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母の行動に賞賛 ありがとうもしもノート 兄よ落ち着け2

お疲れ様です。台風が大きな被害をもたらしている地域があるとのこと。
皆様が無事であることを願います。まだまだ台風シーズンなので、気を付けましょう。

早速ですが、前回の続きの記事です。先日母の家に集まり家族で話し合いをした時にことが、誰かの役に立てばと思い記事にしています。今回は2個目

母がもしもノートを書いた。この集まりのために。やっとことさ挑戦してくれた。素直に母に感謝だし、褒めたい。今まで書いておいてねと伝えていたので、率直に頑張ったなぁと思いは変わりません。

a)いきなり全体の話すな!!
b)もしもノートはいつのどこのだ
c)あくまで遺す側の意思表示が目的
d)なんのために残すのか
e)希望を書くのは構わないが 尊厳死の項目が突きつけたこと
f)わからないことが多い。一度では終われない
g)兄弟ガチャという不満はある。兄弟姉妹は選べない

前回 b)までの記事を投稿しました。詳しくは前回記事を確認してください。

いきなり全体の話を放り投げられたり、どこのどんなノート使ってるかもわからないと、聴く側もこまってしまう。
チェック項目式では誤解を招くだろう。というような内容でした。

c)あくまで遺す側の意思表示が目的

遺言書もそうですが、エンディングノートもあくまで遺す側、依頼する側の人が、遺される側、頼まれる側の人たちに意思表示するものだと思います。

使う手段によって、用途やルール、法的根拠に違いがあれど、これが共通して言えることです。

遺す側が自らの意思を相手に伝える手段。
それを理解した上でもしもノートを作成されるべきですし、フォローする側もそれを阻害しないフォローの仕方が大切になります。

私は、家族とはいえそこの線引きはしっかりするべきと思います。助言はするよ。あなた(母)の言いたいことはこういうことだね。こうやって書く必要はあるよ。これは調べた方が良いよ。といったフォローをする機会は多々ありそうです。

でもあくまで最後は自分の判断でお願いね!!

家族ですから、助言する機会や一緒に学ぶ機会はあって然るべき。そこで、フォローする側の意思が入ってしまうようなことは避けたいです。この人ことは必ず伝えるようにしています。

、、、もしもノートに端的とはいえ、書かれるのは初めて。家族それぞれが要所で話をしています。その時に、母への助言は前からしているわけです。

と、回りくどくなりますが、「あくまであなたの意思を書くところです。」ということが大事であり、それを伝えているし、伝えるべき一言だと思います。

なので、書いたあとや書きながら、遺される側の意見を聞いたりすることは、どうなのかなぁと思ってしまいます。ましてやCLOSEDの話になると変な感じになるからです。揉めるかどうかは知りませんよ。でも意見の偏りは生じる可能性が高くなる。

どうしたって回避できないもんなぁ。遺す側の気持ちと親の気持ちが入ってくる

そして、おそらく我が家は父親が生前しっかりしていたので、まだ細かい揉め事がある方ではないと思います。

その時にならないとわからないですが、、、

d)なんのために残すのか

これはすいません。遺すが正しいです。
もしもノートやエンディングノート、遺言書を残すことも大事ですが、それらに書く項目(資産など)や内容、本人の意思をなんのために遺すのかということが大事です。

例えば、親(遺す側)が保険を子供(遺される側)に組んだとします。別に現金でもいいし、定期預金でもいいし、不動産でもいい。
でもここでは、あえて保険商品とします。

その保険商品は、死亡保証がいくら。支払い期間があり、運用して戻ってくるタイプ。ドル建てだとします。生命保険より少し面倒な商品をあえて選びます。

死亡保障が300万 保険料(定期払いか一括で)を一定期間支払い、満期になると返戻率が上がるタイプ。それが運用されるタイプ。そのドル建てとします。
満期になれば、150万程度になり、保有する限り返礼率が上がる。あとは為替次第

正しくはないですが、わかりやすく
保障300万
運用益150万程度から
という話にしましょう。設定上です。

では、遺す側が死亡したとき、子供に少しでも遺したいと考えたらどちらの金額がベースになると思いますか?

遺す側は、亡くなった時に保障を遺したい。運用しているものを資産として持ち、ゆくゆくは遺したい。

子供達に均等に分けたい。子供達に公平に分けたい。

用途は任せるが、一定の条件があるのかないのか。例えば介護や看護、住居の意地など


保険を組むことが良いとか悪いとかではないです。
あくまでなんのために遺すのかを考えないと、遺すための手段、遺す時の条件、日々変動するものかどうかが変わってきてしまう。保険もそういった変動性のあるものだという理解も必要です。

3人子供がいてたとします。
各人500万を平等に遺したいなら、一人だけ5万ドルを遺してはダメですよね。
一人に介護看護や身の回りの世話をお願いするのに、平等で同じ金額というのは、一般的におかしいですよね?(それで同意が取れているものは除きます)

言いたいことを簡単にすると上が例えです。

よくよく考えないと、なんのために誰に遺すのかがわかっていない人があれもこれもしてしまうと。実は意図と反する形になる場合もあるということです。

一応最後に我が家の実例ではないです。ただ実話で聞いた話ではありますので具体例として加工して書きました。

この辺りは#お金の学び がものを言うと思います。

お金に限らず、自宅で最後を看取ってほしいと言われた場合。
なんで?この家がいいんだ!そんな愛着あったんだ!なんか理由があるのかな?となってしまうのは遺された側の気持ちです。

話せることであれば、意図も残しておくことが良いと思います。

一回の話し合いの機会でも色々なことを考えさせられる

などなど、またまた2項目で長々書いてしましました。おそらくこれくらいのペースが必要だってことですね。

一回の話し合いでしたが、色々なことを考えさせられますし、色々なことを知ります。わからないことがあることもわかります。

例えば、話をちゃんと聞こうとする子がいたり、興味がない子がいたり、母がわかっていないなぁってこともわかります。母がこんなに調べてたのか!!となるかも。
相変わらずこう言う話になると、俺様気質の人がいるかもしれません。オヤジ気質というか、大黒柱気質というか、、、うちだと兄がそうです。
俺がやるから大丈夫だよ!!

いや、ここは母の話を聞く場所なんだよ!もちろん見当違いのこと言ってたら別ですが、我々は聞く番!相変わらずだなぁと思いました。

兄、、、少し落ち着け。
これが変な人だった場合、(うちの兄は違いますが)周りをほったらかして自分の言いように進める人がいるかもしれない。知識不足を良いように使われるかもしれないということ。


まぁ、何より良かったことが、やはり一回では話はまとまらないし、誰がどこをわからないとかちゃんと出てくる。

そう言ったことを自分で勉強して、知識をつけて、良心で向き合う。
自分がそうしていかないといけないし、子供に余計な心配をさせてはいけない。

本当に良い機会でした。

まだまだ書きたいことはモリモリw

それでは、皆様
LOOK UP
素敵な一日をお過ごしください。


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