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システィーナ礼拝堂の作者?ラファエロの師?:ルネサンス期イタリアを代表する画家ペルジーノ

ミケランジェロやラファエロと同時代に生きた画家ペルジーノ(Perugino; 1448-1523)。

ペルージャ近郊生まれのペルジーノの本名は、ピエトロ・ディ・クリストフォロ・ヴァヌッチ(Pietro di Cristoforo Vanucci)といい、「ペルジーノ」は、「ペルージャの、ペルージャ人の」を意味する「ペルジーノ」という通称であった。

 1490年代末には、その名声は、イタリア中に広がっていたペルジーノ。

君主の注文を数多くこなした売れっ子の画家として活躍していたが、同時代を生きたレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、そしてペルジーノの優秀な弟子であったラファエロの陰に隠れて、なかなかイタリア以外では知られてこなかった芸術家でもある。


ペルジーノのエピソードの中で一番強烈なものは、次のシスティーナ礼拝堂の話であろう。

1480年代には、教皇シクストゥス4世の命により建て直されたヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画を、ボッティチェリ、ギルダンライオと共に、ペルジーノは制作した。

1508年、教皇ユリウス2世が、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画の制作を命じた。

あの有名なミケランジェロの『最後の審判』のために、ペルジーノの作品は消されてしまったのであった(実は、デッラ・ローヴェレ家出身の教皇ユリウス2世は、シクストゥス4世の甥である)。

現代に伝わることのなかったペルジーノの作品であったが、彼が長く過ごしたここペルージャには、両替商組合の間など、多くのペルジーノの作品が残されている。

アイキャッチ画像に設定しているこの絵画は、『東方三博士の礼拝』
Adorazione dei Magi (1470-1473 or 1476; Perugino)(241×180cm)。

当初、ペルージャを支配するバリオーニ家(Baglioni)の遺贈により、ペルージャのサンタ・マリア・ディ・セルヴィ教会の祭壇画として飾られていたこの作品は、1543年よりサンタ・マリア・ヌォーヴァ教会に設置されることになった。

現在は、ウンブリア国立絵画館(Galleria Nazionale dell’Umbria)に所蔵。

筆者はラッキーなことに、パラッツォ・マリーノ(Palazzo Marino)にて特別展示(会期:2018年12月1日から2019年1月13日まで)されていたこの絵画をミラノでも鑑賞した。

今回(2019年5月)は、ウンブリア国立絵画館に赴き、この絵と「再会」したわけである。

多くの画家が描いている有名な聖書の一場面「東方三博士の巡礼」。


「ユダヤ人の王がお生まれになったということを、星のお告げで知りました」と東の方から博士が3人、金・乳香・没薬の贈り物を持ってマリアの元に訪れた様子を描いている。

この絵の向かって左端にてこちらに視線を送っている中年の男性こそが、ペルジーノ。

ラファエロやミケランジェロもそうしていたように、画家が作品の中に自分自身を描くことは、よくあることであった。


その他、ウンブリア国立絵画館に所蔵されているペルジーノの作品を一部紹介しよう。

まず、『受胎告知』(1502)。

並んだ柱の奥には風景が見え、とても奥行きがあり、バランスの良い構図である。




マリアの姿からも分かる通り、ペルジーノが書く人間は、顔が小さくすらっとしている。

少女のような華奢なマリアは、筆者のお気に入りでもある。


次に、『祭壇画』(Pala Tezi)(1500)。

聖母子を、聖ニコラ・ダ・トレンティーノ、ベルナルディーノ・ダ・シエナ、聖ジローラモ、聖セバスティアヌスといった聖人たちが取り囲んでいる。




よく見比べて欲しいのがこちら。

サンタ・マリア・ノヴェッラ兄弟会のために描かれた『慰めの聖母』(Madonna della confraternita della Consolazione)(1496-98)。

先の絵とマリアの表情や俯き加減が、似通っていることにお気づきであろうか。

「量産型」というのもペルジーノの特徴であり、弟子を使って次々と作品を制作していた。

注文主にとっては実に便利な作り手であった一方で、その特徴がペルジーノの作品を単調なものにしてしまっていたのも事実である。


また聖母子画が続くが、『ゴンファローネ・デッラ・ジュスティーツィア』(Gonfalone della Giustizia)(1496)。

こちらの作品が面白いのは、背景にペルージャの街が書き込まれていることである。

サン・ベルナルディーノ兄弟会のために描かれたこの絵には、街の人々と兄弟会の人々の姿も見える。


上のものと少し違ったテーマの『聖アゴスティーノの多翼祭壇画』(Polittico di Sant'Agostino)(1502-03)。

多翼祭壇画の上部に設置されていた作品である。


量産型と言われつつも、ペルジーノには、ローマを中心に活躍する銀行家アゴスティーノ・キージ(Agostino Chigi)というパトロンがいた。

何でも、キージは、ミケランジェロのような筋骨隆々とした作品ではなく、しなやかな女性の絵を好んでいたために、ペルジーノの作風がお気に入りだったという。

美術的に優れているかどうかというよりも、お金を持ったパトロンの好みかどうかが一番大事であったことを示している例といえよう。

レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのように、注文主の注文を引き延ばすか描かないかこだわりの芸術家もいれば、ペルジーノやラファエロのように注文主の注文に応え、多くの作品を生み出した芸術家もいた。

「量産化」というといいイメージはないかもしれないが、ペルジーノの優美な作風を愛し求めた人々が、今も沢山いることは確かなのである。

ウンブリア国立絵画館(Galleria Nazionale dell'Umbria)

公式サイト:galleria nazionale dell'Umbria

公式インスタグラム:@gallerianazionaledellumbria

住所:Corso Vannucci, 19, 06123, Perugia, Italy

開館時間:8:30-19:30(11月から3月まで;月曜休館)

                  12:00-19:30(4月から10月までの月曜日)

     8:30-19:30(4月から10月までの火曜日から日曜日)

※最終入場は18:30まで。

※12月25日と1月1日は休館。

料金:8ユーロ(割引料金4ユーロ)

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