは統合し「イラクのイスラム国」という過激派組織を作りました。これが、のちのIS(イスラム国)へと発展していきます。
最初は小さな組織でしたが、今では世界中に認知されるほど勢力を拡大してしまいました。

過激で危険な組織というイメージが強いイスラム国ですが、意外にも統治能力は高いようです。恐怖政治によって、住民を支配しているのは事実ですが、発電所や水道などのインフラはしっかり整備されています。その理由は、フセイン政権の中枢を担ったスンナ派の高級官僚たちがいるという背景があるようです。

なぜアメリカは中東に固執するのか

このように、中東の歴史は冷戦時代の米ソ、特にアメリカの思惑が多大に影響していることが分かります。

ではなぜ、アメリカはそこまで中東に固執するのでしょうか?

中東に住む多くの人々はアラブ人です。アラブの地域といえば、今では北アフリカから中東まで広範囲に及びますが、元々はアラビア半島に住む同じ民族でした。
同じ民族で、同じ言葉を話し、同じ宗教を信仰しています。本来、まとまりやすい種族なのです。つまり、アメリカがここまで中東に固執する理由は「バラバラにしていた方が管理しやすいから」です。
万が一まとまってしまうと、欧米列強と渡り合えるだけの組織力・軍事力を持ちます。また石油の影響力も絶大です。アメリカやイギリスからすると、アラブ民族がまとまってしまうと困るのです。

まとめ

ここまで見て頂くと、ソ連のアフガン侵攻が中東に与えた影響が、如何に大きいか分かると思います。
アフガニスタンを攻撃したことでタリバンが生まれ、アルカイダが生まれ、そしてイラクを攻撃したことでイスラム国が生まれてしまいました。
さらに、そのアルカイダによりアメリカで多くの犠牲者を出してしまっています。

各国の身勝手な思惑が複雑に絡み合い、バラバラになってしまった中東。ソ連がアフガニスタンに侵攻したのは1979年と、40年以上前の出来事ですが、そこから生まれた混乱は今も続いています。
強国の犠牲になった国は数多くありますが、中東はその代表例といえるのではないかと思います。



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