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美しいジャーミイ・トルコ文化センターで学ぶイスラム文化🇹🇷

 インドでの就職先も決まり、バングラデシュでは家族以外の友人も増えたため、最近日本の外で起こっている出来事や自分のルーツであるバングラデシュに想いを巡らせることが多くなった。

 バングラデシュについてもっと知りたいと思った私は、イスラム教に着目した(バングラデシュにおけるイスラム教の割合は90%以上であるため)。世界三大宗教であるイスラム教。まずは池上彰著書の分かり易く読みやすい本からスタート!

 そして、イスラム教について勉強しているうちに今月6日に発生したトルコ・シリアの大地震が気になるようになり、本日「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」に行ってきた。募金をしたかったのと、イスラム教について学びたかったから。今回はその文化センターについてのまとめ。すごく良かった、、!!

代々木上原駅から歩いて5分ほどのトルコ文化センター
建物の中に入るとそこはもうトルコ

 閑静な住宅街の中にある建物だけど、足を踏み入れると日本とは違う空気を感じることができた。トルコから直接材料を運び、トルコの職人や建築家を日本に呼び寄せてつくったというから納得。
照明や装飾品、家具などもほぼ全てトルコ産。日本のものとはまた違う、繊細な美しさ。アラベスク模様(イスラム美術の一様式)が大好きな私は大興奮!

 イスラム教でなくても入場可能。女性は礼拝堂見学の際にストールの着用をお願いされれるので、以前インドで暮らしていた頃に買ったお気に入りのストールを持参。誰でもウェルカムという雰囲気だから心地よく、安心できた。

文化センターの玄関。ここではデーツというナツメヤシの実とチャイが無料で振る舞われている
このかわいらしいランプももちろんトルコ産。こういった装飾品に囲まれるため、異国に来たように感じられた
玄関のすぐそばにあるゲストスペース。隅々までこだわりが感じられてうっとり、、空間の中央に備え付けられているのは噴水。水が人々の精神を癒し整えると考えられている
トルコはチューリップの原産地。チューリップはひとつの茎につきひとつの華しか咲かせないため、「一神教のシンボル」としてトルコの国花となっている
見学ツアーの様子。このホールでは様々なイベントが行われており、3月からのラマダンでは夕方に300種類以上のトルコ料理がここでふるまわれる。イスラム教徒でなくても参加可能。1人の
予約につき5人までの同伴が認められるとのこと

 文化センターでは予約不要の見学ツアーが行われており、スタッフの男性が館内を案内しながらトルコやイスラムの歴史と文化について説明してくれる。

 誤解されがちなイスラム教について、正しく知ってほしいという想いが込められているツアーだなと感じた。(スタッフさんがお話し上手&勉強になるのでとても面白かった!)
 何より、スタッフさんの対応が暖かくて、「ここにいていいよ。いつでも来ていいよ。来てくれてありがとう」と言われている気がした。

言葉を失うほどの美しさ。礼拝堂

礼拝堂。アラベスク模様の天井と床に敷き詰められた絨毯。目に見えるもの全てが美しいこの空間。神が天から地、全てを創ったという教えに基づいたデザイン
集団礼拝見学。聖地・メッカの方角に向かい、横一列になって祈りを捧げる。人は皆平等だという教えに基づき、社会的地位、貧富の差、年齢差、人種、肌の色関係なく横一列に並ぶ。礼拝に集中するため男女別に行われる
床に敷かれているこの絨毯もトルコの職人によって作られたもの
礼拝堂の2階にある女性専用の礼拝スペース。意外に高さがあり足がすくむ
2階の女性専用スペースから見渡す礼拝堂も壮観
2階の女性専用スペースの壁に描かれているアラビア文字のカリグラフィー(文字を美しく見せる手法)
一階から見上げた天井。礼拝堂に入った時、二階から見下した時、礼拝堂から退出する時、同じものを見ているはずなのに全く違って見える。角度によって美しさが変化するため、建物が生きているように感じられる
礼拝堂の入り口のドア。このアラベスク模様が個人的にずっとお気に入り。きっと模様ひとつひとつが言語のように意味を持っているから、この模様の意味を是非知りたい。多分星かな
トルココーヒー。礼拝堂でゆるーく見学ツアーが終了した後は礼拝堂横のカフェテリアでゆっくり一杯。トルコ食器もかわいくて、これくらいの大きさが丁度いい
礼拝堂の出入り口付近にあるこの階段を降りて玄関へ。見学終了!満足!


見学ツアーで印象的だったお話し

 教の見学ツアーの中で特に印象的だったお話しが3つ!

 1つ目はイスラムにも偉大な歴史や発明はある。というお話し。「文明は一つの国や宗教から生まれるのではなく、それぞれの文明が影響しあって生まれている。人や文明も1人(ひとつ)では成り立たない。生きてはいけない」とスタッフの方が言っていた。「0」はインドが開発し、イスラム文明も数学のとある公式を開発した。日本では今を理解するために欧米の歴史を中心に学ぶが、イスラム圏にも確かに私たちの今を作っている「歴史」があると。

 2つ目はラマダンのお話。ラマダンは「過酷、何故あのようなことをするのか」という印象を持たれ、理解されづらい。しかしそんな恐ろしいものではなく、「忍耐、感謝、分かち合い」の心を再認識するための大事な行事であると。
世界には食べたくても食べられない人々がいる。その人たちの気持ちを理解する。空腹を経験することで目の前にある水や食べ物をより美味しく感じ、感謝することができる。そして、ラマダン中は大勢で集まり食事をする。食べる喜びを分かち合う。1人で食べるより、誰かと食べる方が美味しい。誰と食べるかで、その食べ物の美味しさも変わって感じる。ラマダンの食事は社交の場。つまり普段の食事も大事な社交の場である。

 3つ目はトルコの街やモスクにかつて設置されていたお賽銭箱(今は廃止になった制度)のお話。そのお賽銭箱は「誰でも取り出し可能」で、お金がむき出しになっていたらしい。何故かというと、お金がなくて困っている人がお金を持っていけるようにするため。
 日本にある神社やお寺のお賽銭箱の場合、お賽銭の中身を持っていけば「神社、お寺からお金を盗んだ」ということになる。 
一方、トルコにかつて設置されていたお賽銭箱に対する考えは、「お金が私たちの手を離れ箱に落ちた時点でそれは神のものとなる。神はそれを余裕のある人から回収し、必要とする人へ渡るように導く」というもの。
face to faceでお金を要求されるより、そのシステムの方が気持ちが良く、納得できたらしい。

そこから感じたこと

 これらのお話を聞くと、イスラム教は私からそんなに遠いものではないと感じた。イスラム教になる、ならないの話ではなく、考え方に共感できる部分があり、理解できるということ。

 何を考えて行動しているのか、何を大事にしているかを知ると、誤解することはない。知っていれば怖くない。宗教や習慣が違っても近く感じ、共感することだってできる。

 そして、きっとトルコ文化センターのスタッフさんや礼拝に来ている方々は、イスラム教であることで誤解され、傷ついた経験をしたんだろうなと感じた。(私も見た目のことで同じような経験をしたから)だからこそ、ここに来た人たちに誠心誠意たくさんのお話しをしてくれる。受け入れて歓迎してくれる。
だから私も誠心誠意お話しを聞いた。「もっと理解したい。また訪ねよう」と思える。

 イスラム教は本来、人種や生まれ、貧富や社会的地位を何も問わない、誰もを受け入れる寛容で慈悲深い宗教であると思う。バングラデシュで感じた人々の親切さや寛大な心、明るさと優しさはその教えから来ているのかな。

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