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医師のはじまりは孤独と共に。

それは、病院での臨床実習が始まった日だった。
医学部では4年生頃までに授業がひと通り終わる。その後は、病院で実際に働く先生たちの元で医師の仕事を学ぶ、臨床実習という形をとる。ポリクリとかクリクラとかBad Side Lerning でBSLとか呼ばれている。

朝早い時間の集合に始まって、外来診察、入院患者さんの診察、検査、休みなく続いた。もちろん本当に忙しかったのは先生たちで、私たちはただただその様子を後ろで眺めていただけだった。17時をまわって「学生さん帰っていいよ」の言葉をもらい、私たちは静かに病院を去った。

すごく身体が疲れた。そしてとても胸がいっぱいだった。どうしてだろう。すぐには言葉にならなかった。

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実習中、私は静かに働き始めてからの想像をしていたのだった。

ほとんど全てのエネルギーを吸い取られるように働いたあと、全然まわらない頭を連れて家に帰る。「帰ったらこれしよう」なんて楽しい考えは浮かばないし、忙しい1日の中で感じたことが堂々巡りした末に大きくなって頭の中を支配する。もうなんにも頭に入れたくない。外界との接触を断ちたいと思う。テレビもうるさい、LINEも見たくない、誰かと会うなんてもってのほか。

それでも、何もできなかった今日が悔しくて取り戻したい。「明日が来ないよう夜更かしする」という意味のない抵抗にはしる。こうして起きていたら、明日はまだ夜の先だ。

疲労は、思考を麻痺させる。
ぼうっとした頭は、幸せな時間を生みだしてくれない。幸せを分かち合える誰かとの時間も絶ってしまう。多様な考えとの接触も拒絶する。寂しかった。そうやってわたしは孤独を自分で深めていった。

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「うつになって休むことの大切さに気がつきました」みたいな話を聞くと、このことを思い出す。この時、忙しすぎることが自分の人生に影を落とすかもしれないということに気がついた。

結局私は、友人に助けられた。何回断ってもいつでもいいから会いたいと言ってくれた。助けがほしいと思ったときその存在がなかったら、どうなっていただろう。うつになっていてもおかしくない。原因は、自分がつくりあげた孤独だということに気がつかず。

こういう時、誰も周りにいなかったら。誰か助けて、と言えなかったら。そして、今見えてる世界が全てだと思ってしまったら。

医学部生は、病院での臨床実習を2年近くしてから卒業して、また2年間の研修期間がある。その間、多くのの診療科に配属される。もっと早く専門的に学びたいと言う声はもっともなんだろうけれど、いろんなことに気がつくのに十分な時間が確保されていて、いろんな人に出会うチャンスもあったことが私にはありがたかった。

なんだかな、こういう、何の責任なしに、感じて、考える「ゆとり」がみんなにもありますように、と思ってしまうのは、私がゆとり世代だからだろうか。



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最後まで読んでいただきありがとうございます。こうして言葉を介して繋がれることがとても嬉しいです。