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わくわくできないのは想像を超えているから

「ステージが上がる」ということを体験したことがある。

一人暮らしを始めた時もそうだけど、いちばんはたぶん30歳で資格を取って転職したときだ。

それまでわたしはカレンダー通りに休みを取ることもできなくて当たり前な生活をしていたし、1日8時間拘束されて普通に家と会社を往復して働いていた。

年間休日がホワイト企業とおなじになって、GWに10連休を取れるようになるなんて考えたこともなかった。年収もけっこう上がったし、仕事仲間の質や人間関係も変わった。

え!それできるんだ!ありなんだ。と思ったことを覚えている。

わたしはたんなる「話を聞いて悩みを解決する」とか、「困ってる人の相談に乗る」ことがしたくて、それくらいのことしか想定せずにソーシャルワークの資格を取ったのだが、実際やってみたらいろんな職種の人との関わりやマルチな役割が待っていて、思っていた仕事内容の200倍はおもしろかった。

その後の転職でも、たとえば毎日会社に行かなくてもいい、とか、家で時間も関係なく自分のペースで仕事したい、とかも職種的にあきらめていたが、それが今実際に現実になっているからおもしろい。

振り返ってみれば資格を取ってから、想像できなかった待遇をいろいろと受けることができて、たった1年間の勉強が、ものすごく大きな恩恵をくれたと思う。


でも、今みたいな生活ができることを昔のわたしはまったく予想できるわけもなかったし、それを思うとよく言われている

現実は思った通りになる


よりも

現実は予想を超えてくる


の方が近い気がする。


ステージが上がる、とか、次元が上がる、とかいうことだ。


ステージが上がる時には、その下のステージにいる時点では上のステージのことを想像することができない。


こんな未来になったらいいな、のその想像している未来は、今の次元の中で考えうるいちばん最高の未来であって


ステージが上がるとそれを叶えた上でさらにもっと、なんかもうそんなこと想像してなかったわ、みたいなことがあるのだ。


こんなに楽しくていいの?とか、

こんなに自由でいいの?とか

すごい志が高くて天使みたいな人に出会えるとか


想像もできないことを今から考えてもピンとこないんだと思う。


だからよく「1億円あったらなにをするか」とかも

実際に1億円あったら絶対に今予想できるようなことはしないと思う。笑


でも、ステージが上がる時って自分の本心に従っていて

なおかつ楽しくて、社会に貢献できている時にしか起きないと思っている。

余力20%しか出さなかったり、楽しくもないことをしている時とかには。


わたしは今自分でも自覚しているくらい、仕事を変える転換期にきているんだけど、いくら想像しても理想のわくわくする未来がわからない。

やりたいことも、今までの資格を使って転職するみたいな、今までの延長線上にはない気がしていて、つまりもう想像の範疇にはないような気がして、なんにも思いつかない。

なんかもう、そういうのじゃないよな

っていう感覚が自分の中にあることはわかっているくらいだ。

やりたいこともわくわくすることも何もわからないけど、むしろなにかを決めたり、狭めない方が予想外に楽しいことがありそうで、感覚だけでいってみるのもいいかもなと思っている。

あと、飽き性のわたしにしては珍しく、「続けること」自体が目標になっている。noteを毎日続けるとか。筋トレも1か月以上は続いている。

目的地がわからないけど、このまま続けたら楽しそうだから、という深く考えない理由だけでなにかを続けてもいい気がする。

結果が大事じゃない時代に突入しているらしい。

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