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茨の道の果実

幻は、ちょうど果実の外皮がむけ落ちるように、ひとつまたひとつと落ちては消えてゆく。 そして残る果実、 それが経験というものだ。その味は苦いものだが、しかし、人の心を強くするなにかしら鋭い刺激も含んでいる。こうした古臭い言い回しをどうかお許しいただきたい。

ネルヴァル『シルヴィ』


わたしはネルヴァルのいうところの、" 残った果実" の正体をずっと探し求めていた。
外皮は美しく、楽しい。ときには悲しいが、すぐに過ぎ去る。だけども残った果実は違う。その鋭い刺激で何年もわたしを苦しめる。砕き壊したいのに、それができない。だけどもそれを残しておいたのは紛れもなくこの自分だ。



殆ど半年ぶりに、とんでもない不安がやってきて、居ても立っても居られなくなった。
突然病気が怖くなる。多分胃癌だ。卵巣がんかもしれない。絶対に卵巣がんだ。超音波検査まであと一ヶ月もある。その間に恐怖で死んじゃう。お腹周りは苦しいし、食欲もない。
仕事先でもうわの空。帰って泣く。夜中に起きて泣く。それは死への恐怖だ。そのうちこの苦しさから解放されたいと思うようになる。死ねばここから解放される?死への不安の解決は、死なのである。ここまでくるともう病気どうこうの問題じゃない。問題視すべきはこの過度の恐怖、と分かっていながら、だけども怖いのだ。

病気不安が再燃したのは約一年ぶり。日記を遡ってみたら去年の8月、こんな感じだった。

世界で参照されている診断基準マニュアルによると、DSM-5(2013年版)から「病気不安症」が正式な疾患概念として記載されている。この特定の不安には病名さえあるのだ。ちなみにDSM-4以前は身体表現性障害(医学的に説明できない症状)に分類されていたよう。

原因として自分や家族の過去の体験が挙げられているが、正直いつから病気不安持ちだったのか覚えていない。父ががんになったときわたしは5歳。病気が怖くて泣いていた記憶は小学生以降だから、そういう記憶が原因のひとつなのかもしれない。

病気が怖いと、母のことも思い出す。わたしはどんなに不安でも、具合が悪くても、すでに限界突破していても、絶対に言わない子供だった。不安も同様で、もうほんとうに何も考えれなくなっても言えずに、うわの空、反応もなくなる。母はそんなわたしを当然怒る。何度か「がんと白血病が怖い」と言ったら「しつこいなぁ」と返された。あの、「しつこいなぁ」の口調が忘れられなくて、よく夢にも出てくる。

なにはともあれ、その病気不安が久しぶりにやってきた一週間だった。頓服がなくて、夜中に苦しくて泣いた。超音波の検査をできるだけ早い日程に変更してもらったらちょっと不安が和らいだ。最終的に、生理が来たら一気に恐怖から覚めた。少なからずPMDDの仕業もあるのだろうか。月経というものは人類に希死念慮をもたらすのか。だとしたらなにかがおかしい。

こうして自分の問題点について書いていると、必ず母の話題になる。先日、わたしと母の関係を知る友人に、「ほんとは心の底で(わたしは母のこと)好きなんだと思う?」と聞いたら、「きっと小さいとき、お母さんが大好きだったんだと思う。心のなかのお母さんの占める割合は今もきっと変わってないね?感情は違うだろうけど」と言われて目の前にいるこの友人は頭が良いなあと感心した。

にしてもわたしは問題点が多い。高校中退をはじめ離婚やら風俗嬢やら人に言えない過去は数えきれず、病気不安に摂食障害、うつにPMDD、指の皮むしりは物心ついたときから今もやめられない。母の記憶に苦しみ、似た夢ばかり。

そのぶん人より多くの景色は見たのかもしれない。3回の転校、父の闘病、親の別居、通信高校に夜の世界。店長経験に海外移住。

こうやって連ねると、総合的に発達障害な気がしてきた。問題があるのは、今なのだ。だから残った果実がトラウマと化す。
うまく生きれない。人生が安定しないために、自己アイデンティティが築けない。何が問題なのだろうと、何が原因なのだろうと探してしまう。
わたしが探しているのはきっと自分だ。わたしが誰なのか、分からないのだ。だから当然自分を好きになんてなれない。そのままの自分でいいなんて、これっぽっちも思えない。

だけどわたしは言ってほしい。「そのままのあなたで良いんだよ」「どんなあなたでも大好きだよ」。
自分でそう思えたらいちばん良いのは勿論分かっている。だけどもそう思うに至るまでの茨の道で、いつも枝に引っかかり傷が増えていく。


『ワンダと巨像』というゲームを思い出した。美しい草原と遺跡。主人公は、先へ進む度、どんどんボロボロになっていく。彼が進んでいるのは死に向かう1本道なのだ。
そしてその描写が、目を見張るほどに美しい。

夜中に枝が突き刺さって泣いていたら相方が起きてきてくれた。たった2週間で立場が逆転してしまった。だけどもそれが幸せと思ったりするのである。


【余談】
散文ぷりが相変わらずすごい。タイトルも内容も破茶滅茶である。

『ワンダと巨像』があんなにも美しいのは上田文人というディレクターの腕。彼の作品『ICO』もまた素晴らしい。
(ワンダの魅力解説ここからどうぞ。)

PS4リメイク版でさらに美しくなっている


世間はゼルダに湧いているが、わたしは兄弟も友達もいなかったので任天堂にほぼ全く触れずに育った。あれはみんなで楽しむゲームなのだ。

大人になって全然ゲームをしなくなったなぁ。


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