現代では、いかにも起こりそうな単純な物語が最も異様な話とされている【ゴーチェ「オニュフリユス」書評】
19世紀フランスの作家、ゴーチェをご存知だろうか。
数年前、ネルヴァルに関する著書を、(日本語に訳されたものは)おそらく端から端まで読んだ。哀れなネルヴァルの人生には親しき、心優しい友人テオフィル・ゴーチェ(通称テオ)の存在が目立つ。
その年に、ゴーチェの『若きフランスたち』(井村実名子訳)を読んだ。いかにもフランス文学らしい、饒舌で、だけども厭らしくない、大変美しい文章を書く人だなあと思ったのを覚えている。この本の冒頭では、酔いの回った詩人たちが一緒に床に倒れこみ、自身の哲学を熱弁し合う。
間を開けて先日、ゴーチェの短編『死霊の恋/ポンペイ夜話』(岩波文庫、田辺貞之介訳)を読んだ。
本書に取り上げられる作品は大変信仰的である。神のご加護に、悪魔の導びき。彼らは魔界を彷徨い歩くいわゆる幻想小説である。
本書の訳者曰く、ゴーチェの幻想はこうである。
その評価のとおりゴーチェの人生は波乱万丈、幼少期には自殺未遂などを繰り返したようであるが、どの文献でも彼は愛に溢れたこまやかな、優しい紳士の位置づけである。
そんなゴーチェの短編集である本書より、名作『オニュフリユス』を以下に軽く取り上げたい。
ロマン派最盛期にはびこる幻想嗜好。幻想のなかに生きる画家兼詩人の青年オニュフリユス。悪魔の報いにより幻想に翻弄されはじめ、ついには現実との境目を見失う、つまり自己を喪失してしまう青年の叙述である。
主観で書かれた、主人公発狂の文学としてはゴーゴリの『狂人日記』が先ず浮かぶ。ゴーゴリの描写は実に淡々としており、事実と主人公の思考が事細かに描かれる。読者としては次へ次へとどんどん読みたくなるつくりだと個人的には思う。主人公は堂々とし、彼の目に見える世界が次から次へと押し寄せる。そこに恐怖感はない。嗜好文学であり、感情移入はとうていできない。
それに対して本書、ゴーチェの描写は一転、主人公にいつまでも寄り添いたくなる人間らしさがある。彼が発狂していくにも関わらず、だ。
発狂の描写には目を見張るものがある。こんなにも美しい文章で描かれた狂人がこれまでいただろうか。
オニュフリユスはもがき苦しみ、愛を欲している。その恐怖は読者にも完全に理解可能であり、彼はその恐怖のあまり地上から足を離してしまったのである。
本文からたった2つの文章を引用しただけであるが、お気づきの通りゴーチェは大変才能のある繊細な詩人である。そしてあまりに美しすぎるその文体から、ゴーチェは一部で「ペンで描く画家」と称された。そしてその美しさには必ず" 死" が伴った。
死は窮地に陥った人間の救いである。
我々の致死率は100%だ。
必ず終わりがあり、忘れ去られるときが来て、だけどそれは幸福なことなのだ。
【余談】
タイトルに引用したこのセリフはゴーチェの別の著書で印象に残っている文章のひとつ。そうだなぁと思う。
当時のパリの様子を文学視点で読みたい方にピエール・ガスカールの『ネルヴァルとその時代』という一冊が大変オススメ。一気にフランス文学の理解度が深まる。
ネルヴァルの人生に視点を置きながら、ユゴー、デュマなど大物作家はもちろん、古典派、ロマン派作家、無名の詩人まで、そして彼らを取り巻くパリの劇場(おもにフランス座)と文学事情が大変興味深く解説されている。
さらに余談だが、ゴーチェの友人ネルヴァルが、彼をユゴーに紹介し、ゴーチェは脚光を浴びるようになる。
そして皮肉なことに、その後ネルヴァルは発狂し、ゴーチェは手厚くその面倒をみるのである。
人生は切ない。だけどそうでなければ美しくないのだ。
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