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ドラマ『1122』を観て泣いた。理由はわかっている。

今日は、友人と喫茶店巡りをする予定だった。
昨日から雨が降ることはわかっていたけど、これほど大雨になるとは思っていなかった。

喫茶店は今日しか開いていないわけじゃないし、友人との予定だってまた調整すればいい。今日は自宅に篭ることにした。

出かけるために空けた1日に、大学の課題を進める気にはなれなかった。
出かけたとしても期日までに提出できるように、予定は組んだ(つもり)ですし。やる気は起きるまで待てばいい。というか、課題は明日必ずやる。

今日は時間を気にせず、自分を休ませると決めた。


ここ数日、「映画でも観てみようか」という気分になることが多い。
私は無音の中で作業をすることが得意ではない。もちろん、集中するときは無音がいいけれど、最初から何のBGMもないのは少しプレッシャーを感じてしまう。
部屋全体から、「集中しろぉ…」とうめき声が聞こえてくる感じ。それでは自分のパフォーマンスを最大にはできないので、音楽が部屋と自分の緩衝材としてはたらいている。

BGMが耳に馴染んでくると、聞き入ってしまう。もはやそれは、BGM(Back Ground Music)ではない。主役である。音楽の配置ミスである。
1ヶ月ほど前に大学のフランス語の授業で紹介してもらった映画のことを、そのタイミングでふと思い出した。

とっくに第二外国語の授業が終わっているのに、他学科の授業に乗り込んでまでフランス語に触れているのはどうしてなのだろう。自分でもよくわからない。でも、ほぼ記念受験くらいの気持ちで挑んだ仏検(実用フランス語検定)は、楽しかった。しかも多分受かってる(自己採点だけど)。

きっと、自分の知らない世界に触れられる目新しさがたくさんあるから、なのだと思う。それでいて、全く知らないわけじゃないのも続いている理由なのだろう(学び始めて2年なので)。

映画は、第一次世界大戦の頃が舞台になっている。
授業で取り扱うテキストの時代背景を掴むために、先生から紹介していただいた。

まだ全部観終わったわけではないし、先生からフランス語字幕で観るように言われているので、内容はほとんど掴めていない。たまに知っている言葉が聞こえると、「おっ」と思うけど、その数秒後には何の話をしているんだか分からなくなっている。

家事をしたり、お茶を取りに行ったりして、画面から目を離すことがある。
イヤホンから聞こえてくる役者のやり取りが何だか心地よかった。
まあ、何を言っているか分からないのだけれど。

ラジオでもいいのかもしれないが、これまで聞いてきたラジオは沈黙が少ない。声だけで全てを届けるのだから当然だろうが、聞くには少しエネルギーが要る。
しかも、耳を傾けて作業が止まっては本末転倒、主役交代。
ラジオの配置ミス、である。

映画は表情や立ち振る舞いでも伝える。沈黙があるのだ。
前々から観たいと思った映画を流し見することはもちろんしないけど、何となく流し見でもいいから観てみようかな、と思う映画はいくつかある。

こんな導入で名前を挙げるのは大変失礼だが、その一つに『東京物語』(小津安二郎監督)があった。

名前を聞いたことがあるというその理由だけで、Prime Videoのウォッチリストに入れていた。
「やり取りの言葉一つ一つに味があるなぁ」というのが率直な感想だ。
かなり前に作られた(1953年)からというわけではない。ご近所さんとの関係性や、尾道から東京へ時間をかけて会いに行くことで家族が集まるなど、映画の登場人物たちは、その時々の人とのつながりを噛み締めているような気がしたのだ。

Prime Videoのホーム画面をぼーっと見ていると、『1122』を見つけた。
全7話のドラマで、見つけたときは5話まで公開されていた。

その日は5話までイッキ見である。次の日は朝が早いと言うのに。
婚外恋愛をきっかけとしたパートナー間の関係性が描かれていくのだが、観終わったあと湯船に浸かりながら色々と考えてしまった。

別に、パートナーがいて自分と相手の関係性が…というわけではない。
むしろ、いわゆる“大学生の恋愛”みたいなものは避けてきた。

人間関係の変化には、ものすごく大きなエネルギーを必要とする。
これまで出会いや別れが、自分の生活に与える影響が大きかったからこそ、特に恋愛からは距離を置くことにした。

いまは自分を見失わないように、まずは自分の中身を詰めていこう、と。
パートナーがいる生活は充実しているだろうけど、いまの自分はまだ、その段階じゃない気がしている。
今の自分にパートナーができたら、自分のQOLを他人に委ねているような気がして、申し訳なくなる。

そうは言っても、ただのコミュ障なのかも…とか考えながら、その日は眠りについた。


そんな数日後、今日はノープランの休日である。
そして、『1122』の第6話、第7話の配信日でもあった。
時間あるし、観てしまおう。そしたら、早く寝よう。明日は大学の課題をするわけだし。

またもや一気に見てしまった。
しかも、泣いた。なんでなん。

やっぱり家族とか、友だちとか、人間関係に目がいってしまう。
相手を思いやる気持ちや日頃の感謝、命の尊さが涙腺を刺激する。

いろいろ考えてみた結果、
自分は、自分が思っている以上に、人間関係に対する思い入れが強いのだろうと思った。

ラジオだって、パーソナリティー同士の会話や、作家とのやりとりがある。
映画にも主人公を取り巻く人間関係は存在する。
そこに目がいきすぎてしまうがゆえに、エネルギーを使ってしまうために、疲れてしまうんだと思う。

ずっと、1人でいることが好きなのだと思ってきた。
兄弟がいるわけでもないし、従兄弟・はとこたちはかなり年上だ。
本を読んだり、1人で旅行に行ったり、そういう1人行動は今でも楽しいと思う。

一方で誰かといるときは、その相手に対して、自分と過ごす時間は最大限楽しんでほしいと思う。
相手の時間をいただいている責任がありますから。

その責任感からか、誰かの優しさやあたたかさにはめっぽう弱い。
『1122』の第7話で一子(高畑充希)が二也(岡田将生)に電話で「ありがとう」と伝えるシーンがあるのだが、その一言が涙腺にクリティカルヒットだった。

ちなみに、実生活で自分が優しくされても、涙腺が肩をぶん回し始める。

南伊豆町のゲストハウス「ローカル×ローカル」で3週間のインターンシップを終えた帰りには、嗚咽して泣いている。

それは町で出会った人たちのあたたかさに感動した涙だと思う。
言語化するまで、こんなに時間がかかるとは。やっと、すっきりした。

こんなことを文字にして、noteに投稿して、これを読んでから私に会う人はどう思うのだろう。重たい人に見えちゃうかもなぁ。

でも、暮らしの一つ一つを大切にしようとしているだけである。
1人で過ごす時間が増えて、人と話すことが自分にとってはより貴重な時間になって、そのありがたみが大きくなっているだけなのだ。

人のあたたかさから来る涙は、もっと流したい。
これまで関わった人たちの顔を思い浮かべると、感謝が湧き出て、また泣きそうになってきた。

ホントに、ありがとう。心から感謝しています。

そして、最後まで読んでくださったみなさんも、ありがとうございます。


感謝を忘れない人間でありたいものです。

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