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【読書】『シンプルな情熱』 アニー・エルノー

 失恋をした。

 この先のない不毛な恋。どこまでも際限のない、目的地のない旅のような恋に
終止符を打つ。

 相手がどうであれ、恋には終わりが来る。

 もし、あなたの恋に未来があるとするならば、それは愛に変わることができるものだろう。
 例えば、恋の先に、結婚し、家庭を持ち、子どもを産み、家族を作っていくのならば、恋は愛に変わる、むしろ、変わらなければならないと思う。

 でも、誰かに恋焦がれるだけの、互いの身体と心を消耗するだけの恋であるならば、それは何のため?
 彼、彼女に会うための数時間のために、残りの人生を過ごす、「待ち続ける」こと、それは苦役でさえあると言える。
 叶わない恋と言っても人それぞれで、アニー・エルノーの場合は、10歳以上も年下の妻帯者男性と1年間関係を持ち続けていた。わたしたちの周りでは、現実のお相手と関係を持つ場合もあるのかもしれないが、アイドルや漫画、アニメの主人公やゲームの中で、「叶わぬ恋」の只中にある人も相当数いるはずである。

 いわゆる「推し」への恋愛感情は、どこへも着地することはない。全く生産性のない、不毛な恋は、いつ終わらせることができるのかといえば、「自分自身」で終わらせるしかないのだ。

 アニー・エルノーは、『シンプルな情熱』と『嫉妬』のテーマとして、希望に満ちた恋の始まりや、二人だけの幸せな甘い時間をテクストに描くことはしなかった。
 咲き切った花が枯れていく、散っていく様、熟れた果物が、腐っていく様のように、恋という感情が迎える最期を、醜さも無様さも、ありのままを文章に綴っている。

恋の終わりが美しいなんて、誰が言った?

 悲しみと後悔、私の男を奪った誰かに対する憎悪や嫉妬が逡巡する。時には、みっともないと卑下されるような行為すらしてみたくなる自分もそのままに見せてくる。まるで、自分で自分を傷つけるように、冷静な眼差して、自傷行為を観察するかのように。

 アンビバレントな私は、自分で別れを告げたはずなのに、彼がまた私の元に戻ってくることを期待し、熱望する。私の存在全てが「彼」であったこと、私の人生、私の時間が、全て「彼」のためにあったということを、失ってしまってから気づくのだ。

 嫉妬と後悔の時間に苦しめられ、のたうち回ったすえ、「私」は、あらゆる手段を使って、実現することを望み続けてきた「彼」との再会を果たす。
 恋焦がれた彼と、再び「身体」を重ねた時、私は気づくのだ。

「もう、このひとは、私が愛していた「彼」ではない」と。

 恋は、突然終わりを迎える。
 熱病のように、私に取り憑き、燃やし尽くす。
 そして、私の中の「パッション」が燃え尽きた時、突然に終わりがやってくる。

 それに気づいた時、呆気なく「私の恋」は終わるのだ。

目的のない、ただ燃え上がるだけの「恋 パッション」
これこそが、人生の贅沢品である。


 人生の すいも甘いも知り尽くした大人の女だからこそ、導き出せる結論。

 私の不毛な恋も、自分にとっての「パッション」になり得たのだろうか。

 恋の情熱も、別れの後の苦しみも、自分の生の糧としていく

 靭くしなやかな、大人の女になりたい。







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