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「誰が生活をさせてあげているんだ」と言われた時には、結婚を後悔したけども

私の夫は、平成生まれだが、“昭和”と札がはられる考えのような男だった。今でも片鱗は見えるが、平成一桁代生まれなんて、平成だけど、昭和との繋ぎ目だ。ゆとりと言われようが、昭和の匂いと平成の始まり、芳しいどちらも混濁した水を泳いでいて、自己を模索している。「昭和と札がはられる考えのような男だった」と過去形になったのは、たくさん話してぶつかり合って、修正と訂正を繰り返してくれて、私も修正と訂正を繰り返し、互いの折衷案が出てきつつあるからで、今では、互いを露悪をして過ごせるようになった。一見したら、わざわざ悪い姿を見せ合うのは投げやりのように見えるが、そうでないとやっていけない部分も多くある。


彼が、修正と訂正をしたきっかけは、結婚により、夫の勤務地のために私が転居して仕事を辞め、名義変更と並行して転職活動を行っていた最中、私も降りかかる新しい出来事と、自分で設定してしまった結婚式の打ち合わせと新婚旅行の手続き、併せて新しい土地でイライラしていたのだと思う。発生した口喧嘩の始まりは、きっと、些細なことだった。今となっては、積み重なった結果だったのだと思う。


些細なことで発生した、ヒートアップした口喧嘩は、とうとう最後に「誰が生活をさせてあげているんだ、ご飯を食べさせているのは誰だよ」と夫がぽろっとこぼした。彼は怒鳴ったり暴力と大声は無縁だから、虐待の記憶をフラッシュバックのようには思い出されないが、言葉の内容はとても強いものだった。「じゃあ、誰が結婚してこっちにきてあげたの、私は今は無職だけど就職活動だってしてる、私は多くのものを犠牲にしてきた、苗字も、仕事も失って、きみはどちらも手にしたまま安全な範囲で物事を言うな」と声を荒げて返したと思う。「私がご飯を作ってやってるじゃないか、仕事だって数週間後にはきっと始まる、私の方が大変だろうにそれなのにどの口がいうんだ」とそのままワンワンと泣いて、ようやく自分で作った家族を手に入れたのに、わかっているのに、有難いのに扶養に入っている自分が悔しくて、そんなこと言われるぐらいならば、早く職に就きたいとだけ願っていた。言い返せない自分が辛く、当時の自分は、家族(夫)以外の拠り所がなく、孤独だったのだと思う。

結婚までも数年間付き合っていたし、互いの欠点を見せてきたのには十分過ぎてはいたが、「家族になって、互いに生活をする」というのは、思っていた以上に酷く大変な作業だと思った。家族になること、互いに生活をすること、というのは、全て自分の思い通りにするのは無理で、互いに諦めが必要な部分もあり、ぶつかり合うことを回避するのは簡単なことではなかった。交際相手の期間は、互いに決められた時間を交換しているだけで、一歩引くという行為が容易かった。しかし、一緒に住むということ、家族になるということは、むしろ、ぶつかり合わないと、互いの許せない範囲を提示しないと、健やかに生活するための、家族という組織運営はなされない。

今まで自分が守ってきた不可侵な部分を共有しなければならず、他者より不可侵範囲が広い私は苦しかった。夫も私と似てるとはいえ、違う人物なのだ。今まで互いが過ごしていた環境が違うのもわかっているし、一緒に過ごすということは二人とも初めてで、互いにイライラを募らせてロジカルに語ってロジカルに理解しようと思っていても、感情が流入する家族という船は、合理さだけではうまくいかなかった。だからこそ、感情という水を混濁させて、うまく利用する方が効果的だと思った。


家族とは一体なんだろうというのが、家族に恵まれなかった私の生まれてからの課題で、「じゃあ結婚なんかしなければ、付き合って一部の時間を交流するだけに限定しておけば、二人とも仕事も住む場所も諦める選択肢がなく、幸せな毎日だった」と頭によぎることもあったし、実際、夫とは「結婚せずに、ずっと付き合ったままで遠距離にしておけばよかった」と話したこともあったが、「ゴールのない交際とは一体なんだ、二人とも別れる意思がないのなら、私たちは異性愛者で結婚という制度が使えるのに、なんで」と二人で泣きながら回答を模索していたが、結局どちらかが、諦めを持たなければならない。私が仕事を辞めて、夫の場所へ行くのは、収入面においても合理的だった。私の仕事は資格があればどこでもできるし、就職だって選ばなければ容易かった(これは事実だったが、キャリア断絶の件に関しては本当なので過去形にしておく)。


「籍だけ作って別々に住めばいいじゃない」というのは、婚約期間時に候補として挙げられていたが、当時の私たちには現実的ではなかった。今となっては、有名なユーチューバーたちは結婚をしても別々で住むことが稀ではなくなった。新しい結婚という形が、平成に生まれたユーチューバーという職業が見せてくれるケースが増えていく中で、私たちはそう選んでいたのだろうかと言われれば、わからない。きっと、一緒に住まなければ結婚の制度を使う意味がないと結論があったと思う。二人の中では。

仕事を辞めたことは苦しかった、結婚して数年経った今、仕事がうまくいかない中で、あの時の仕事を続けていたら、一生懸命開拓したコネクションも全部使えていたのにと頭を掠めることがある。ゼロにしたのは逃げたのは私だった。


結婚してから就いた職場、そのあと転職をした職場の記憶が本当にない。給料という対価をもらっているが、いつまでも結婚をする前の職場に思いを馳せている。キャリアを積み上げている感覚もなく、諦めの中で提示された職業だからか、自分がやりたかったことを手に入れたはずなのに、結婚という事情で切れ目を作ったのを後悔しているのか、二つも職務を経て、そんな喪の作業段階は随分前に終了しているけど、ずっとわからない。


結婚したことは間違えではなかったけど、本当に正しかったのだろうか、とは思う日もある。苗字を失って仕事を失ったからだろう、私の場合は仕事が大きい。結婚をして手に入れた事実から生まれた、安全なところから生まれる悩みだとはわかっているが、これこそ人の痛みは人の痛みなんだろうなと、思いながらケーキにフォークを入れる。結婚⚪︎周年おめでとう、と子どものいない2人でお祝いをした。

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