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人からどう”思われるか”なんてどうでもいいじゃないか パート1

なんかオーストラリアで生活するうちになんとくなく感じたことだ。人からどう思われるか、なんて正直どうでもいい。だからといって犯罪行為をしろというわけではない。

10代も終わりに近づく頃、今の社会を生きていると、孤独、いじめ、人の意見・評価、グループからの疎外(遊びや飲みに誘われなかった)、あの人自分にだけ冷たい、などなど人からの判断というか他人からくるトラブルはいくらでもある。

ここで私が言いたいのは、他人の意見や態度なんてコロコロ変わるし、それを当てにせず、自分のことを大切にして生きようという戦術です。はっきり言って、他人の判断軸で生きているほど、疲れることはないと思う。たとえば、初対面で誰かと会ったとき、相手があまり自分に話しかけなかったり、こちらを見てくれないこともある。繊細な人なら、正直疲れるし、少し感傷的になると思う。

僕はこういうとき、多分相手は「自分に無関心がない」「別の人との会話に集中してる」「”もしかしたら”好きじゃない」のどれかに振り分けてる。できる限りのことはして、相手に質問したり、頷いたり、話に興味を持つことは心掛けている。もしいろんな戦術を試しても相手が無関心だったり、心を開かないようなら僕は”エネルギーの無駄”だと判断してその人と会話すること、距離を縮めることはやめる。

普通にこういった人間に時間を割いていると、他に仲良くできそうな人にまで影響しそうなので普通に切った方がいいと思う。単純に波長が合わなかったと思って次に進もう。


もう一つあるのが、人からの評価。正直これは自分にどうしようもない。そこそこ自分なりに工夫して努力しても、嫌いな奴は勝手に嫌ってくるし、好いてくるやつは勝手に好きになる。

結構割と最近思うのだけど、どんな人でも人と会った瞬間相手をジャッジする。それは身体的な特徴、能力でも内面的な要素であれ人は会った瞬間に相手を何かしらジャッジする。そういったジャッジで相手が好き or 嫌いかそうでないか決めると思うのだけど、これも正直相手にどう思われるか考えるのは無駄なことだと思う。

僕にも苦手なクラスメイトが数人いる。

一人は台湾人の子、あまり大学で喋らないしそこまでオープンマインドという感じでもない。彼はいつも一人だ。僕から話しかけてもあまり興味を持ってくれなかったり、返事も薄い。これだったらまだ面倒臭いクラスメイトくらいで終わるけど、授業中に何度か悪口を言ってきて関係を続ける気力がなくなってしまった。

僕も相手に面白みをもう持てず、関わるのも挨拶するのもやめた。普通に体力を消費するだけだ。セメスター2は遠くの席に座ったり、会話は回避してる。正直会話をしたくもない。


とにかく上記を踏まえて言えるのが、本当に誰かにどう思われるかを恐れていたり気にするのは無駄だし精神的に疲れる。それでちょっと傷ついたり、憂鬱になるくらいなら”自分に対して正直でいる”ほうがいいと思う。相手に対して、居心地悪いと思ったり、この人とは話したくない、一緒に居たくない、つまんない、と思ったら離れる。しっかり自分の気持ちに従う。

自分をリスペクトすることが他よりも大切だと思う。そして他人の評価や感情に依存しないこと。

ということでまたNoteもちょくちょく投稿していきます!

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